→→ Madrigal 10


「ソコノヤツ、トマレ!」


 夕鷹のしたいように従うことにした一行は、無防備にアラムキンゼルに近付いた。
 アラムキンゼルは、雪に覆われた、木や藁で造られた家が所狭しとたかった集落だった。国中のエルフ族がココに集まったからココが首都になった―――そんな感じがする。

 正面に見えるその集落を背に立っていた、聖域番レスティアとおぼしきエルフ族の男がまず何かを叫んだ。しかしコチラの反応がないと見ると、今度は片言でそう叫んだ。どうやら、最初に叫んだ言葉はエルフ語だったようだ。
 呼び止められ、夕鷹が先頭の五人は立ち止まる。何かの動物の大きな毛皮を羽織ったエルフは、同じく毛皮製と見られるブーツで膝丈くらいに積もった雪を煩わしそうに歩き進みながら、雪が降る中、コチラにやってきた。まず最初に目に入った夕鷹を見て、言葉を失う。


「ニンゲン……ッ!!」
「あ、どーも〜」


 エルフの男は呑気に挨拶する夕鷹から視線を外し、六香、椅遊の順で彼女達も人間であることを確認した。
 すると、懐から数枚の縦長の紙を引き出した。すべての紙の真ん中に、見慣れない不思議な記号と文字が書かれている。


「……マレ」


 その男がそれを使う前に、梨音が彼に向かってそう言った。それを聞いてエルフの男は驚いたように辺りを見渡し、そして梨音が目につき、彼だけはエルフ族だと気付いた。どうやらさっき確かめた時は、梨音が低かったから目に入らなかったようだ。


「梨音?」
「……エルフ語だよ。あと、あの符には結界術の印が書いてあるから……小型の結界術は張れる。材質が自然に近いものの方が、精霊の束縛力と効果範囲は広いんだけど……一時的に、ボクらをその結界に閉じ込めるつもりだったみたい」


 一通りの説明を終えると、梨音はエルフの男に向かって、ウィジアンに会いに来たということをエルフ語で話した。エルフの男は、その話を聞いて初めて存在に気付いたフルーラを、物珍しそうにジロジロ見る。
 さらに梨音が、何かを言った。するとエルフの男は首を振った。


「……ウィジアンが村中にいるらしいので、今だけ入れてほしいと頼んでみましたが、ダメだそうです」


 梨音が先ほどの会話を四人に話すと、エルフの男は大きく息を吸い込み、首から下げていた角笛を力強く吹いた。鼓膜を揺さ振る低音はしんしんと降る雪の間を縫って、遠くへと響き渡る。
 それからエルフの男は、手に持っていた4枚の符のうち2枚を手の内から放った。不可思議にも、符はピンと伸びたまま矢のように飛び、五人の後ろの方に距離を空けて突き刺さった。後ろを振り返った夕鷹達をよそに、残り2枚を彼らの前に、やはり距離を置いて突き刺す。そして、低い声で詠唱し始めた。


「……でも、帰すつもりもないみたいです。ボクも、共犯者として捕まるみたいです」
「ええッ!? ソレ、最悪じゃない!?」
「……大人しく捕まるなんて、誰も言ってませんよ」


 幸い、結界術の詠唱は長めだ。梨音は、自分の足元にある符の傍にしゃがみこみ、それを引っこ抜いた。詠唱途中なのに思わず声を上げたエルフの男の腕におもむろに触れ、《グレスメラ》を紡ぐ。


「第17章、『束縛の黒環』発動」


 何処からともなく黒いロープのようなものが出現し、エルフの男の体に巻きついていく。ミノムシのような格好になったエルフの男は、バランスが保てなくなって雪の上に倒れ込んだ。
 しかし、その頃にはすでに周りを数人のエルフ族に囲まれていた。エルフの男が角笛で呼び寄せた聖域番レスティア達だ。エルフの男が不可思議な術でダウンされたのを見て、彼らは全員、弓矢を構えて警戒を強める。
 下手に動けば、すぐさま四方八方から矢が飛んでくるだろう。逃がすくらいなら、ココで殺してしまおう。エルフ達には、共通でそんな考えがあるようだ。


