→→ Madrigal 8

 耳に入る鳥の鳴き声に、朝なのだと知る。しかし、この心地良いまどろみから抜け出したくなくて、布団をかぶって縮こまる。
 数分後、ようやくむくりと起き上がる。座敷の上に寝ていた夕鷹が眠い目を擦りながら辺りを見渡すと、この小屋内唯一のベッドに梨音が、それぞれ思うところに寝そべる六香と椅遊、フルーラの姿が見える。


「あ、夕鷹さん。おはよう〜」


 布団を除けて立ち上がり、窓から差し込む朝日に目を細めた時、まだお休み中の小屋内で、音量を抑えた少女の声が聞こえた。
 声がした方を見ると、ドアのところに、陽光のような綺麗な山吹色の髪の少女が立っていた。年は、梨音の1つ下だ。
 そして、朝日で一層輝いて見える、金の双眸。彼女もまた、夕鷹と同じ《バルシーラ》だ。それで夕鷹は彼女を放っておけなくて、暇があれば定期的に遊びに来ていたりする。彼女はここグランで生まれ育っているので、夕鷹が受けてきたような扱いはほとんど受けたことがないが。

 少女は、数種類の野菜の入った籠を持っており、夕鷹がコチラを向いたと見るなり、にっこり優しく微笑んだ。その見知った少女に、夕鷹は笑い返した。


「っはよー、明燈アキヒ。ソレ、朝飯の材料?」
「うん、そう。えーっとね……あ、野菜炒めとかいいかも!」


 今から朝食のメニューを考え始めたこの少女は、樹生明燈キリュウ アキヒ。両親がおらず、グランのジェノス郊外で一人暮らしをしている。
 よって、明燈には金銭を得る道がない。家で内職をしているらしいが、それだけで生活費を賄えるわけがなく、ご覧の通りの質素な生活をしている。

 明燈と知り合ったのは、夕鷹が梨音と二人でアチコチをぶらついていた頃の話だ。たまたまグランを通りかかった時、同い年くらいの男子にいじめられていたのを二人が助けたのだ。それ以来、明燈にとって、夕鷹は自分の兄か父みたいな存在になっている。
 昨夜、泊まるところのあてがなく、眠るところだったこの彼女の家に押しかけてしまったのだが、明燈は逆に喜んで招き入れてくれた。

 明燈は、籠の野菜を小屋の真ん中にあるちゃぶ台の上に置いた。夕鷹もちゃぶ台の前に座り、不意に何か思い出したらしく手を打った。


「あ、そーだ、明燈」
「何?」


 夕鷹はジャケットのポケットをあさって、探り出したものをぐいっと引っ張り出した。出したのは、中にたくさん何かが入っている袋だった。それをちゃぶ台の上に置くと、かすかにジャラリと中のものが金属音らしい音を立てた。


「えーっと、前来たのが……1年前になっちゃうか。ゴメン、ちょっと遅れた。はいコレ」
「えっ……もしかしてお金?」
「今更聞くこと?」
「で、でもいらないもん」


 恐らく結構な額が入っている袋を、明燈はブンブンと首を横に振って拒否した。なぜなら彼女は、夕鷹の金の調達先を知っているからだ。


「まぁ確かに、汚れた金かもしんないけど、全部綺麗事で生きていけると思うなよ〜?特にお前は、親いないんだしさぁ」
「で、でもでも」
「いーからいーから。どーせ貴族ってのは、ちょっとくらい盗ったって生活に困らないしねー。いろんなとこに金庫隠し持ってるし。そんな額でも、お前は結構いろいろできるだろ?」
「…………ば、バチとか当たったりしない?」
「ん?あー、そーだなぁ……ま、当たるにしても俺に当たると思うから大丈夫」
「! じゃあいらない!」
「ええー?? って、ちょっと待った待った!」


 考えなしにそう言った途端、明燈は金袋を掴み上げて、窓の外へ放り投げる体勢をとった。夕鷹は慌てて明燈から金袋を取り上げ、安心したように息を吐いて、ちゃぶ台の前に再び落ち着いた。


「何も捨てることないだろ〜、もー……大丈夫だって。バチなら当たんないよ。……これ以上、そんなのいらないし」
「え??」
「ほいコレ。次、いつ来れるかわかんないから、ご利用は計画的に〜」


