→→ Madrigal 2

 きっと、魔王は寂しかったんだよ。
 みんなに構ってもらいたくて、みんなに忘れてほしくなかったんだ。
 お前だって、一人ぼっちは嫌だろう?
 誰か傍にいてほしいだろう?それと同じなんだよ。
 魔王にお友達がいるなんて、聞いたことないからね。
 だから、お前にお友達になってほしくて、お前に呼びかけているんだ。


 きっと、魔王だって寂しいんだよ。



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



(まおうが、さみしい……?)


 ――誰の言葉だろう。
 声も口調もわからない。ただぼんやり覚えている言葉の群。そんな言葉が、イースルシア王国の地に降り立った瞬間、浮かんできた。
 魔王について、一握りの言語知識、自分のことといつも一緒にいたフルーラ。大きく分けても、その3種類しかない自分の記憶。今のは、魔王の類に属すものだから覚えていたのだろうか。


≪ココがお前の祖国だ、椅遊≫


 いつも影のように寄り添っているフルーラが、そう説明してくれた。前から聞いていた祖国を椅遊はぐるりとゆっくり見渡す。


「い……ーしゅ、るし、あ」


 イースルシア。自分の国。自分の立場が初めて生かされる国。


「わ、きれーい……」


 景色を見ていた椅遊の後ろから、船から降りてきた六香が彼女の隣に並んで言った。
 船から降りた彼女達を待ち構えていたのは、たくさんの桜の木々だった。ちょうど今が満開の時期なのか、無数の桜の花が咲き誇っていた。その華麗な桜の上には、快晴の透き通った空がある。
 何処かで見覚えのある色の組み合わせだった。それを思い出そうとしていた六香の耳に、フルーラの小さな笑いが届く。


≪フフ、私もこの景色は初めて見る。まるで椅遊のようだな≫
「あっ、ソレソレ!」


 桜色と空色。確かに椅遊の髪と瞳の色だった。椅遊はキョトンとしてから、もう一度、桜と空を見つめる。
 自分と同じ色の国。ほんのり親近感を覚えて、少し嬉しそうに椅遊は微笑んだ。

 六香は淡いピンク色の花を咲かせる木に近付き、手近な枝を引き寄せて近くで桜の花を見て、


「コレが桜の木?本物、初めて見た〜……」
≪桜は、この大陸ではイースルシアでしか育たないからな≫
「あ、そーなの?どーりでフェルベスで見なかったわけね。……あ、椅遊、椅遊っ。椅遊って、やっぱり桜のことわかんないよね?こんな小さいのがたくさん咲いてるんだよ」


 少し離れたところから桜を眺めている椅遊に手招きし、駆け寄ってきた彼女に枝についている小さな花を指差してそう言った。椅遊は予想外に小さい花を見て、目を丸くした。その姿を見てから再び桜の木を見上げ、納得したように小さく頷く。


「おー、桜だ〜。ちょうど見頃の時に来たんだなぁ」
「……ココからパセラまでは、自力で行くしかありません」


 背後から、まるで年寄りのような口調で言うのは、ようやく船から降りてきた夕鷹だ。彼の後ろに続いてきた梨音が、六香と椅遊、そしてフルーラに向かってそう言った。


「ちょっと時間かかるけど、まぁちょっとだし、大丈夫っしょ?」
≪できれば迅速に行きたいが、何か事情があるなら仕方あるまい≫
「そりゃなぁ……最近、梨音、〈ガルム〉喚びすぎだし。お前にかかる負担も大きいしなぁ……あ、ところで梨音、気分良くなった?」


 夕鷹がふと思い出してそう問うと、梨音は黙り込んでから、


「……気分はね。歩くの、正直つらい」
「気分?」
≪何かあったのか?≫


 突然、夕鷹が梨音にそう聞いたところから何かあったと悟った六香とフルーラが、立て続けに聞いてきた。それに、夕鷹は困ってしまった。
 六香は、梨音の発作のことを知っているが、ともに行動するようになって日の浅いフルーラは当然知らない。さっき梨音に話さないでくれと言われたばかりだし、どう答えれば両者が納得するのかわからず、夕鷹は「えーっと……」と頭を掻きながら少し悩んで。