「ありゃー……コレってやばいんじゃない?」
「……やばいよ」
「ち、ちょっと夕鷹!アンタの責任よ!」
「〜〜っ」
≪やはり、もう少し考えるべきだったか……≫


 夕鷹と梨音はやはりいつも通り、椅遊と六香は二人で身を寄せ合うように縮こまっており、フルーラは後悔したように呟いた。
 梨音が、魔術で蹴散らすしかないと断定して、何を使うかを考えようとした、その時。



  ―――ジルヴィーン……?―――



 そこにいた全員に聞こえてきた、不思議な声音。
 皆が声の主を探して辺りを見渡そうとした時、アラムキンゼルの中央の方から突風が駆け抜けた。今まで積もっていた雪を、すべて空高く吹き飛ばしてしまうくらいの強風。
 風は雪雲さえも引き裂いて、夕鷹達の手前で威力を弱めた。ふわりとした風の余韻で、舞い上がった雪とともに夕鷹のフードがぱさりと落ちた。


≪……現れたな≫


 その場の人々が呆然としている中、フルーラがぽつりと呟いた。
 ココからあまり距離のない、アラムキンゼルの真ん中。そこに、染み出すように影が現れた。


「……な、何アレ……でっか……!」


 六香が、喘ぐように声を絞り出した。

 うっすらと現れたのは、自分達よりも遥かに巨大な、黄珠を抱えた翠色の龍だった。背には、その体長の半分くらいの大きさの翼も見えた。はたしてその大きな体で飛べるのだろうか。
 村の中心に立つ龍はその長い首をもたげ、澄んだ紅眼で、見下ろすようにフルーラを見る。


≪ジルヴィーン≫


 男性なのか女性なのか、大人なのか子供なのか――それさえも判別しにくい不思議な声が、コチラを凝視する夕鷹達とエルフ達、そしてフルーラの脳に届く。


≪久しいな、ウィジアン。聖魔闘争以来だからな……ざっと千年ぶりか?≫
り≫


 フルーラが親しげに話しかけると、〈翠龍〉ウィジアンは一言でそう返した。
 フルーラがその龍のことをそう呼ぶなり、夕鷹達を囲んでいたエルフ達が何事かを叫んで大きな歓喜の声を上げ始めた。それを隙と見て、梨音は夕鷹達を振り返った。


「……皆さん、今のうちに、村の中に入りましょう。ウィジアンのところへ」
「あ、ソレいーね。そんじゃ、行くっか〜」


 自分の横を過ぎて村の方へ、雪がなくなった枯れた土と、雪があるところの境界をまたいで少し歩を進めた夕鷹を、梨音は振り返らずに、感激に酔いしれているエルフ達を見つめたまま言った。


「……夕鷹、先頭頼んだよ。ボクは、後ろを足止めするから」
「りょーかい。あ、それから、後援がいなくなったら、俺らも捕まるからな?」
「……ソレ、ボクが捕まるんじゃないかって言ってるの?」
「さぁー?椅遊、六香、行くぞ〜」


 付き合いの長い二人ならではの、素直じゃない会話だった。梨音の余裕綽々な言葉に夕鷹は小さく笑って、二人に呼びかけた。
 椅遊は心配そうに梨音を振り返りながら、六香はそんな椅遊を引っ張りながら、夕鷹の後について走り出した。ようやく我に返った聖域番レスティア達が、思い出したように弓に矢を番える。