 夕鷹は明燈の手を掴んで、その手のひらにポンと金袋を置いた。なんだか丸め込まれたような気もしたが、明燈は少し躊躇してから「……うん……」としぶしぶ受け取った。


「……おはようございます、明燈さん……」
「わっ!」


 とりあえず金袋を自分の横に置いた時、真後ろから声をかけられて、明燈はびっくりして振り返った。
 まだ眠そうな梨音が、自分のすぐ後ろに立っていた。が、フラフラしていて不安定である。どうやら、かろうじて立っているようだ。

 梨音の姿を見るなり、明燈がなんとなく、わたわた慌て始めたように見えた。


「お……おはよう、梨音君っ」
「あ、梨音おはよー」
「……おはよ、夕鷹……」


 梨音はトボトボ歩いてきて、崩れるように夕鷹の正面の場所に膝をつくと、ちゃぶ台に倒れかかり、半分夢を見たまま目を擦る。


「……眠い……」
「え、えと、梨音君、もうちょっと寝てても……」
「……大丈夫、です……」
「でっ、でもでも、昨日の話聞いたから……その、む、無理しないでねっ」
「……はい……」


 つっかえる言葉をなんとか紡ぎ切った明燈が、嬉しそうにぐっと小さくガッツポーズするのが見えた。夕鷹はよくわからないが、彼女は梨音に話し掛ける時、結構途切れ途切れになる。自分と話す時は流暢なのに。


「ん〜っ……ふわぁ、よく寝た〜!あ、みんなおはよ!」


 と、気持ち良さそうに理想の起き方をしてきたのは六香だ。大きく伸びをしながら、寝起きだというのに、軽快な動きで皆の集まるちゃぶ台に集い、ポーチから櫛を取り出して寝乱れた髪を梳き始める。
 その六香を見つめて、明燈は「えっと……」と少し考え込んだ。


「えっと……り、り……リカさん?」
「え?あ、まだ自己紹介とかしてなかったっけ。リカじゃなくて六香。少しの間だけど、よろしくね」
「あ、ワタシは明燈です〜。それから、おはよう六香さんっ」
「あは、明燈ってカワイイね〜!おはよっ!」


 六香は、知らない人ともすぐに打ち解けるタイプだ。明燈も明燈で朗らかな物言いをするから、尚更打ち解けやすかったらしく、二人はまるで友達みたいにそう話した。


「六香おはよー。んじゃ、あとは椅遊とフルーラだけか」
≪私はすでに起きているぞ≫
「あれ、いつ起きた?」
≪お前が起きた辺りだ≫
「え、マジ?」


 温かそうな毛布に包まっている椅遊とフルーラの方を見てそう言うと、寝ていると思ったフルーラから返答があった。どうやら、一緒に布団の中にいる椅遊を気遣って、あえて布団から這い出てこなかったらしい。フルーラらしいな、と夕鷹は小さく笑った。
 そこで明燈が「あ!」とパンと手を打って、おかしそうに笑った。


「お喋りしてて忘れてたっ。ワタシ、朝ご飯つくるね!」


 「てへへ」と笑って、明燈はそこから立ち上がって、小屋の台所に立つ。その明燈の行動に、夕鷹と六香が気をとられた時。


「……フレイは、ジェノスの北側……レグスフリア山脈に住んでいるとされています」
「あ、梨音、完全に起きたんだ」


 先ほどまでまだ虚ろな目をしていた梨音が、突然いつもの口調で話すのが聞こえて、明燈に目をやっていた夕鷹が彼を振り返った。


「……レグスフリア山脈はそれほど高くないですし、フレイはふもと付近に生息してます。それに、フレイは非常に人懐こいです。……ですから、捕まえるのは簡単だと思いますが……」
「絶滅してて、1匹もいないって可能性もあるわけね」
「……そうです」


 自分の言葉を先読みした六香の答えに、梨音は1つ頷いた。


「……その場合は、歩いていくしかありません。グランから、海を隔てて向こうにあるセルシラグまで……」
「……遠いわね。時間もかかるし。それまでに持つの?アタシ達もだけど……ホラ、あの子とか」
「…………あんまり、自信はないです」
「そっか……」