「梨音、ちょっと船酔いしてさ」
「船酔い?イオンって、船ダイジョブじゃ……」
「もーホント苦しそーで、見てるコッチが苦しくなっちゃうくらいだったなぁ〜」
「だからイオンって……、…………あ!」


 コチラに視線を送りながら言う夕鷹の言葉を聞いて、六香はようやくその意味に気付いた。納得したように頷き、夕鷹に了解したことを合図する。


「イオン、最近いろんなコト考えてるからじゃないの?船酔いしちゃったくらいだしね〜」
「うんうん、絶対そーだな。梨音が船酔いなんて初めて見たし。適度にリフレッシュしなきゃダメだな〜」


 『船酔い』というキーワードを強調しながらそう言い、二人はお互いに頷き合う。梨音は少し面白くなさそうな顔をしたが、二人のしたいことがわかっていたので何も言わなかった。
 その二人のやり取りを見ていたフルーラは、二人のあからさまに不自然な会話に気付いているのか気付いていないのか、言った。


≪そうか。確かに梨音は、この中で一番働いているからな。たまには休息も必要だろう≫
「なんか俺らが働いてないみたいに聞こえるぞ〜」
≪そんなつもりはなかったのだがな。事実を言ったまでだ≫
「まぁそーなんだけどさぁ……」


 確かに、細かい面でのフォローはいつも梨音だから、一番の功労者は彼なのだろう。自分は敵を相対した時くらいしか出番がないが、梨音はその時だけでなく、足のために〈ガルム〉を召喚したりと忙しい。わかってはいるが、ちょっとだけ不満だ。


「そんじゃ、行きますか?遠足にさ〜」
「何処が遠足よ……狙われてるってゆーのに、相変わらず呑気よねー」


 とりあえず丸く収まり、夕鷹がそう言った。グランのジェノスまでの旅路を『遠足』と称する彼に、六香が呆れてわざと棒読みでそう言うと、夕鷹はいつもの笑顔で言った。


「そりゃあ、俺って無敵だしさぁ〜。ねぇ?」



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



「有り得ねぇ」


 夕鷹達を奇襲してきたあの魔族の男が、首都パセラの人込みの中を歩きながら、大きな溜息を吐いた。


「めぼしいとこは全部回っただろ?1個もアタリ出てねぇぞ」


 先を歩く小柄な黒い背中に言ったつもりだったが、返答がなかった。アチラは小柄なせいで、あまり人込みの影響を受けずにスイスイ先へと進んでいく。一応、刃にカバーのようなものを被せているが、常時持ち歩いている大鎌はやはり危なっかしい。
 見失ってしまいそうになる黒服を目で追いながら、魔族の男は舌打ちをして、その背中に叫んだ。


「おいサイ!聞こえてんなら何か言え!」


 周りの喧騒に掻き消されながらも、その声は届いたようだ。小さな黒服は、仕方なさそうに振り返った。
 つややかな長い金色の前髪を払って、少年は、魔族の男が追いつくのを少し待つ。追いついてきた大柄な魔族の男と、小柄な少年とが並ぶと、物凄い身長差だ。こんな二人を見て、少年の方が一枚上手だなど、誰が考えるだろう。