「第15章、『拒絶の守護』発動」


 その矢が放たれる前に、梨音は眼前に結界を、今回は壁形式で作り上げた。半透明の緑色の壁に、飛んできた矢は呆気なく弾き返される。


「第16章、『景の不動』発動」


 それから右手を軽く握って魔導名グレスメラを詠唱すると、右手の指と指との間に黒い針が生える。まるで鉤爪だ。それを、『拒絶の守護』に驚愕している聖域番レスティア達に投げつける。
 『拒絶の守護』は、内からの攻撃は『拒絶』しない。透けた壁をすり抜けて、黒い針は雪の上から聖域番レスティア達の影を縫い取る。今回は少し数が多いので、1本で二人くらいの影を重ねている。

 途端に動かなくなった体に聖域番レスティア達が騒ぎ合っているのを尻目に、梨音もウィジアンのもとへ走った。



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



 どうやらあのエルフの男は、角笛ですべての聖域番レスティアをあそこに集めたらしい。村中を駆ける夕鷹達を阻む者は、誰もいなかった。村のエルフ達も、走り去る夕鷹達を怯えた目で見つめているだけ。
 さらに、ウィジアンが現れた時の風で雪がほとんどない。そのおかげで、いつも通りに走ることができた。道の所々にある氷を避けつつ、夕鷹は駆けながら周囲に目を走らせた。


「俺、いなくても大丈夫だったんじゃないのー?」
≪梨音のことだ。万が一、というのを考えてだろう≫
「ってゆーか、今、俺達が走ってる意味あるの?」
≪……あまりないな。だが、さっさとこの国を去りたいんだろう?≫
「そーよ!ホラ夕鷹、速度落とさないっ!」
「あれ、バレた?」


 もうウィジアンの目の前というところまで来て六香にびしっとそう指摘され、少し走る速度を落としていた夕鷹はそのまま歩調を緩めていった。椅遊と六香もゆったりと足を止め、早い呼吸で、雪がなくなっても気温は低いので白い息を吐き出す。
 たくさんのエルフ達が見守る中、フルーラはウィジアンの前に踏み出して大きなウィジアンを見上げた。


≪今回は、お前に聞きたいことがあってきた≫


 少し楽になった六香は、改めてウィジアンを見た。間近で見ると、もっと大きい。それから、妙なことを発見した。
 ウィジアンは、村のど真ん中に立っている。しかし不思議なことに、『彼』(『彼女』?)が現れた時、その辺りの民家や木々は壊れなかった。なぜかと思ってよく見てみると、ウィジアンの体が背景に薄く透けていることに気付く。


「フルーラ……もしかしてコイツ、実体ないの?」
≪我 地深く 住まう。汝 認めし我 我が幻≫
「え??」


 答えてくれたのは、ウィジアン本人だった。しかし、話し方が独特すぎて、何を言っているのかよくわからなかった。戸惑った六香に、フルーラがウィジアンの言葉を翻訳してくれた。


≪ウィジアンは、セルシラグの地下に住んでいる。今、ココにいるウィジアンは、地下で奴が作り出した幻ということだ。だから、実体はちゃんとある≫
「そんなことできるんだ……」


 それを聞いて、さっきのウィジアンの言葉を思い出してみると、確かにそんな感じのことを言っている。
 恐らく、バルディアで使われているホログラムのようなものだろう。しかし、それを映し出す力はアルテスに頼っている現状であり、現在は軍上部くらいでしか使われていない。それを難なくこなしてしまうウィジアンを見て、神獣の凄さを思い知った。


≪容易。ジルヴィーン また然り≫
「へぇ、フルーラもできるの?」
≪一応な。必要がないからほとんど使わないが≫


 ウィジアンは喋り方に癖があるが、それを理解してしまえば何を言っているのかがわかった。六香は「へぇ〜」と相槌を打つ。


≪それでウィジアン、ルーディンの居場所を知らないか?1年前にカルバニス神殿に行ったのだが、いなくてな≫


 カルバニス神殿とは、イースルシアの中央付近にある古代神殿だ。昔はあっただろう財宝もすべて盗賊が荒らし回った後で、今は誰も訪れる理由のないところだ。
 数年前までは、それに目を付けたルーディンが神殿の奥深くにひっそりと棲んでいたのだが、1年前、椅遊の召喚の力を打ち消すためにフルーラ達が行った時には、ルーディンの姿は見えなかった。『彼』は、よほどの理由がない限り、あの神殿からは出ないはずなのにだ。