 それきり、二人は黙り込んでしまった。一人だけついていけていない夕鷹が、「ん?え?」と二人を交互に見る。


「何でいきなり黙り込むわけ?」
「……わからないって幸せだね」
「相変わらず呑気ね〜、あんたは……」


 梨音と六香、両者に呆れた様子で言われて、夕鷹はわけがわからず「んんー?」と不思議そうな目で二人を見た。

 台所の方から、野菜を炒める音が聞こえる。どうやら予告通り、野菜炒めにするらしい。
 明燈のつくる食事は極上だ。12歳という、まだ幼い分類に入る年の少女なのに、料理の腕前は大人顔負けである。グランに来た時は、何よりもまず明燈のご飯が楽しみだった。


≪椅遊、起きたか?≫


 夕鷹が朝食が出来上がるのを楽しみに待っていると、フルーラのそんな声がした。


「椅遊、おはよー」
「……椅遊さん、おはようございます」


 身を起こした椅遊に、夕鷹と梨音が言う。椅遊は眠たげな目でコチラを見て、ぼんやりとしたまま軽く頭を下げた。「おはよう」と動作で言っているらしい。
 椅遊はのそのそ毛布から出てきて、少し寒そうに腕を摩りながらコチラにやって来る。


「寒いの?ってか、その格好じゃなぁ……」
≪椅遊、まだ毛布をかぶっていた方がいいんじゃないか?≫


 ちゃぶ台の四方は、ちょうど椅遊の方に向いているところが空いていた。さっきまで明燈がいた場所だ。
 座り込んだ椅遊の傍に、フルーラが毛布を咥えて引っ張ってきて言う。椅遊は素直にそれを聞いて、毛布を羽織った。

 それからなんとなく顔を上げた時、正面の六香と目が合った。六香は何処となく気まずそうに慌ててそっぽを向き、椅遊は寂しげな顔をして目を逸らす。
 目の前で交錯する気詰まりな雰囲気に気付き、夕鷹は「あ〜……」と困ったように頬を掻く。同じく気付いているだろうに、梨音は気付かないフリだ。フルーラはやはり昨日の件のせいか、六香に向ける目が妙に険悪だ。

 全体的に空気が重い。ムードメーカー的な存在の夕鷹でも、今度こそお手上げだった。


「お待たせっ、野菜炒めできたよ〜!」


 その状態を救ってくれたのは、野菜炒めをのせた皿を両手に持って戻ってきた、明燈の陽気な声だった。夕鷹は「お〜!」と無駄に歓声を上げて、この空気を流そうとする。
 ちゃぶ台に皿を置いた明燈は、そこで椅遊がいることに気付いた。「あっ」と声を上げ、記憶を探るように目を上に向ける。


「え〜っと…………何さん、だっけ?」
「椅遊、だよ」
「あっ、そうそう!椅遊さ……あ、ワタシ、明燈です。椅遊さん、おはようっ」


 ちゃんと自分から名乗ってから、明燈は椅遊に微笑みを見せた。椅遊もつられて微笑んで、固かった表情がほぐれる。
 と、そこで、思った通り、明燈が「あれ?」と不思議そうに目を瞬いた。すかさずフルーラが説明を入れる。


≪椅遊は喋れないのだ。椅遊の言いたいことは私が通訳する。心配は無用だ≫
「ふえっ?この狼さん、喋った!?」


 その途端、明燈はフルーラが喋ったことに驚いた。明燈はフルーラにずんずん近寄って、思わず退こうとしたフルーラに飛びついて、『彼女』を捕まえる。


「わーっ、すごいすごい!ねぇねぇっ、狼さん、お名前はっ?」
≪ふ……フルーラだ……≫


 明燈に頬をスリスリされながら、フルーラは少し迷惑そうな口調で言ったが、振り解かない辺りを見ると、まんざら嫌でもなさそうだ。










「うんっ、おいしかった!ありがとね、明燈っ」


 最後に残っていた味付けしてあるキャベツを食べ、夢茶で口を潤してから六香は笑って明燈に言った。明燈は「えへへ、よかった〜」と照れた笑顔を見せる。
 まだ食べている椅遊も、明燈に手をブンブン振って彼女の気を引かせて、笑顔でぐっと拳を握った。≪おいしい、だそうだ≫とフルーラが訳して伝えると、明燈は「そんなぁ〜」とさらに照れて、お盆を抱いて軽くステップを踏み始める。


