→→ Madrigal 7


(夕鷹、遅い……)


 聖術の制御のために上げたままの腕が、重力で痺れてきた。気を抜くとすぐに下がりそうになる腕を片手で支えながら、梨音が後ろの気配を気にした時。


「お助けマン登場〜」
「遅すぎ」
「悪かったって。ホラ、ラトナ」


 ようやくやって来た夕鷹のふざけた言葉を、即その一言で梨音が一蹴すると、夕鷹は苦笑いしてジャケットのポケットから何かを取り出した。


「何だ、その石は……?」


 それは、角のとれた、手のひらサイズの白い石だった。一見、その辺の河原にも転がっていそうな石だ。
 ドアの辺りにいて成り行きを見つめていた波留が、夕鷹の手の上のそれを見て不思議そうに聞くと、夕鷹はそれを掲げてみせて説明した。


「ま、フツーは見たことないっしょ。アルテスと同類だよ。ラトナっていう、聖力のカタマリ」
「!」
「梨音〜、投げるぞー?」


 息を呑んだ波留をよそに、夕鷹は白輝石ラトナを掲げて梨音の背中に言った。この状況を見てなお、そんなことが言える夕鷹に、梨音は後姿だけでもわかるくらい大きな溜息を吐いた。


「……無理。普通に渡して」


 呆れ気味にそう頼むと、夕鷹は少しつまらなさそうな顔をしてから、室内に入って梨音にラトナを手渡した。受け取ると同時に梨音は疲れ切った腕を下ろし、今度は、ラトナを握る腕をアルテスに向け、夕鷹が来るまでに詠唱していた魔導唄グレスノーグを解き放つ。


「第3章、『五神聖霊の舞』発動」


 触れる肌から伝わった同じ属性の術に共鳴し、差し出されたラトナが白光を放ってその力を解放した。梨音の聖力とラトナの聖力が絡み合い、唱えられた聖術中最強の術は強大な力を得る。ガラス管の中にあるアルテスの周囲に5つの光の弾が現れ、それを繋ぐように1本の線が走り白い輪となってどんどん幅を増し、最終的には真っ白な光でアルテスを覆った。
 梨音の聖力で互角だったアルテスの魔力は、ラトナで強化された聖力にあっさり敗れ、漏出していた魔力を自分で抑え込めるくらいにまで弱まった。同時に、「制御不可能」という赤い文字を浮かべていた部屋の奥の機械のモニターから、その文字が消え去った。


「…………はぁ」


 弱まったアルテスの紫光とそのモニターの様子を見て、アルテスを完全に負かしたのだと実感すると、梨音は小さく息をついて、ペタンとその場に座り込んだ。


『あっ、センリさん!今、制御回復しました!』
『アルテスの魔力も、正常値に戻りました』


 そのすぐ後、制御室にある艇内放送で、安心した声の大洲と秋葉の報告が入った。波留は通路の上に設置されているスピーカーを見上げて、ホッとしたように強張らせていた頬を緩めると、梨音を向いた。


「だとさ。お前のおかげだ。ありがとう、助かった」
「……どういたしまして」
「それにしても、お前、魔術師だったんだな……魔術なんて初めて見た」
「……よく言われます」
「はは、だろうね」


 篝から、夕鷹達の話は聞いていた。フルーラが選んだ、椅遊の護衛だと。
 夕鷹と六香はわからないでもなかった。しかし、正直なところ、波留は梨音だけ納得が行かなかった。それは当然外見からの判断で、人は見かけに寄らない。今、彼が魔術師だと知って、波留はようやく頷けた。

 夕鷹は、立てなくなっている梨音の傍にしゃがみこんでラトナを回収し、それから立とうとしている彼に手を貸そうとしたがやんわり拒否された。自力で立ち上がろうとする梨音を見守る夕鷹。普段は、その冷静さ故か梨音が親のように見えるが、今はなんだか夕鷹の方が親に見える。


「私は制御室に戻る。艇内には個室がたくさんあるから、そこの小さな魔術師さんを休ませるなら、好きに使っていいよ」
「……梨音です」
「はは、そうか、梨音」


 「小さな」という形容詞が気に食わなかったらしく、そう訂正した梨音に、波留が笑いながら赤のマントを翻そうとしたところで、夕鷹が「あ、ハルサン」と彼女を呼び止めた。


「何でアルテスって暴走したの?しょっちゅうあるもんなの?」
「いや。暴走したのは、今回が初めてだ」
「んんー?じゃあ何で?」
「それが、まだわからないんだ。特に、環境が変わったわけでもないんだけど……」
「………………」


 不思議そうに言う波留を見て、なんとか立ち上がった梨音は室内のアルテスを振り返った。相変わらず負を呼び寄せるような紫色の光を放っているが、先ほどのようには脈打っていなかった。


(…… 魔 アルテス……)


 ―――――ガゴン!!!