 それを聞いて、夕鷹が「ん?」とフルーラを振り返る。


「ってことは、昔、一度はルーディンに会おうとしたってわけ?」
≪そうだな、話していなかったか。誓継者ルースは15になると、追喚典礼セディリーヴァのためにルーディンに会いに行く。それがイースルシア王家のしきたりだ≫
「……でも、いるはずのルーディンはいなかった。だから予定が狂って、追喚典礼セディリーヴァ自体が1年、先送りになってしまった……ということですか」


 唐突に、ココにいるはずのない声がした。夕鷹はウィジアンを見たまま、小さく笑って言った。


「おかえり。結構早かったなぁ〜」
「……ボクが、あんなのにてこずると思う?」
「いやぁ?」


 振り返るまでもなく、梨音は夕鷹の隣に歩いてきて並んだ。梨音が無事だというのを確認して、椅遊はホッとして小さく微笑んだ。


≪ルーディン 不在?≫
≪あぁ、いなかった。今回のことを察して逃げたのだろうと考えるのが自然だが……解せんな≫


 ルーディンには、数年くらい先の未来を見通す力がある。その力で今回、猟犬ザイルハイド総帥・玲哉の手の者に追われるのを知り、カルバニス神殿を出たのだと思われる。しかし先を知ったところで、どう足掻いてもその未来が訪れるのを『彼』は熟知しているはずだ。なぜ今回、あえてカルバニス神殿を出たのかがわからない。

 ウィジアンはおもむろに長い首を上げて、雪雲の去った灰色の空を仰ぎ、響かせるように言った。


≪ルーディン フィスセリアに在り。……るに≫
「フィスセリアって……えっと、確か、イースルシアの北の孤島の名前よね?」


 何かを言いかけたウィジアンの言葉を、六香の声が掻き消した。口を閉ざすウィジアンの前で、六香が夕鷹に聞くと「うん、そ」と頷いた。だてに世界一周したわけでもなく、夕鷹は地理に詳しかったりする。


≪そこにルーディンがいるのか?≫
≪然り。然るに≫
≪「しかし」?何か問題でもあるのか?≫
≪……否≫


 その一言はウィジアン語で、「何でもない」や「やっぱりいい」のような意味を持つ。フルーラはその内容を少し気にして問いかけようとしたが、やはり聞かないでおいた。


≪汝ら 赴く?≫
「ん?ん〜……うん。ルーディンに用があるから」


 六香と梨音はウィジアンの言葉を理解し始めたようだが、夕鷹はまだよくわからない。椅遊の時よりも大雑把に解釈して、勝手に話を進める。すると合っていたらしく、ウィジアンは続けた。


≪ラトナ 有する者≫
「へ?俺?っていうか、よく俺がラトナ持ってるってわかったなぁ……」
≪今 赴く 危うし。ルーディン また然り。急げ ラトナ≫
「って、俺はラトナじゃないって……、…………ん?」


 ――ふと、何かが引っかかった。言葉を止めた夕鷹をよそに、フルーラが問い掛ける。


≪ルーディンが危険?どういうことだ?≫
≪不明。其の眼 見る≫


 ただ危険ということしかわからない。汝の眼がそれを見るだろう。――大地に張り巡らせた感覚を通して敏感なウィジアンがそう言うのだから、恐らくその「危険」は普通のものではないだろう。フルーラは嫌な不安を覚えた。


≪ならば急ぐか、フィスセリア島へ。ウィジアン、私達をフィスセリア島に送ってくれないか?お前ならできるだろう?≫
≪無論。……然るにソレ 我が幻。故に 我に 劣る。場所 不確定≫
「「??」」


