→→ Madrigal 6
窓から見える地平線の景色が、眼下へ消えていく。青い空へ漕ぎ出した方舟内の広いブリッジで、椅遊はシートに座って外を見ていた。
セルディーヌの使用許可をフルーラがあっさりもらい、豪華な城内で一晩越して翌日の昼。ほぼ四角形の胴体に生えた鉄製の羽と、魔力を放つ石アルテスの出力によって、セルディーヌは重力から解き放たれ、地面から垂直に浮かび上がっている。
椅遊の隣のシートに腰をかけていた六香は、ブリッジの壁に大きく表示されているホログラムスクリーンを見上げて、感心した声を出した。
「へぇ〜、時代遅れのヤツかと思ったけど、推進力がアルテスだし、割りと最新の飛空挺ね。バルディアは、もー1つくらい高性能だけど」
黒煌石アルテスは、聖魔闘争時の産物といわれている。魔王の力が黒い結晶となって地に落ち、現代にまで残ったのだという。発見地同士の共通性がなく、今のところ見つかっている数も少数だ。
このアルテスが放つ魔力をエネルギーとして転換させる方法を、過去に、ある学者が発見した。それが現在の飛空挺や軍艦に応用されている。
≪イースルシアでは、アルテスは、まだこの飛空挺に使われているものしか見つかっていない。だから1機しかないのだ≫
「そーなんだ?バルディアだと、確か3個くらい発見されてたわね……ま、領土がデカイからね。で、それを4つに分けて、アルテスの数を増やしてるんだって。その分、アルテスの力も4分の1になっちゃうらしいけど」
≪多勢に無勢のバルディアらしいな……それにしても、軍艦の製造関連はすべて国家機密だろう?随分詳しいな?≫
「海凪から聞いたの。海凪の親、軍の人間だから」
フルーラと六香の難しい会話についていけず、椅遊は少し寂しそうな表情をして仕方なく輪に入るのを断念した。
なんとなくホログラムスクリーンを仰いだ椅遊の後方にいた人影が、すっと手を上げた。
「大洲、グランの方向へ進路をとりな」
「了解!」
偉そうな言葉遣いをしていたが、口調には何処か気だるげ雰囲気が漂っていた。しかも、女性の声だ。
椅遊が振り返ると、ブリッジの一番高いところにあるシートに座り、足を組んでいる女性がいた。恐らく、海船だったら舵がある辺りだろう。
ゆったりとした白地の服の上に羽織った、ややくすんだ赤のマント。腰を優に越す、薄く紅がかった金髪を高く1つにまとめた、推定20歳後半の女性だった。口調と同じく、やはり何処か気だるげな雰囲気が漂っている。
彼女の命令で、椅遊達の前に2つある操縦席の片方に座る、大洲と呼ばれた男性が、方位を確認してからキーがない手元のパネルに手をかざして滑らせていく。彼の手の通りすぎたところから、パネルに古代アルマーダ語の文字が紫光で描かれていき、手が止まったところで文字達はフッと一斉に消えた。すると、セルディーヌの頭がゆっくりグランの方角に向き始めるのが慣性でわかった。
「OKです!」
「よし。じゃ、秋葉、アルテスを最高まで出力しな」
大洲の報告に頷き、大洲と正反対の操縦席に座る、エネルギー管理担当の秋葉に女性が言うと、彼は目線の高さにある小さめのホログラムスクリーンを見た。
「無駄に出力する可能性がありますが?」
「なら調節しとけよ、秋葉」
「……了解です」
一応忠告したが、女性の発言に、マジメな彼は確かにと納得して頷き、パネルの上に手を滑らせた。今度は黄色の光が古の文字を描き、方舟の中央部に組み込んであるアルテスから膨大なエネルギーを吸い上げる指示を出す。
スクリーンに表示されているエネルギーゲージが最高まで溜まるなり、
「発進します!!」
秋葉は、ブリッジ内にいる全員に大声で叫んだ。皆が一斉にシートを強く掴む。秋葉はパネルで少し操作してから、パネルの横にあるレバーを、一気に下から上へと押し上げた。
彼らには見えない外側、方舟の後ろのブースターに、アルテスの力が変換されたエネルギー光が集まり、大きな音を立てて爆発する。大きな推進力を得たセルディーヌは、城の上空から弾かれたように飛び出していった。
もっとガクガク揺れると思っていたが、あまり揺れなかった方舟内で、夕鷹が「おお〜」と思わず感嘆した。