 少年――采は、左の翠眼と右の蒼眼で、大きな魔族の男を見上げて、問う。


「……何?」
「はぁ?まさか聞こえてなかったのか?」
「全然、聞こえなかった……」


 どうやら最初の方の言葉は、今ほど大声で言っていないから、本当に聞こえていなかったらしい。魔族の男は少し沈黙して、


「……ああ何かムカつく。めぼしいとこ全部回ったのに、1個も当たってねぇだろ?どうするんだよ?」
「とりあえず……ココを、抜けてから」


 そう言って、采と呼ばれた少年は上を指差した。魔族の男が見上げてみると、頭上には街路樹の木の枝が伸びていた。
 魔族の男が納得したように頷くと、采はその場で跳躍し、街路樹の枝を踏み台にして、人込みを抜け出し近くのレンガ造りの建物の上に飛び移る。


「……でも……確かに、困った」


 魔族の男が建物の上に着地した時、コチラを振り返って采がぽつりと言った。その大柄な体躯からは想像もできない身の軽さで後を追ってきた魔族の男は、首を回しながら大きく息を吐き出す。


「あー、狭苦しいったらねぇな。何でこんなに込んでんだよ」


 と、なぜだか馬鹿騒ぎしている、さっきまで自分も紛れていた人が溢れる通りを、呆れた赤い眼で見下ろした。優雅だと名高いイースルシアとは、かなりギャップがある。


「今日から……女帝祭だから。イースルシアの建国記念……」
「……何気に詳しいな」
「僕は……ココの出身だから」
「あぁ、そうか」


 そういえば采は、総帥の五宮玲哉と同じ国の出身だった。
 イースルシアが建国された日を中日にして、3日間行われる祭を、女帝祭という。イースルシアが始まって以来、王が女性であったのは初代だけである。魔王を召喚する力を授けられた、あの女性だ。それにちなんで、イースルシア建国日の祭はそう名付けられた。


「で、どうするって?」


 少し話が反れた。魔族の男がそこにあぐらをかいて座り、担いでいた大剣を傍らに下ろしながら聞いた。采は立ったまま、アゴに手を当てて、少し考え込み。


「……ヒサギ、地図……ある?」
「はぁ?持ってんのはお前だろ?」
「あ」


 魔族の男――楸は、呆れ果てたようにそう言った。気付かされて思わず変な声が出る。
 彼の言う通り、確かに地図を管理していたのは自分だった。黒服のアチコチにあるポケットをあさって、1枚の紙を引っ張り出した。


「ほらな」
「…………もう……10ヶ所は、回ってる」


 何も言い返せないまま、采はイースルシアの地図に目を落として言った。その割に地図に何も書き込まれていないのは、ただペンがなかったからである。
 座っている楸にも見えるように、采は、地図を彼の前に広げて座った。楸は逆さまから地図を覗き込み、少しの間眺めてから、


「おい、ココとかクサくねえか?」


 と、地図で気になった部分を指差した。確かに、まだ回っていないところだ。
 しかし采は、楸に示されたところを見て、少し沈黙した。


「……確かに……そうだけど、」
「じゃ次、ココな。決定」


 采の言葉を途中で遮り、楸は一方的にそう決めて地図を采に返した。采は、楸が最後まで聞かなかったことに少し機嫌を悪くして、わざと受け取らずに言う。


「確かに、怪しいけど……あからさまに、怪しくて……逆に怪しい」
「……『怪しい』何回も使うな、紛らわしい」
「……確かにくさいけど……あからさまに怪しくて……逆に怪し……、……逆に…………怪奇?」


 さっき言った言葉を違う言葉に置き替えようとしたが、最後はどうやっても『怪しい』から変えられず、迷った末出てきたのは『怪奇』。……楸は、黙り込んだ。


「確かにくさいけど……あからさまに、怪しくて……逆に怪奇……?」
「……お前、馬鹿だろ……?」


 ……とにかく。この話題をいつまでも続けていたらキリがない。
 とりあえず、采が言いたいことはわかった。楸は立ち上がって大剣を担ぎ直し、座り込んでいる采を高い位置から見下ろして言う。


「とにかく、行く場所決まったから行くぞ」
「でも……くさいけど、あからさまに怪しくて……」
「あー、もうそれはいいっつの……行ってみてから考えた方がいいだろ、こういう時は」