 ウィジアンが初めて長々と喋ったが、やはり何を言っているのか理解不能だ。夕鷹と椅遊が顔を見合わせて首を傾げると、六香が仕方なさそうに翻訳してくれた。


「幻は実体より力が弱いから、ワープ?した時に何処に出るかわからない、って言ってるんじゃないの?多分。アタシは別に気にしないわよ?早く着けるんだったら、そっちの方がいーし」


 それから、六香は少し暑く感じるようになってきた綿ジャケットのファスナーを開いて、ウィジアンにそう言った。それを見て、他のメンバーも思い出したように防寒具の完全装備を少し崩す。雪が降らなくなったからか、走ったからか、先ほどよりも温かい。


「……ボクも、それでも構いません」
「うん、俺も。ってことで、送っちゃっていーよ〜」


 三人の意見が合致して、軽い声で夕鷹が快諾するその隣で、椅遊は、夕鷹とはまったく正反対の気持ちで立っていた。

 今、自分達が向かうのは、ルーディンがいるというフィスセリア島。自分が今まで彼らと一緒に旅をしてきたのは、ルーディンに会うため。
 だから、ルーディンに会ってしまったら――


「あれ、椅遊?」


 一人黙り込んでうつむいていた椅遊は、声をかけられてはっと我に返った。顔を上げると、不思議そうな夕鷹と六香、少し離れたところからコチラを見ている梨音が見えた。
 椅遊は慌てて首を横に振って、小さく微笑んだ。何処か無理したふうの椅遊に三人は少し気にかかったようだが、今はルーディンに会いに行くのが優先だ。三人はウィジアンに向き直った。


≪ウィジアン、頼む≫
≪……了承≫


 頃合いを見て、フルーラがウィジアンに言った。ウィジアンは了承の合図に1つ瞬きをして、すっと紅い瞳を閉ざした。
 すると、『彼』の持つ、この大陸の情報がぎゅうぎゅう詰めにされた黄珠が光を帯びて起動する。頭に流れ込んでくる情報群の中からフィスセリア島の情報を抜き出し、そこで初めて、ウィジアンは己の力を解放した。

 閉ざした瞼の裏に、大地に張り巡らせた感覚を通して、大陸全土の無数の情景が浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。黄珠から引き出した情報を参考に、たくさんの景色からその場所を選択した。そして、自分の目の前にいる五人とその場所とをリンクさせる。
 ウィジアンが紅眼を開くと同時に、リンクさせたその経路に、「彼ら」というものが流れ始める。すーっと透けてきた自分の手のひらを見て驚く彼らに、ウィジアンは、


≪無事 祈る≫


 得体の知れない危険が待つ未来を歩む彼らに向かって、一言そう言った。


 ……………………


  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



 ――自分が透けていったことは覚えている。
 気が付いたら、からっと晴れた、視界いっぱいの青空が広がっていた。
 それから、その空に伸ばした自分の腕。青い空に溶け込んでいた輪郭が、だんだんはっきりしてくる。

 気温が低くないことと冬独特の濁った空ではないことから、ココがセルシラグではないのだと悟り、本当にワープしたのだと実感した夕鷹が、ウィジアンってすげーな……と、明確になっていく輪郭を見つめながらそう思った時。
 ずしりとかかった、妙な束縛感。ふわふわと理由もなく漂っていたところを突然拘束されたような、嫌な感じ。
 しかし、この感じは知っている感覚だ。そう、この枷の名は、慣れ親しんだ――


(……って、ちょっと待て?)