「すげーコレ。ハイテクだ〜」
「イースルシアでは、王家しか所有していない最新の飛空挺だからな」
揺れが小さくなってきたのに乗じ、立ち上がって窓に近付きながら言う夕鷹に少し誇らしげに説明するこの女性は、 晴泉里 波留。篝の上官、王国軍総司令官だ。当然のように中年男性だろうと思っていた夕鷹達は、予想を反して、その正体が若い女性だったということに仰天した。
ホログラムスクリーンの画面を見つめていた梨音は、シートに座ったまま波留を振り返った。
「……国内には、この1機しかないんですか?」
「そうなるね。本来は、王族と私達みたいな操縦者しか乗れないんだ。お前らは、ラッキーだったわけさ」
「……バルディアでは、この程度の飛空挺や軍艦を、数機つくっているそうですね。……攻められたら、どうするつもりなんですか?」
「コイツは、王族の足だ。つまり救命ボートってわけだ。陛下や妃殿下、椅遊姫はまず難を逃れるだろうな」
もしものことを聞いてみると、波留は、遠回しにそう答えた。梨音は、何処か気まずそうに黙り込んだ。
「……貴方達は、残って戦うんですか?」
「まぁ、そうなると思うよ。私も理術が使えるから、足止め程度はできるだろうな。そうなると、大洲と秋葉は、国王陛下御一家の命を託されて操縦するわけか」
「せ、センリさん!冗談もほどほどにして下さい!」
「考えるだけでも恐ろしいですよ……」
波留がホログラムスクリーンに見入っている二人を見ながら言うと、二人は顔を真っ青にし、口を揃えてそう言った。波留は「ごめん、悪かった」と笑いながら謝る。
「あれ、イオン?何処行くの?」
「……探索も兼ねて、少し散歩してきます」
シートから下りた梨音に気付き六香が問いかけると、彼はそう言ってブリッジを出ていこうとした。そこに、夕鷹が手を上げて梨音に近付く。
「あ、俺も行く行く〜」
「……何も面白いことなんてないと思うよ」
「む、バレたか……ココで待ってても暇だろー?」
「……事の捉え方によっては暇じゃなくなるよ」
「んじゃ俺は、暇だって捉え方なんだよ」
とりとめのない会話をしながら、彼らはブリッジから出ていった。あの二人、噛み合っているのか噛み合っていないのか、たまによくわからない。
二人の背がドアの向こうに消えるのを見つめてから、椅遊は、くるりと六香を振り返った。
「りっか」
「ん、何?どーかした?」
「ゆたか、と、りおん……どゆ、きゃんけー?」
「えっと……夕鷹とイオンって、どーゆー関係?」
いつものことだが、六香は自分の言いたいことを、フルーラの通訳なしにすぐに理解してくれるから驚きだ。椅遊とフルーラは目を瞬き、椅遊はコクリと頷いた。
それに対して、六香は悩むこともなく、ただあっさり、一言。
「さあ??」
「……ぇ?」
「アタシも、親友だってしか知らないの。3年前、アタシが初めてアイツらに会った時から、あの二人、一緒だったみたいだから」
≪……? 六香、お前は1年前から、奴らと一緒にいるのではなかったのか?≫
「それより前に、1度だけ、夕鷹に会ったコトがあるの。それが、今から3年前。アタシが密偵として派遣されてから、すぐの頃よ。イオンには、直接会わなかったけど……夕鷹が、連れを待ってるって言ってたから。夕鷹、今と全然変わってなくて……あははっ。再会した時に、それが面白くて笑っちゃったら、夕鷹、「3年前に成長が止まったんだよ」って、言い訳してさ」
自分の知らない昔の夕鷹を懐かしそうに語る六香の横顔には、柔らかな小さな微笑みが浮かんでいた。一瞬、心に浮かんで沈んでいった鈍い感情の正体が分からず、椅遊は内心で首を傾げる。
「あの二人は親友って言ってるけど、なんかしっくり来ないのよね。どーゆー関係だか知らないけど、割り込む隙間もないのよ。何かの秘密を共有して守ってるって感じ。あの二人、アタシとか椅遊とかの事情は知ってるクセに、自分たちのコトは全っ然話そうとしないでしょ?いくら聞いても教えてくれないから、アタシももう諦めかけてるんだけど……でもやっぱり、気になるのよね」
——秘密を共有。そうだ、そんな気がする。