「だよね、おいしいよね!」


 同じ感想を明燈にした椅遊に六香が同意を求めてそう言うと、椅遊もうんうんと笑顔で頷く。
 明燈の作った朝食を食べ始めたら、こんな和やかになったのだ。先ほどまでのあの険悪な雰囲気が嘘のようだ。それだけ明燈のご飯が二人の口に合ったのだろう。


「明燈のご飯ってスゴイなぁ……」
「……確かにおいしいけどね。……ココまでとは思わなかったよ」


 キャベツがどうだとか、ピーマンがどうだとか、なんだか細かい材料の話をしている二人の間を縫って話し、すでに食べ終わっていた夕鷹と梨音は同感しあった。
 質素なメニューなのに、なぜだか絶品の味を誇る明燈の料理。宮廷に仕える料理人にでもなったらいいんじゃないかと思うのだが、明燈は今の生活が好きらしい。

 食べ終わった椅遊がパンっと手を合わせて、笑顔で一礼した。「ごちそうさま」と言っているのだろう。
 そういえば、自分達が食べている間、ずっと傍に立っていた明燈に、六香が気付いた。


「あれ?明燈は朝飯、食べないの?」
「あ、ワタシは後で食べるから大丈夫っ」
「どーせまた、作り忘れたんだろ?」
「えへへ、バレた?」


 完全に意中を射ている夕鷹の答えに、明燈は頭の後ろに手を当てて恥ずかしそうに笑った。
 明燈はお客が大好きなので、お客が来ると、自分のことを忘れていることが多い。夕鷹達が訪れた時も、しょっちゅう自分の分を忘れて作っていた。


「そんじゃ、メシも食べたし、レグスフリア山脈に行くかぁ」


 と、夕鷹が立ち上がりながら何気なく言った言葉。それで椅遊と六香は先ほどの雰囲気を思い出したのか、はっとして途端に気まずそうに二人一緒に顔を背ける。


「……夕鷹」
「いやぁ……ねぇ?」


 梨音の刺さる視線に押されて、自分の一言で元に戻ってしまった二人に夕鷹が声をかける。すると突然、六香が立ち上がった。


「じゃ、さっさと行こっ。フレイって鳥を自分の分、捕まえるのよね?」
「へ?あ、うん……まぁ……」
「明燈、泊めてくれてありがとね。ご飯、すっごくおいしかったよ♪」


 夕鷹がごもごもと言い切る前に、六香は彼の横を通りすぎて明燈に向かって笑い、玄関のところにある土間で脱いでいた靴を、そこに屈んで履き始める。


≪フレイか……久しく見ていないな。……ん?椅遊も行くのか?≫


 フルーラが椅遊にそう言うのが聞こえて、今度は椅遊を見る。椅遊はフルーラに向かって1つ頷いて、六香同様、明燈に笑顔を向けて、土間で靴を履く。
 明燈はぱちくりと六香と椅遊を見比べてから、答えを求めるような視線を夕鷹に向けた。夕鷹は「いや、まぁ……」と頭を掻く。

 隣に座った椅遊に、六香が驚いた顔をして思わず彼女を見る。コチラを見た六香に、椅遊は弱々しく微笑んだ。
 六香には、その微笑で何を言おうとしているのかがすぐにわかった。動揺を隠し切れず、六香は一瞬、傷ついたような表情を見せたが、すぐに顔を伏せて立ち上がった。それから、くるりと夕鷹達を振り向いて、あくまでもいつも通りを装って言う。


「ほらっ、夕鷹もイオンも!置いてっちゃうよ!」
「あ、うん……」


 夕鷹の生返事を聞いてから、六香は「おじゃましました〜」と、足早に小屋を出た。


(「仲直り、しないか」……か。椅遊らしいな……)


 椅遊の心情を読んでいたフルーラは椅遊の傍に歩み寄って、ちらりと彼女の顔を覗き込んだ。いつも微笑んでいるあの顔が、今にも泣き出しそうにゆがんでいた。しかし、涙を必死に堪えている。


(きっと、わけがあるんだ……わたしが、いま、りっかに、きらわれてるわけが)


 自分の内面で展開した力のおかげで、椅遊の心の声が脳に響いてくる。六香を信じている椅遊の一途な思いに、フルーラは、昨夜、自分が六香のことも考えずに言った言葉を思い返して、少し反省した。
 そう、きっと理由があるのだ。何か、こうなったきっかけが。


(それがわかるまで、ないちゃダメだっ……!!)