 嫌な予感。枷の名を思い出して、すべてが繋がった。この束縛感も、ふわふわしている理由も。
 こういう時のお決まりのパターンといえば……、


「えっ、ちょっとぉー!!?」
「〜〜っ!!」


 夕鷹が気付いたのと同時に、すぐ傍で、六香の悲鳴と、椅遊の声無き悲鳴。それが引き金だったように、突然、浮遊感が消え去った。


「やっぱりーー??」


 声さえも置き去りにして、見えない手にぐいっと引っ張られるように、送られた場所――上空というより高空といった方がしっくり来る、半端なく高いところから、全員は真っ逆さまに落下していく。今なら隕石にもなれる気がする速度で落下していく。


≪ウィジアンも、とんでもないところに転送したものだな……≫
「空気読みなさいよー!! しみじみ思ってる場合ーっ!?」


 フルーラの動揺していない口調と場違いなセリフに、六香が泣きそうな声で突っ込んだ。


「第15章、『拒絶の守護』発動」


 そんな中、もはや当然のように感じられる、動じていない梨音が、このままだと地面に衝突する前に空気摩擦でやられると冷静に分析し、全員を大きく囲めるくらいの規模の『拒絶の守護』を展開した。物理攻撃に耐えるには少し薄いが、空気摩擦程度なら、恐らくギリギリで持つだろう。
 落下する過程で頭が下向きになった夕鷹が、同じ体勢をしながらもいつも通りの表情の梨音に問いかけた。


「梨音〜、魔術でどーにかできない?」
「……無理。そんな便利な魔術なんてないよ」


 梨音は目を閉ざして淡々と事実を答えた。だが、この状況を一転させることができるのは魔術くらいしか思いつかず、夕鷹は地面と逆さまの状態で器用にアゴに手を当てて言う。


「何かを応用するとかさ」
「……応用できそうな魔術もないよ」
「んじゃ即席で」
「……魔術は、そんなすぐに作れないよ」
「ん〜〜…………はぁ。残った選択肢は死?」


 思いついたのをどんどん提案してみたが、ことごとくダメ出しされた。何か残っていないかと考えてみたが、もうすべて出し尽くして、ない。
 生死の問題であるのに、普段のような困った声でそう言った夕鷹に、やはりすぐに六香が大声で怒鳴った。


「ちょっと夕鷹ッ、縁起でもないこと言わないでよっ!!」
「あ、ごめん……」
「っていうか何でアンタ達、いつも通りなのよ!アタシ達、死にそーなのよ!? あああアタシ達どーなんのっ?どーなるの〜!!?」
「ぺっしゃんこかなぁ」
「夕鷹ッ!!! アンタダイジョブ?ダイジョブ!? 平然と何言ってんの!? 頭に血上っておかしくなったんじゃない?!」
「それは六香じゃないの?」
「よけーなお世話よッ!!」


 逆さまの状態でよくそんな音量の声が出せるなぁ、と夕鷹は笑いながら思った。頭に血が上ってもおかしくない逆さまの状態で、六香も恐らくそうなっているんだろうが、自分はいつも通りだ。

 何かいい方法はないかと、近付きつつある地面を『見上げながら』、梨音は考える。〈ガルム〉を喚んだとしても、さすがに全員は乗せることはできない。あと、残っているのは――、


(……アレ、か……)


 〈ガルム〉を喚ぶのよりも消耗が激しいから、あまり使いたくなかったのだが……今はそんなことを言っていられない。梨音は長い溜息を吐き、すぅっと息を吸った。


「……魔界の女王〈ヘル〉を召喚する」


 不思議にも、その声は、ギャーギャーと騒ぎ合っていた六香達の方まで透き通るように響いた。皆が梨音を振り返った時。



  ――ふふっ、アナタがワタシを呼ぶなんてね



 小さな少女の楽しそうな笑い声が、梨音の耳に届く。


「……好きで呼んだんじゃないよ」



  ――あはっ、じゃあ聞くね。『アナタは、死をどう思う?』



 少女のからかう声を梨音が冷たく跳ね返すと、少女の声はそう問う。梨音は記憶を探るように、一度、目を閉じた。


「……『普段、あまり意識しない隣人』」


 記憶の山を掘りあさって見つけた懐かしい言葉を、ふわりと風に乗せる。
 すると、〈ガルム〉の時と同じように、見たことのない文字の並ぶ漆黒の召喚陣が、落下していく梨音の隣にぴったりくっついた状態で展開していく。全員の注目が集まるそこに、一人の少女が、梨音と同じく逆さまの状態で現れた。