梨音は、夕鷹のことを知っている。夕鷹も、梨音のことを知っている。
そしてそれを、外部に漏らさない。誰の一人にも、明かさない。だから自然と、二人の間には、外部の干渉を許さない深い因縁ができあがる。
しかし——知りたい。夕鷹のこと。何処で生まれたとか、何処に住んでたとか、いろんなことを。
それを、自分が聞ける日は、来るんだろうか。六香ですら、知らないというのに。
「………………」
椅遊は、少し寂しげにうつむいた。
♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪
方舟がアルテスの力で飛び始めて、2時間ほど経った。
特にやることがなく、大人しくシートに座っていた梨音のところへ、先ほどまで方舟内の探索に行っていた六香が小さく笑いながら寄ってきた。
「さすがのイオンも暇そーね〜」
「……そういう六香さんの方が、もっと暇そうです」
「うん、もんのすごく暇。ねぇ波留さん、あとどれくらいで着くの?」
自分のシートの上でウトウトしかけていた波留は、六香に声をかけられたことで目が覚めたらしく、体を起こして目を擦りながら答えた。
「ん〜……夕方までには着く予定だよー……」
だらーっとした眠そうな声で答える波留に、六香は苦笑した。総司令官ともあろう彼女が、そんなことでいいのだろうか……。
波留はシートから立ち上がり、気持ち良さそうに大きく伸びをする。首を回し、少し乱れた髪を指で梳きながら出口のドアへと歩いていく。
「ちょっと甲板に出て目を覚ましてくる……」
そう言って、波留がドアの前で立ち止まった時。
「な……艇長!! アルテスが、暴走し始めました!!」
「…………何だって!?」
秋葉の大声をぼんやり耳にし、数秒かけてようやく呑み込んだ。頭が一気に冴え渡り、ばっとホログラムスクリーンを振り返ると、確かにそこには「制御不可能」と赤い字で表示されていた。
「ええっ!? アルテスが暴走したの?それにしちゃ、何も変わってないけど……」
「……いいえ、少しずつ速度が上がってきてますよ。スクリーンの数値を見ればわかります」
状況を実感できていない六香に、梨音がスクリーンを指差して言った。大洲が、暴れ出した方舟の軌道を修正しようとしながら、焦燥の色も濃く叫んだ。
「センリさん!このスピードと軌道で行ったら、グランを通りすぎて海に突っ込みますよ!!」
「まずいな……」
ちらりと窓の外を見た。日が、地平線に近付いてきているところだった。夕方に着く予定だから、それまでにこの事態を何とかしなければいけない。しかし、どうやって?
隣であわあわ焦り出した六香をよそに、梨音はホログラムスクリーンを見つめて、アゴに手を当てて考える波留に聞いた。
「……波留さん。今、秋葉さんがアルテスを制御できていない理由は、アルテスの力が強いからですよね?」
「そういうことになるけど……それが、どうかしたのか?」
「……鍵を貸してくれませんか?ボクが、アルテスの力を抑えに行きます」
「「「!!」」」
それほど大きくない音量で、はっきりとそう言った。波留、大洲、秋葉の三人が一斉に動作を止め、六香が目を瞬く。
離陸したすぐ後に、方舟内は探索済みである。一番興味のあった、アルテスのある中央動力室だけ鍵がかけられていて入れなかったのだ。鍵さえあれば、一人でも行ける。
波留は一瞬、躊躇したが、迷っている暇はないと判断すると、首を縦に振った。
「わかった。とりあえずお前を信じるけど、私の監視のもとで行うこと。鍵は、私が持っている」
「……いいでしょう。別に、見られて悪いわけでもないですから。念のため、六香さんも来て下さい」
意見が合致した様子の二人を見て、一人やることがなく戸惑っていた六香に、梨音はそう言ってブリッジのドアを引いた。
中央動力室は、円柱型で狭かった。もともと、アルテスのためだけの部屋だからだ。
鍵を開けて中に入ると、すぐ目の前に、筒状のガラス管の中に入れられた、両手で抱えられるくらいの大きさの、紫色の波動を放つ黒い石——アルテスがあった。