「…………ゆたか、りおんっ」


 心の叫びが最高潮に達したと思ったら、椅遊はすっくと立ち上がっていた。小屋のドアを開いて、心配してコチラに来ようとしていた夕鷹と梨音を振り返る。


「いこっ」


 それはそれは、夕鷹に負けないくらい綺麗な笑顔で。










「……強い人だね」


 バタンとドアが閉まるなり、梨音がそう言ってきた。


「うん、だな。意外と強い子なんだなぁ、椅遊って」


 一足先にフルーラと一緒に外に出た椅遊の、さっきの笑顔を思い返しながら、夕鷹が答えた。


「……あの笑顔、見た?夕鷹にも匹敵するくらい、完璧で綺麗な笑顔だったね」


 本当は、悲しくて寂しくて、仕方ないだろうに。
 つらさを押し殺した夕鷹の笑顔さながらの、寂しさを押し殺した椅遊の笑顔。


「でも、ホントに六香、何で椅遊を避けてんだろ?」


 「う〜ん……」と、夕鷹は六香の態度が変わった辺りの記憶を引っ張り出し、出来事を思い出していく。しかし、特にコレといったものは見つからない。


「…………ボクは、ちょっと心当たりあるけど」
「なになに?」
「……言ってもわかんないと思うから、言わない」
「ええー?何だよソレ」
「……夕鷹じゃ、到底無理の話だよ」
「ねぇねぇ、夕鷹さん、梨音君」


 夕鷹が「何の話?」と聞こうとした時に、明燈の声が割り込んできた。椅遊と六香の間に流れる空気と、今の二人の会話から大よその事情を掴んだ明燈が、コチラを向いた二人を見つめる。


「ワタシ、六香さんの心の中……なんとなくわかる気がする」
「……わかったんですか?六香さんと会って、数時間しか経ってませんが」
「え、えっと、えっと……」


 直接、口にしてしまうのは気が引けた。明燈はどうすればいいのか必死に考えて、はっと何かを思いついたように梨音を見た。明燈は、不思議そうに見てくる梨音の近くに寄り。


「…………た、多分、コレが絡んでるんだよねっ?」


 遠慮がちに梨音の服の袖を、ぎゅっと掴んだ。


「……?」


 その意味が読み取れなかった梨音は、明燈を見た。明燈はコチラを見た梨音に、ビクッと過剰に反応する。


「…………え、えと、そ、その……ち、違う……?」


 湯気が出ているかもしれないくらい、真っ赤な顔でそう聞いた。
 梨音はゆっくり、明燈と、掴まれている袖とを見返し、六香のことを思い出した。
 やがて、何かに気付いたように、ゆっくり目が見開かれていく。


「………………………え」
「……そ……そうなんです……」


 ようやくわかってくれたらしい梨音に、明燈は無意識に敬語で言ってうつむいた。手も下ろそうとするが、指先が固まっていて外れない。
 そのままの状態で、数分、時が流れた。


「…………明燈さん」


 少し動揺したが落ち着いてきた梨音は、小刻みに震えている手を外してあげた。すると明燈は声にならない悲鳴を上げて、そこにペタンと座り込んでしまった。


「……もう、行きますね」


 梨音は、目の位置が下になった明燈の頭に、ポンと手を置いてそう言い、くるりと身を翻し、土間の方へ歩きながら「夕鷹、行こう」と言う。
 夕鷹は、座り込んだまま硬直している明燈と、靴を履く梨音の背とを交互に見て、腕を組んだ。


「……んんー?」


 その様子をずっと傍観していたのに、夕鷹には、二人の間で伝わっているソレがさっぱりわからなかった。





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