 暗い紫色の髪と、血のように紅い瞳を持つ少女だった。外見は、梨音と同じくらいだろう。幼い容姿に似合わず、何処か気品の漂う表情と立ち姿。その姿は霊体なのか、何処か儚げに揺れている。
 『彼女』は梨音を見るなり、予想通り、年相応でない口調で笑った。


≪ふふっ、久しぶりね、魔術師さん。相変わらず悲しい顔ね≫
「……一言余計だよ。〈ヘル〉、ボクらを」
≪わかってるわ、見ればすぐだもの≫


 梨音の言葉を途中で遮り、少女〈ヘル〉はくるりと体の向きを逆転させて、頭を空へと向けた。

 遠くに見えた地面が、瞬く間に一気に近付いてくる。梨音を除いた四人が慌てた声を上げる中、〈ヘル〉は両腕を、まるで何かを迎え入れるように広げる。
 その途端、

 ふわっと、体が軽くなった。一気に落下速度が緩んでいく。


「えっ……?」


 六香が違和感を感じて声を上げた。その、突然宿った浮遊能力で体勢を立て直し、天使が空から舞い下りてくるようにゆっくりと地面に下り始める。
 先ほどの浮遊感とは少し違う、不思議な感覚。コレは、体そのものがまるでないような――


「…………って……、うぎゃーーっっ!!!?」


 まさかね。そう思って、何気なく自分の手のひらを見て六香は、我ながらとんでもない声で叫んだ。
 自分も〈ヘル〉と同じく、手のひらが透けていた。そう、それこそ、実体のない幽霊のように。
 六香は幽霊が大の苦手だ。そんな大嫌いのものに自分がなったことが、彼女にとっては悲鳴モノだったようだ。


「……〈ヘル〉は霊の支配者なので、一時的に物を霊体することも可能です。その力で皆さんを霊体にしました。後で戻れるので、大丈夫です。コレで着地でき――」


 途中で梨音の説明が途切れたのは、気にならなかった。ただ彼の声を聞いて、六香は皆はどうなのかと思い立った。
 他の皆を見てみると、まず目の合った椅遊も半透明になっていた。椅遊はきっと大丈夫、そんな感じの、少し不安の残る笑顔で答えた。フルーラも、いつもの銀色の光がすっかり空色に溶けてしまっている。梨音もまた、同じだ。

 ――だが、梨音だけは少し違った。
 六香ですらあまり見たことのない、驚愕した顔。梨音は、目を大きく開いて六香の隣を凝視していた。
 え?と、六香は梨音の驚いている理由を知ろうと、横に目を投げて。


「……え……?」


 真っ白な光が、目に突き刺さった。


「そうか……」


 梨音の、一人納得した声がした。

 それが何なのかわかるのに、少し時間がかかった。真っ白な光に重ね、ぼんやりと見て取れた無造作な髪型の輪郭で、初めてわかった。
 全員が霊のように透き通っているのに、夕鷹だけ、白く輝くシルエットをしていた。姿が薄まるどころか、むしろ、明度を増している。夕鷹自身も、困惑した顔で自分と、椅遊や六香を見比べていた。
 そんな夕鷹を見て、〈ヘル〉は驚いた顔をしてから、突然、極端に可笑しそうに笑い出した。


≪あははっ!! なるほどね。アナタ、こんなとこにいたのね!≫
「っ……〈ヘル〉!!」


 放っておけば何を口走るかわからない〈ヘル〉を、梨音が、珍しく慌てたように止めた。しかし〈ヘル〉は、さらに可笑しそうに笑って梨音を見る。


≪そしてコレは、すべてアナタの仕業ってわけね≫
「〈ヘル〉っ!それ以上、喋ったらっ……!!」
≪ふふ、どうしてくれるの?≫
「……っ」


 勢いで口走った言葉に、〈ヘル〉が面白そうな笑みを浮かべて聞いてきて、梨音は、何も言い返せなくなってしまった。
 魔界の住人ガリアテイルと空界の存在の立場を見れば、圧倒的に魔界の住人ガリアテイルの方が優位にある。相手の力を必要としているのは空界の存在だけで、魔界の住人ガリアテイルは空界の存在を必要としていない。契約を破棄されても、彼らは痛くも痒くもないのだ。