「っ!?」
「何だ?!」
「あだッ!!」


 突然、方舟全体が強く揺れた。梨音と波留は動揺しながらも、とっさにそこにしゃがみこんで体を安定させる。夕鷹もそうしようと思ったのだが、バランスを崩してモロに壁に頭をぶつけた。


「……マヌケ」
「そんなの、とっくの昔に自覚してるよ……」


 呆れ声の梨音の一言に、夕鷹は側頭部を摩りながら返事をした。揺れは一度だけだったようで、すぐに立ち上がることができた。


「さっきのって……」


 夕鷹が言おうとしたのを遮って、廊下の艇内放送のスピーカーからけたたましい警報が鳴り出した。緊張感を誘うその音とともに、大洲の報告が入った。


『センリさんッ!! セルディーヌの後方から、何者かに攻撃されたみたいです!!』
「は!? ココは上空だぞ!一体、誰がっ……」
「私です」
「「「!?」」」


 波留の、誰にともなく言った言葉に答えたのは、背後からの女性の声。波留がばっと振り返ると、黒いスーツに身を包んだ女性が立っていた。
 栗色の長髪を、背中に結わずに流しており、濃い常盤色の瞳からは冷たい印象を受けた。左右に伸びた、白く長い耳。きっちり着こなしたスーツとその佇まいは、彼女がマジメな性格であることを表していた。


(あれ……?)


 ――不思議な感覚を覚えた。


(この人……)


「お前かっ、攻撃してきた奴というのは!」
「ええ。二ノ瀬夕鷹……そう名乗る人に、話があって」
「え、俺?」


 名前を出された夕鷹が自分を指差して反応すると、それでその「二ノ瀬夕鷹」が彼であることを知った女性は、視線を夕鷹に移して彼の容貌を眺めた。
 無造作な菫色の頭は、地毛なのか寝癖なのかよくわからない。のほほんとした雰囲気の、一見、何処にでもいそうな青年。


(……この子が)


 今、あの人の行く手を阻んでいるというのか。
 特に目立った特徴もない、普通の青年。戦闘能力は、どれほどのものなのかよくわからないが……今までの戦闘状況から、思い立ったら向こう見ずにすぐに行動する、かなり常識外れな奴だと察していた。


(なんて普通の子)


 ――まるで、自分達が異端の者のように思えてしまう。
 ふと、女性は夕鷹の顔を見て、はっと目を開いた。


「……金眼者バルシーラ
「あ、うん。……怖かったりする?」
「いいえ。金眼者バルシーラを恐れるのは、フェルベスだけ。私は見ての通り、セルシラグの者。セルシラグでは、ウィジアンが絶対の守護神。そのような話は耳にも届かない」
「そっか……」


 夕鷹は、少し表情を和らげて微笑んだ。拒絶されないというのは、凄く安心できる。
 「で、話って?」と、夕鷹が逸れかけた会話を戻すと、女性は夕鷹を見据えて言った。


「今からでも遅くない……ルーディンのところへ行くのはやめた方がいい。貴方達は、あの人の手のひらで踊らされようとしている……最終的に、すべてはあの人のシナリオ通りになる」
「へ??」
「ただ、最初考えたシナリオで違ったのは、貴方達の存在。その貴方達が足掻けば、あの人のシナリオを崩すことができるかもしれない……」


 女性の言葉をそこまで黙って聞いて、夕鷹は「えーっと……」と頭を掻き。


「ってことは、あんた敵さん?」
「………………」
「そこからか……」


 黙り込んだ女性の心中を察し、波留が嘆息して一言そう言った。


「……とにかく、今、ルーディンに会いに行ってはいけない。この言葉をどう取るかは貴方達の勝手。ただ、自分の選んだ道は後悔しないこと。それだけ」
「あ、待った。あんた名前は?」
「……馴れ合いのつもり?」
「いやぁ?俺、会った人の名前は覚えとくからさ」