そのガラス管の上や下から、たくさんのケーブルやコードが生えていて、部屋の奥の方にある機械に繋がっている。恐らく、エネルギー変換装置などの類だろう。その機械のモニターに「制御不可能」という赤文字が浮かんでおり、ガラスの向こうのアルテスの紫色の光は、まるで脈打つように明滅していた。
「……今までに、暴走したことは?」
「一度もない。今回が初めてだ」
ガラスに触れ、アルテスを見ながらの梨音の問いに、波留は変に力を放つアルテスの輝きを見て言った。
梨音は、見定めるようにアルテスの波動を見つめながら、小さく口を動かし始めた。古の言葉で綴られた魔導唄を唱え終わると、発動する場所を指定して、アルテスに手のひらを向ける。
「第4章、『神威光臨』発動」
魔導名を唱えると、発動を指定した場所——ガラス管内部のアルテスの周囲に白い帯のようなものが現れ、それはアルテスを包み込むように巻きついていく。
「! お前っ……!?」
理術を心得る波留であったから、それが魔術であることにすぐに気付いた。ボーっとした顔のまま魔術を展開させた少年を、驚愕の表情で見る。
『神威光臨』は、魔力で行う魔術の中でも特殊な術で、他の魔術と違い、聖力を使う。聖力は、人が魔力と一緒に兼ね備えている潜在能力だが、魔力の方の割合が圧倒的に多いので、割合の少ない聖力を使う術は、力を引き出すのと、それを維持し続けるのが難しく、高度である。
聖力の魔術——聖術と呼ばれる力に、正反対の属性であるアルテスの力が抗う。梨音は少し顔をしかめて、きゅっと軽く拳を握った。その動作に倣って、アルテスに巻きつく白帯も締め上げる力を強める。
「……まずいです」
「へ?? な、何が?」
狭い部屋なので、三人全員は部屋には入れなかった。一番後ろで情景を見ていた六香が、梨音の声を聞きつけて不安そうに聞いた。
「……なかなか圧倒できません。コレで捻じ伏せられないと、少し厄介です……」
握った手の内——『神威光臨』の中で暴れているアルテスの感覚に、少しだけ焦りを見せる。
自分の聖力も、最大限まで引き出しているつもりだ。それでも、一瞬でも気を抜けば、すぐにアルテスの力に押されてしまいそうなくらい不安定だった。
今のこの状態を維持し続けても、自分の精神が弱るだけだ。一気にアルテスの力を押さえ込めるほどの、強い聖力は——、
「……六香さん。夕鷹を呼んできてもらえますか?ラトナを使います」
「えっ……!」
「お願いします」
梨音はアルテスを見つめたまま、六香にそう頼んだ。予想通り、驚いて目を見開いた六香に、梨音は振り返らずに重ねて言う。その会話の意味がわからず、梨音と六香とを不思議そうに見比べている波留。
梨音が手が離せないのだとわかると、六香は驚いた後、すぐに頷いた。
「うん、わかった。夕鷹を呼んでくればいーのよね?」
「……はい。それから、手短でいいので、状況を説明しておいて下さい」
「おっけー!じゃ、探してくるねっ」
見えないとわかっていながら、梨音に向かって親指を立てて彼女は身を翻す。
♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪
その頃、夕鷹は、甲板と方舟内を繋ぐドアをくぐっていた。さすがに上空の外の空気は少し肌寒かったので、ジャケットの袖をちゃんと通している。
風でもみくちゃになって前に垂れ下がってきた髪を払って、横長の四角形をした奥行きのある窓に歩み寄り、眠そうにあくびを1つ。
「……ゆたか」
「ふんぁあ〜〜??」
あくびをしている最中に、通路の方から椅遊の小さな声に呼ばれた。あくびをしながら返事をして見てみると、ちょうど椅遊が歩み寄ってくるところだった。ついてきたフルーラも、立ち止まった椅遊の傍らにおすわりの態勢で座り込む。
≪あの寒い外にいたのか?まったく、呆れるほど頑丈な奴だな≫
「んー、まぁ、あんま寒いって感じないしなぁ」
たった今、夕鷹が何処から出てきたのかを見て、フルーラは小さく息を吐くような動作をした。夕鷹はなぜか照れた様子で頭を掻く。
「俺、こーゆー鉄のカタマリの中はあんまり性に合わないからさぁ。外の方が落ち着くんだって」
≪……その言葉、波留に聞かれたら殺されるぞ≫