 一方、椅遊と六香とフルーラは、三人で顔を見合わせた。もちろん、らしくない梨音の反応についてだ。
 梨音が感情的になるところなんて、初めて見た。そのせいか、お互いに驚きを隠し切れていない。

 その間に五人は、〈ヘル〉の力によってふわりと森の中に着地した。同時に、透けていた体がはっきりとしてくる。夕鷹の真っ白いシルエットも、一緒に消えていく。梨音が隣に立っている〈ヘル〉を睨むように見据えると、〈ヘル〉はクスクス笑いながら、自分の足元に空いた漆黒の召喚陣に吸い込まれていった。



 ――沈黙が痛い。
 夕鷹も、何処か気まずそうに、梨音を除いた全員の顔色を窺っている。その時に椅遊と目が合いそうになって、彼は慌てて目を逸らした。


「……ね、ねぇ……イオン?」


 六香が恐る恐る、黙り込んでいる梨音に話しかけた。その思い切った行為を、椅遊がはらはらと見守る。

 ――聞けなかった。アレは、何だったのかと。
 全員が霊体になっている中、一人だけ、真っ白になった夕鷹。
 それに気付いた〈ヘル〉が言いかけた言葉に、過剰に反応した梨音。

 ……何が、どうなってる?


「……すみません」


 六香の声に、梨音は申し訳なさそうに、静かに頭を横に振った。


「……言えません。……すみません」
「…………うん。ごめん」


 何も説明できなかった。彼女達には。
 梨音が小さく頭を下げるのを見て、夕鷹も小さな声でそう謝った。そんな二人に、六香は慌てて手を振った。


「別に、アタシはっ……」


 そう言いかけて、言葉を止めた。

 ――アタシは……何?

 気にしない、とでも言うの?
 嘘つき。本当は、気になって仕方がないクセに。
 あの時、自分達と違った夕鷹。まるで――同じ人間じゃないようで。

 思えば、夕鷹には不自然な点が多すぎる。時たま物凄く身体能力が上がったり、1週間モノの傷が丸1日程度で完治したり。
 なぜ?答えは簡単。何かはわからずとも、ただ認めてしまえばいい。


 ――彼が、自分達と違うってことを。


「……行きましょう。ココがフィスセリア島なら、ルーディンが近いはずです。……フルーラさん、ルーディンが何処にいるかわかりますか?」


 その重苦しい空気から逃げるように、梨音がくるりと背を向けた。声をかけられたフルーラは、≪あ、あぁ……≫とぼんやりした返事をした。


≪すぐそこだ。この森を出たところから感じる≫
「んじゃ、さっさと森から出て、ルーディンに会っちゃおーよ。……そーすれば、全部、終わるんだ」


 その言葉には、何処か、悲しげな響きがあった。夕鷹は、表情を隠すように椅遊達を背にし、梨音と一緒に歩き始める。


「ぁ……」


 離れていく二人。一歩一歩、離れていくその背中達に、椅遊は手を伸ばした。呼び止めようと、口を開く。
 ――しかし、結局、何も言えなかった。空しく伸ばされた手が、静かに下ろされる。


(ゆたか……りおん……)


 何も言えない自分がもどかしくて、苛立つ。椅遊は、同じく呆然と佇んでいた六香を突付いて、気付いた彼女に微笑んだ。それから手を引っ張って、夕鷹と梨音を追う。フルーラも、無言で続いた。



 その先に、何があるのか。
 見当なんて、当然、つくはずがなくて。





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