 身を翻しかけた女性に夕鷹が聞くと、彼女は振り返らずにそう言ってきた。夕鷹の変な理由を聞き、女性は少し考える素振りをした後、もう一度、夕鷹を振り向いた。


「貴方は変、二ノ瀬夕鷹。何を考えているか、わからないところは……あの人に、そっくり」
「へ?何?」
「何でもない。……私の名前は天乃(アマノ)。今度会う時は、敵として」
「アマノサンね。そんじゃ、また今度〜」
「……やっぱり変」


 天乃はそう言うと、夕鷹の背後にいた、動力室のドアに寄りかかっている梨音を一瞥し、次に波留を見て軽く頭を下げて、来た道を戻り始めた。
 彼女の背が曲がり角で見えなくなると、夕鷹は腕を組んでうーんと唸った。


「敵さんには見えなかったけどなぁ……」


 今度、会う時は敵として――と言われたが、つまり、場合によっては対峙するということだろう。あまり彼女とは戦いたくないな、と夕鷹は思った。
 と、そこで波留が突然、「あッ!!」と大声を出した。


「そうだ、アイツが来たのはセルディーヌの一部壊されたからだ……!私は制御室に戻る!!」


 天乃の漂わす不思議な空気に呑まれていた波留は、彼女がココに来れたわけを思い出し、赤いマントを翻して慌てて制御室の方へ走っていった。


「そーいや、船が壊れたんだっけ?ってことは、アマノサン、空飛んできたってことになるけど……あ、ってことは、イースルシア城で上の方から椅遊をさらおうとしたのって、アマノサンなんだ。でも、うーむ……どーやって来たんだろ……?梨音、空飛べる魔術とかないよな?」
「……あったら飛空船なんてないよ。大体、あの人は、ボクみたいに魔術は使えないはずだよ」
「あ、そーだった……なんか魔術って、いっつも梨音が使ってるから、珍しいものだと思わないんだよなぁ……」


 夕鷹はしばらく、天乃が来れた理由をうーむと本気で考え込んでいたが、結局「ま、いっか」と投げ出し、波留を追って制御室の方へ歩き出した。
 梨音も夕鷹の後に続こうとして、ふと、背後を振り返った。先ほどまで、天乃が立っていた場所を見つめる。


「………………」
「っおーい、梨音〜?」


 ついてこない梨音を不思議がった夕鷹の呼ぶ声が聞こえた。梨音は無言で目を離し、夕鷹の方へ小走りで駆けていった。



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



 ―――大丈夫だと言い聞かせて戻ってきたが、本当は、物凄く不安だった。
 椅遊は、制御室のシートの上で膝を抱いて縮こまっていた。その足元には、フルーラが伏せている。

 記憶がない自分にも、わかる。突然、何の前触れもなく、目の前で人が消えるなんてあるわけがない。
 しかしあの時は、本当に、夕鷹が消えてしまうような気がした。行かせてはいけない気がした。


(ゆたか……)


 夕鷹は、消えていないだろうか。大丈夫だろうか。いや、大丈夫だ。消えるわけがない。
 そういうやり取りをもう何度も心の中で繰り返し、椅遊は、この大きな不安と戦っていた。
 なら様子を見に行けばいい話になるが、もし嫌な予感が的中していなくなっていたらと思うと、探しに行くにも行けなかった。その結果、今のようにシートの上で縮こまっている。

 一方、その様子を傍らで見ていたフルーラは、椅遊の不安を察していた。
 彼女の心の中に何度も浮かんでくる、「夕鷹が消えてたら」という言葉。あの時、恐らく椅遊は、自分には見えなかった何かを、夕鷹の背に見たのだろう。フルーラは、そう思っていた。
 椅遊もわかっているようだが、人は突然消えたりしない。とりあえず、それを言ってやろうと、フルーラは口を開いた。


≪ん……?≫


 声を発しようとしたら、鼻先を馴染みのある気配が突いた。……馴染みがある故に、ココに有り得てはいけない気配。
 はっとしてフルーラが椅遊を見上げると、彼女の周りを、黒い霧のようなものが取り囲んでいた。――いや正しくは、それは椅遊から発生していた。椅遊は気付いていないのか、相変わらず膝を抱いて顔を伏せている。


≪なっ……!? 椅遊!? 椅遊ッ!!≫
「ぇ……?」


 フルーラが大声で叫びかけると、椅遊はキョトンとした顔をゆっくり上げた。その頃には、黒霧は嘘のようにすっかり消え去っていて。いきなり焦った声を上げたフルーラを、椅遊は不思議そうな目で見つめる。