フルーラは、「鉄のカタマリ」とセルディーヌを形容した夕鷹に、そう忠告しておいた。
「そーいや、椅遊って結局、親に会えなかったんだっけ」
現在、セルディーヌは雲の上を飛翔しているので、下方に、いつもは見上げている雲が満ちているのが見えた。少し傾いてきた日差しがそれを横から淡いオレンジ色に染め上げていて、まるで夕暮れの海を真上から眺めているような感覚だった。
その橙色の雲海を眺めて聞かれたことに、椅遊もつられて目をやりながら、小さく頷いた。
昨日、自分の家である城で一泊した。しかし、椅遊の両親である王と妃は、ちょうどフェルベスに行っていて会うことはなかった。入れ違いになったというわけだ。
「会えなくて、寂しい?」
隣に立った椅遊を見て聞いてみると、椅遊は少し悩むように静止してから、静かに首を横に振った。
≪……よくわからない……しかし、なんだか安心した気がする、だそうだ≫
「安心?親に会えなかったのに?」
フルーラを通じて聞いた椅遊の心境に、夕鷹が意外そうに椅遊に問うと、彼女はコクンと頷いた。それから窓の外を見つめ、あっと思い出したように彼を見る。
「ゆたか、らちの……おち」
「ん?」
≪夕鷹達の家は何処にある?だそうだ≫
翻訳してもらったそれを聞いて、夕鷹はキョトンとした顔をしてから苦笑いした。
「ないよ」
「…………え」
——あまりにもあっけらかんとしていて、反応のしようがなくて。
「俺達には、帰る家なんてないからさ。まぁ梨音は、一応あるけど……だから家族もいない」
「……!」
それを聞いて、椅遊は、ただでさえ黒いモヤに包まれている心に、冷たいものが刺さるのを感じた。
両親に会うのが怖くて、会わずに済んで安心している自分。——彼らには、その相手すらいないのに。
「強いて言えば、世界中のみんなが家族だけどね」
≪何だ、そのやたらと大規模な家族は……≫
「そー考えると、寂しくないっしょ?みんな家族!」
そう言って、夕鷹は笑った。つられて、椅遊も小さく微笑む。しかし、振り払い切れていない、その顔に差す暗い影を見て、夕鷹は「あ……」と笑顔を崩した。何処か反省したように黙り込んで、どう接するか少しだけ考えてから。
「……あんま考えない方、いーよ」
「……?」
何気なく、ぽつりとそう言った。
それが自分にかけられた言葉だと気付くと、椅遊は顔を上げて夕鷹を見る。
「あの村で召喚しちゃったこと、まだ考えてるんだろ?」
「………………」
「村壊滅させちゃったこと、まだ悩んでるんだろ?」
2度、似たような問いをかけられて、椅遊は2度目で小さく頷いて目を逸らした。その頷きを見てから、夕鷹は再び窓の外に目を向けた。
「大丈夫だって、あの村の人達は恨んでないよ。恨みってのは、『もっと生きたかった』ってゆー望みが負に転じただけなんだ。その望み通り、人の魂は星になって、残り時間分、夜空で光るから」
「……ぇ?」
まるでおとぎ話のような夕鷹の言葉に、椅遊が首を傾げた。夕鷹は「あ、ホラ、一番星」と、夕闇の空に光り出した小さな星を指差す。
「今、俺が即興で考えた話。気休めにはなるかなって。……でも、時間が経ったら、今つらく思ってることでも、少しずつ、忘れていくと思うんだ」
それが、すべてにある抗えない運命だとは知っている。
「いつか、自分が人を殺してしまったことも忘れて、笑ってばかりの毎日が絶対来る。そーなってもいいから、青柳のオッサンとか、奥さんとか……わかる範囲でいーから、自分が殺してしまった人達のことを覚えててほしいんだ。枷としてじゃなくて、ただ、そーゆー人がいたってことを、忘れないでほしい」
「……ゆたか……?」
一番星を見ていた椅遊は、思わず夕鷹の顔を見た。夕鷹の横顔は、外の景色ではなく、もっと遠く——椅遊の目には見えない、何かを見ていた。
——何処か、その言葉に違和感を感じた。
その言い方は、まるで……
「あー、無駄話しちゃったなぁ……今の、忘れていーよ」
前と同じく、夕鷹が先にそう言ってその話を打ち切った。自分に呆れたような嘲笑を浮かべ、椅遊が見つめる前で彼はゆっくり動き出し、椅遊がやって来た方向——ブリッジの方へと歩き出す。
(え……?)