 地図を折り畳んでしまう采にそう言い捨て、楸は、ココより少し高い隣の建物に飛び移る。黒いコートをはためかす楸の後を追って、采もそちらに移動し、二人同時に次のクリーム色の建物に跳んだ。
 空中で隣に並んだ楸を、采は横目で見て、口を開いた。


「……ハズレだったら……ただの、時間の無駄……だよ。……楸のせいで」
「……お前、殺すぞ?オマケみたいに付けんなっつの……んなこと、わかってらぁ」



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



 ……1101、1102、1103。
 1104、1105……

 頭の中で、淡々と増えていく数。椅遊は、空に光る星を見上げていた。

 プライルから発ったが、当然、1日でパセラに着くはずがなく、夕鷹達は、否応無しに野宿をすることになった。
 薪もないのに空中にぼんやり浮かぶ、ちょうど焚き火程度の大きさの赤い炎。この不可思議なものは、当然、梨音の理術によるものだ。それをぐるりと囲んで眠っている数人は、ぐっすり熟睡中のようだ。
 その炎に背を向け、天井と壁のない夜空の下で、皆が寝静まっている頃。椅遊は貸してもらった上着を着て、やはり眠っているフルーラの傍らで空を見上げていた。
 眠くないわけではない。恐らく、寝ようと思えば眠れるだろう。ただ、今まで夜に外で過ごしたことがなかったから、空に光る粒子達は彼女にとって新鮮だった。静寂の中、その数を黙々と数えて今に至る。

 ふと、


「……んんー?椅遊、起きてたの?」
「!」


 寝ているはずの後ろの方から突然声がして、思わず肩を竦めた。同時に、数えた数と何処まで数えたかを記した記憶を見失ってしまった。はっと空を見上げるが、その2つはすでに忘却の彼方に消え去ってしまっていて思い出せない。
 原因は、この声だ。少し怒った顔で振り返ると、あくびをしながら歩いてくる夕鷹が見えた。


「ゆたかっ!」
「ん?」


 勢いよく名前を呼ばれて、目を擦りながら椅遊を見た。闇にぼんやり映し出された椅遊の顔は、何処か少し怒っていて夕鷹は首を傾げた。


「どーかした?」
「かずっ……!」


 椅遊はその単語を発し、びしっと夜空の星を指差した。夕鷹は「数?」と繰り返してから空を見上げて、そして、そこに散らばる星が目に入った。


「……あー、もしかして、星数えてたの?で、俺が話しかけたから、数を忘れちゃったってこと?」


 完全に答えと一致している夕鷹の回答に、椅遊は大きく頷いた。夕鷹は椅遊の隣にあぐらで座り込み、苦笑しながら謝る。


「えーっと、ゴメン、気付かなかった。でもさぁ、星を数え切るのは無理だって。どんくらいあるか知ってる?俺が数えただけでも、1兆は楽勝にあるんだぞー?」


 夕鷹の口から飛び出した、何でもないようなその言葉に、椅遊はぱちくりと瞬きした。


「……ゆたか、……も、かず……?」
「ん?うん、俺も数えたことあったよ。昔ね。暇だったから。1兆数えて飽きたからやめた」


 「1兆もあるってスゴイよなぁ」と、夕鷹は満天の星を見上げて少し懐かしそうに言った。


「星ってさ、不思議だと思わない?星にも寿命ってあるけど、全然数が減らないし。ってことは、人間みたいに、やっぱり何処かで星が生まれてるわけっしょ?なくなった星の分、新しい星が生まれてるわけ」


 星が……人と同じ。
 星空を見上げたまま、そう思うと、なんだかそんな気もする。星は、たくさんある。人も、たくさんいる。たくさんありすぎて、すべて同じに見える。――きっと同じなんだ。