「な……何だ……今のは……」


 ふと、第三者の声がした。見てみると、ちょうど今戻ってきたらしい波留だった。
 波留は、椅遊を凝視して言葉を失っていた。どうやら波留も、先ほどの霧を見てしまったようだ。

 フルーラは、小さく嘆息した。


≪波留……さっきココに来て初めて知ったのだが、アルテスが暴走していたらしいな≫
「それは、そうだけど……原因がまだわかってないんだ」


 呆然とした目で椅遊を見てから、波留はフルーラの問いに答えながら歩いてきた。フルーラは、まだコチラを見つめてくる椅遊の空色の瞳を見上げて言った。


≪……その原因についてだが、どうやらわかってしまったようだ≫
「何?それは……」
「センリさん!破損した部分は、飛行にはとりあえず問題ないみたいです!」
「このままグランに着陸します。指示をお願いします」


 フルーラに聞こうとした波留の言葉を遮って、同じ制御室にいた大洲と秋葉がそう言ってきた。波留は面倒臭そうに舌打ちをして、フルーラに言う。


「後で、手短でいいから聞かせてくれよ。大洲、ジェノス付近の広い土地に着陸しな!秋葉、制御しくじるなよ!」
「「了解!」」


 椅遊は丸い窓を向いた。窓の外には、夕暮れの紅しか見えなかった。



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



「……椅遊が原因?何で?」


 グランの首都ジェノス付近にある森に着陸したセルディーヌから下り、木々を避けて歩きながら、夕鷹が目を瞬いて後ろのフルーラに問うた。天上は、すでに太陽が沈んだ後で、紺碧の空で星がいくつも瞬いていた。

 椅遊の横を歩くフルーラは、肩越しにコチラを見て聞いてきた、前を行く夕鷹の問いに答える。


≪ソリシャ村で魔王を召喚した時、椅遊は記憶を失っていなかっただろう?≫
「……そうでしたね。でも、それは契約上おかしいです。召喚術において、代価を差し出すことを拒否することはできないはず」
≪そうだ、おかしい。召喚獣はその力を奮う代わりに、召喚者に何かを求める。要するに、等価交換だ。だから、椅遊は記憶を奪われなかった代わりに、別の何か、記憶と同じ価値のあるものを奪われている≫
「……ボクも、そう思います。ただ、それが何なのかはわかりませんが……」


 夜風に変わり始めた風に首を引っ込めて、その後ろの梨音が同意して言った。皆で自分のことを話しているのだとわかったが、何について話しているのかわからなかったので、椅遊は黙って話を聞いていた。


≪コレは私の推測だが、恐らく、奪われたのは、召喚術の抑止力だ≫
「んんー?何ソレ?」
≪普段、魔王の召喚は、鎖のような抑止力によって抑えられていた。それは昔、王国軍所属の魔術師によって施されたものなのだが……それを解除し魔王を召喚させるのが、椅遊の術の詠唱文だ。抑止力は、今までは詠唱しなければ解除されなかった。しかし、その抑止力を奪われたことによって解除文は意味を成さなくなり、これからの椅遊は、感情の高ぶりに応じて術を展開するようになる≫


 ≪……それこそ、あの村を消し去った時のように≫と、フルーラは小さく続けて言った。
 抑止力――恐らく、あの〈扉〉にジャラジャラついていた鎖や錠のことだろう。


≪抑止力を失ったことで、椅遊は無意識のうちに魔王の魔力を少しずつ垂れ流している。少量でも、魔王直々の力は強力だ。それに同属性のアルテスが共鳴し、いきなり強い力を発し暴走したというわけだ≫
「それじゃ、アタシ達も危険なんじゃないの?感情の高ぶりって、いつ起こるのか全然わかんないし。巻き込まれて消えちゃうって可能性もあるわけよね?」


 先を遮った枝を押し退けて歩きながら、六香が何処か淡々とした口調でそう言った。突き刺さるような鋭い指摘に、椅遊はびくりと肩を震わせる。
 その歯に衣着せぬ物言いに、フルーラは短い沈黙の後、≪……確かに、ないとは言い切れないな≫と、妙に低い声で頷いた。
 それを聞くなり、最後尾を歩く六香が、口を開く。


「ソレって迷惑じゃない?記憶を奪われた方が、いろんな意味で安全だったのにね……」
「……?!」


 背後の六香の口から飛び出した予想だにしなかった言葉に、椅遊の表情が凍った。


「おい六香!?」
「六香さん、それは……」
≪六香、お前、何てことを……!!≫


 直後、立ち止まった他の三人が、一斉に先ほどの言葉を非難した。つられて足を止めた六香は、一瞬、気まずそうに顔をしかめて、すぐ顔を反らす。
 しばらくそこに立ち尽くしたまま、時間が流れる。四人の間には、何とも言いがたい緊迫した空気が漂っていた。