すでに見慣れたその背中が、一瞬、霞んだような気がした。
音が、遠くなっていく。
一歩、また一歩と、彼と自分の距離が開いていく。その度に、彼の背中は霞みを増す。
(やっ……!!)
恐怖にも似た感情が、椅遊を突き動かす。駆け出して手を伸ばす。
彼が消える前に。
(いかないで——っ!!!)
「ゆたかっ!!」
消え去っていた音が、自分の一声とともに戻ってきた。名前を呼ばれた夕鷹が足を止めた直後、その後ろから、両手を広げた椅遊が夕鷹に抱き着いた。
≪……!!?≫
「ん??」
傍観者であるフルーラは言葉を失い、当事者である夕鷹は何が起きたのかわかっていなかった。肩越しに後ろを見てみて、ようやく理解する。
よく見てみると、椅遊の肩が小さく震えていた。——彼女は、何かを恐れるように、震えていた。
「……椅遊?どーかした?」
声をかけてみたが、返事はなかった。ただ、ぎゅっと夕鷹を行かすまいと、腕の力を強くする。
とりあえず、夕鷹は椅遊を振り向いた。自然と腕を緩めて離れた椅遊に、夕鷹は安心させるように微笑んで、その頭を撫でる。
「怖かった?」
「…………っ」
「ダイジョブだよ。もう何も怖くない。怖いのがあったら……うーん、そうだなぁ。めんどくさいけど、俺がぶっ倒しに行ってあげよう。うん」
冗談などではなく、一応本心だった。正直な彼の言葉を聞いて、不安げな椅遊の表情に、小さな笑いが生まれる。そのことに、夕鷹もホッとして頬を緩めた。
「まだ、怖い?」
夕鷹には、椅遊が何を怖がっているのか、わからなかったが、夕鷹がそう問うと、椅遊は彼をじっと見つめてから、静かに首を左右に振った。
……気のせいだったんだろう。
目の前で人が消えるはずがない。夕鷹は、ちゃんと、ココにいる。
≪……夕鷹、椅遊は、お前が……≫
「ふるーらっ!」
≪……わかった……≫
「??」
椅遊の心を読んでいて、彼女の心を理解していたフルーラが、たまらずに説明しようとしたら、椅遊に少し怒った声で止められた。仕方なさそうに言葉を止めるフルーラが途中まで紡いだ言葉に、夕鷹は首を傾げた。
ブリッジに続く方へ歩き始めて、すぐ。椅遊は、確かめるように再び夕鷹を振り返って、その姿をちゃんと見ると、小さく微笑んだ。それから前を向いて、フルーラを連れて先へと歩いていく。
とりあえず、怖いものはなくなったらしい。一人になった夕鷹は、椅遊が向かった方と正反対の通路を向き、歩き出す。歩いてすぐあった曲がり角を曲がろうとして、
「わっ、びっくりした〜……おーい、六香〜?どーかした?」
角の、ちょうど死角になるところに六香が立っていた。なぜだか目が据わっている六香は、夕鷹が声をかけると「……うん」と小さく頷いて口を開いた。
「夕鷹、イオンが呼んでたよ。動力室にいるから」
「ん……?あー、うん。何の用だって?」
普通の声音で、そう言った。しかし、何処となく様子がおかしい。夕鷹は訝しく思いながら、まずそう聞いた。
「今、アルテスが暴走してて、イオンが聖術で対抗してるんだけど、ちょっと無理なんだって。で、ラトナ使うって」
「マジで?梨音が、コイツに頼るなんて思わなかったなぁ……」
そう言いながら、夕鷹はジャケットのポケットにある、手のひら程度の大きさの固い感触を確かめた。
「で、動力室って何処?」
「この通路を真っ直ぐ行って、左に曲がるだけ」
「んと……さんきゅ〜。そんじゃ、行ってきまーす」
動力室への行き方を聞いた時に、「それくらい知っててよ……」のような呆れ声が返ってきても良さそうだったのに、六香は余計なことは言わずに淡々とそう教えてくれた。それがなんだか逆に怖くて、夕鷹はすぐさま教えてもらった道を駆け出した。
夕鷹の背中が、まっすぐ行ってから左に曲がって見えなくなると、そこに残された六香は、正面を向いた。
「………………」
——無言で、静かに、強く手を握り締めた。
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