 ふと、夕鷹は、黙って自分の話に耳を傾けてくれていた椅遊を向いて言った。


「さて、ココで問題。星は何が材料で生まれるでしょーう? ……あ、難しく考えなくていーよ。俺も科学はわかんないから。ガスがどーのって話じゃなくて、ま、テキトウに」


 そう言われ、椅遊はしばらく考えるようにうつむいていたが、不意に顔を上げて首を横に振った。わからなかった。大体、「科学」もわからない。
 夕鷹は「ま、そーだろうなぁ、フツーは」と苦笑いして、続けた。


「星に関するおとぎ話って、いろいろあるっしょ? ……って、椅遊にはその記憶がないんだっけ……ごめん、忘れてた。とにかく、おとぎ話があるんだよ。流れ星に向かって3回願いを唱えるとか、死んだ人が星になるんだとか。その、死んだ人が星になるってゆーヤツ。俺、それは信じてるんだ」
「……どぉし、て?」
「ん? ……うーん……死んだ人も、あんなふうに光るんなら、いいよなぁって思うから」
「………………」


 ――すぐにわかった。本心から言っているものではないと。しかし、なぜだか、聞き返せなかった。


「ま、それはどーでもいいとして」


 さっさと話を流すように、夕鷹は笑って言った。その笑顔に、椅遊は少し悲しげに表情を歪める。
 自分の中に押し込めたつらさを還元した、その笑顔。その笑顔が綺麗なほど、そのつらさの濃さを知る。


「星を数えるとか、そーゆーのは、時間を持て余してる暇人がやるんだよ。椅遊は暇じゃないっしょ?追手から逃げなきゃならないし、行かなきゃいけないとこはあるし、将来は国のこととか考えなきゃならない立場だしさ。俺みたいな暇人とは違うっしょ?」


 それは、思い切り自分自身を蔑んだ言葉だった。その不公平さに椅遊は少し不満そうに頬を膨らませて、しかし静かに小さく頷いた。


「ま、星は綺麗だけどさ。とりあえず、椅遊は寝なきゃ。まだ寝てないんっしょ?」


 夕鷹にそう言われた途端、思い出したように睡魔が襲ってきた。耐えてきた分、反動が大きく、強い誘惑に逆らえず、急に重くなった瞼を下ろして後ろに倒れかける。


「って、そこでいきなり寝ちゃう?椅遊って、よく倒れるなぁ……」


 突然、スイッチを切ったように眠りに入った椅遊を夕鷹は苦笑いしながら支え、そっとフルーラに寄りかからせた。どうやらかなり体に負担がかかっていたらしく、彼女はすでに熟睡していた。


「…………はぁ」


 知らずのうちに、小さな息が吐き出る。さっきまで寝ていたせいで、体が冷え切っていた。宙に浮かぶ炎の傍に座り、極力熱を逃がさないように膝を抱いて縮こまって、目の前の炎の中心を見つめる。

 ――嫌な夢を見た。
 思わず飛び起きてしまったのだが、椅遊はコチラに背中を向けていて気付かなかったようだ。それを心の中で再確認し、ホッとしてまた溜息を1つ吐く。


(……もう、寝れそーにないや)


 見たくない。
 見れば見るほど、自分にかかる責任の重さを味わう。その重さに耐え切れなくて、知らずのうちに、それを忘れることで自分を正当化しようとしている。時折、そんな自分に気付く。
 昔から、この胸に渦巻く闇。それに気付かれないようにすることだけで精一杯だった。

 それなのに、その上辺を見破って奥を見てしまった少女。

 脳裏に、椅遊が泣いた時のことが映し出される。あの瞳は、明らかに奥を見ていた。
 奥を。


「………………」


 ……あんなに純粋な心を持った人間は初めて見た。記憶が白紙に近いからかもしれないが、まるで心までシミ1つない白紙だ。
 自分とは、正反対の色を持った少女。
 真っ白な彼女を、真っ黒な自分が汚さないうちに。


 ―――早く、別れなければ。





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