 その無言を裂き、梨音が六香を見上げて、静かに問い掛けた。


「……六香さん……どうか、しましたか?」
「……何でもないわよ」
「……でも実際、」
「ほっといて!!」


 「何でもない」と言っているのになおも追及してくる梨音を、六香は拒絶するように声を張り上げ、一人で先に進み始めた。夕鷹が梨音を見ると、梨音は小さく頷いて、一人で六香の後を追い出した。追わなければ見失ってしまうからだ。残した夕鷹には、椅遊とフルーラを任して。


≪何なんだ、アイツは!! 言ってはいけないことにも程があるぞ!!≫
「まーまー、フルーラ、そー怒んない怒んない」


 獣らしく咆哮を上げるフルーラを夕鷹はなだめながら、呆然と立ち尽くしている椅遊を見た。言われたのが、今まで仲良くしていた六香だったからショックが大きかったのか、彼女は愕然とした目で、もう森の奥へ紛れてしまいそうな六香の背中を見つめていた。
 その椅遊の頭をわさわさと撫でると、椅遊はその目のまま夕鷹を見た。悲しみよりも、今は驚愕の方が上らしい。


「……椅遊も、気にしない方がいーよ。六香は、本心からあんなこと思うような奴じゃないから。六香は、優しいから」
「……ゆ、たか……わたし……」
「ダイジョブだよ」


 小さく微笑んで、ただ頭を撫でる。されるがままの椅遊は、ただ、困惑していた。
 嫌われた理由に、心当たりがなかった。本当に、突然で。

 夕鷹は、六香の言葉を思い出して、自分が思ったことを小さく言った。


「俺には、何かに追い詰められて焦ってる……そんなふうに見えた」


 ……………………



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



「……で、終わり?それとも、まだやる?さすがに飽きてきたんだけど」


 バルディア首都ビアルドにある、軍人養成学院。その広い校庭で、猟犬ザイルハイド総帥の玲哉は、両手に1本ずつ持った剣の片方を肩にのせて、溜息を吐いた。
 彼の視線の先には、驚愕した表情で硬直している男性がいた。40代くらいの、褪せた青髪の厳つい男だ。確か、儀煉ギレンと名乗っていた。地位は……中将と言っていた気がする。
 ぼんやり思い出す玲哉の背後には、10人ほどの兵士が倒れていた。すべてそれなりの強さを持っていた者達だ。玲哉にしては珍しく、殺しはしていない。皆、昏倒しているだけだ。一方、玲哉は汚れ1つついていない。

 軍曹の霧磨が、「とんでもない奴が軍に入りたいと言っているのですが……」と言い始めたのが最初。他国出身だと聞き、当初は拒否し続けていたのだが、霧磨が「奴の実力をそのお目で確かめてから判断して下さい」と自信たっぷりに言ったので、試しにその者を連れてくるように命じた。そして今だ。
 儀煉は信じられないというふうに呆然と首を振り、はっと気付いたように玲哉の剣を指差した。


「き、貴様が双剣だからだ!卑怯だぞ!」
「あぁ、コレ?たまには違う武器でやってみようと思ってさ。ほとんど片方しか使ってないけど」
「いいから片方の剣を捨てろ!!」
「はいはい……」


 自分の意見に耳を貸さない儀煉に、玲哉はうるさそうに片方の剣を手放した。その潔さが逆に癪に障り、儀煉は背後にいた、一人残っていた軍服の男性を指し、荒々しい声で彼に叫んだ。


泰河タイガ!! 行け!」
「し、しかし……」
「怯むな!行け!!」
「しょ、承知しました……」


 泰河と呼ばれた兵士は、儀煉に逆らえず、仕方なく剣を抜いて儀煉の前に出て玲哉と対峙する。玲哉は、嫌々やらされている泰河を少し憐れんだような目で見た。
 恐らく、今まで倒されてきた兵士達の中で一番強いと思われる泰河は、玲哉の前に立って剣を構えた途端、目をキリリと緊張させ。


「やるからには、手は抜きません!!」


 玲哉に向かって走る。その速度は、速い。確かに、今までの兵士の中ではダントツの実力を持つようだ。玲哉は面倒臭そうに剣を肩に担いで、泰河の攻撃を迎え撃つ。


「はあッ!!」


 気合のこもった泰河の剣が、玲哉に向かって振り下ろされ一閃する。……が、すでに玲哉の姿はそこにはなかった。
 泰河が動揺して目を走らせた時、背後に回っていた玲哉が、彼の後頭部に無造作に剣の腹を振り下ろした。ゴンッ!という何とも気の抜ける音を立て、泰河は小さく声を上げて倒れ込む。

 玲哉は、近くにあった、イスにちょうどいい高さの岩に腰かけ、膝の上に頬杖をついて息を吐いた。


「はぁ……飽きた。オジサン、まだやるなら別の種目にしてよ」
「っのれ、こやつ……!!」


 その言葉に儀煉はわなわなと震え出し、自分の腰に差してある剣に乱暴に手を伸ばし、抜こうとした。しかし、そのまま切りかかりそうな儀煉を、スッと横から細い腕が遮って制した。


「落ち着きなさい、儀煉。貴方が出向いたところで、彼の前では無力です」
「止めるな紫昏シグレ!わしはこやつを叩かねば気が済まん!!」


 儀煉を止めたのは、肩くらいにまで伸びたオリーブ色の髪と、メガネの奥に澄んだ淡い蒼の瞳を持つ、ほっそりした……恐らく、男性だろう。中性的な容姿からは判別がつきにくいが、声はれっきとした男性のものだ。それでも、少し高い方だが。
 この男性は、雨見紫昏アマミ シグレ。確か、帝国軍の参謀だと言っていた。

 いくらか落ち着いてきた儀煉の前に差し出していた手を下ろし、紫昏は考えるように一度目を閉じ、すぐ開いて言った。


「私は、貴方を迎え入れようと思います」
「紫昏!?」
「へぇ、あんたは話がわかるね。じゃあ、よろしく頼もっかな」
「紫昏、何を言っておる!わしは反対だぞ!」
「儀煉、少し黙っててくれませんか」


 横から入るやかましい声に、紫昏は低い声でそう言った。武力も持たない彼の妙な圧力のあるその声に、儀煉はたじろぐ。


「ただし」


 紫昏の言葉によって自分の軍入りは決まったものだと思った玲哉は、その後に続いた言葉に思わず目を瞬いた。


「貴方は、他国の者です。密偵として軍にもぐりこもうとしているという可能性もあります。よって、しばらく様子を見ようと思います」
「ふーん……信用ないなぁ、俺」
「貴方でなくても、他国から来れば誰でも疑います」
「まぁいいや。その様子見が終わったら、入れるの?」
「はい」
「ならいいよ。で、何処にいればいい?」


 岩から立ち上がって玲哉がそこに剣を放り投げながら聞くと、恐らく今決めたのだろうが、紫昏はすぐに答えた。


「この学院の寮の部屋を、1つ空けておきます。退屈になると思いますが、私がいいと言うまでそこにいて下さい。食事なら部下に運ばせます。あと、寮の人間との接触は極力避けて下さい。わかっていると思いますが、万が一、寮の人間を巻き込むような事態を起こした時には、貴方の軍入隊は叶わぬものだと思って下さい」
「ご丁寧にどうも。……あ、もしかして知り合いとの接触もダメ?」
「当然です」


 ということは、しばらく夕鷹達や采達の動向を知ることができない。玲哉は少し困ったような顔をしたが、まぁいいかと簡単に済ました。
 儀煉は、面白くなさそうに玲哉を睨(ね)めつけ、何も言わずに立ち去った。自分の意見が通らないとすぐ機嫌を悪くする儀煉に、紫昏は大人げないと嘆息し……ふと気になって、玲哉を振り返り。


「ところで、貴方はなぜ軍を志望するのですか?」


 しかも、なぜ外国であるバルディア軍なのか。何気なく、そう聞いてみた。
 ――その途端に浮かんだ、玲哉の笑みに、紫昏ははっと息を呑んだ。

 にこやかな笑顔だった。なかなかの美形もあいまって、それはまさに、好青年を絵に描いたような笑顔で。
 しかし、立場上、心理の動きに敏感な紫昏には、それは――邪悪な笑みに見えていた。


(この男……)


 それは、純粋な欲望の輝きだった。その純粋さが結晶化した、完成された微笑。
 この男は、国ではなく、もっと先を見ている。
 もっと、もっと先を。


「世界のためだよ」


 その男は、その笑顔のまま、その答えを口にした。





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