→→ Concerto 2

 自分の身長よりもやたら大きい扉を押して少し開くと、その隙間から神聖な空気が漂ってきた。
 まずそれに小さく顔をしかめながら、梨音は、ギリギリ通り抜けれるくらいまで扉を押し開き、そこから小さな体を滑り込ませた。後ろ手に体重をかけて扉を閉じ、建物の奥に飾られた絵画に続く、フカフカした感触の赤い絨毯の上をそっと歩く。
 絵画がちょうど一望できる距離にまで近付き、梨音は足を止めた。アゴを上げて、縦の長方形をした金縁の絵を仰ぎ見る。

 白と黒の両翼を生やした、淡い虹色の光を放つ球体が描かれた絵画。――それは、"神"と呼ばれるものを想像して描かれた絵だった。
 神とは、光と闇を有する理の守護者であり、すべての者に平等な存在なのだといわれている。体が球体の光で描かれているのは、神は、見る人によって姿を変えるといわれているからだ。


「……神なんて」


 それを見上げ、ぽつりと呟いた。


「……本当は、いないクセに……」


 その時、絵画の右の方からドアが開く音がした。梨音が目を向けると、目元の優しげな神官服を着た老人と目が合った。どうやら、ココの教会長らしい。


「おやおや……見慣れない子羊が、何かご用かな?学校なら、今日は休みだよ」
「……ちょっと、調べ直したいものがあって」
「調べ直したいもの?何じゃね?」


 絵画のすぐ下にあった机に立ち問いかけてきた老神父に、梨音はそう答えると、老神父は首をひねって問い返した。梨音はさっさと調べて帰ろうと思い、すぐに答えた。


「……魔界について……です」










「どうじゃ?何かわかったかね?」
「……いいえ」


 老神父から机を借り、そこで受け取った文献に目を通し終わった梨音は、老神父の問いに正直に小さく首を振った。

 知りたかったのは、魔界の出入り口についてだ。この世界には、聖界と魔界、ここ空界が存在する。ちなみに、聖界、魔界は、それぞれの属性の王が生まれるより前に存在していたとされる。
 元々、死後の魂が集まる世界と、魔物が住まう世界、2つの名もなき世界があった。そこに、魂の世界に聖王が、魔物の世界に魔王が住み着いたので、聖界、魔界と呼ばれるようになったわけだ。
 そして、聖魔闘争が起き、聖王は何処かへ去り、魔王は空界の支配者になった……と言われている。
 ちなみに、聖魔闘争で魔術を失い、一からスタートするハメになった人々が生み出したのが「理術」だと言う。

 しかし、ココに奇妙なことが起きている。椅遊が召喚した魔王――それは、魔界から召喚された。空界の支配者になった魔王が。
 椅遊が喚んだのは、魔界の門たる〈扉〉だろう。召喚陣が展開され、普通ならばそれで召喚されるが、アレはもう一段階、魔界の〈扉〉というものがある。
 しかも、あの〈扉〉に掛かっていた錠前。見たところアレは、元々あるものではなく、外部からの魔術による施しだ。そこまで厳重に隔離する必要があるのだろうか。



 一般の文献は、あらかた読んだことがあった。だから今更、椅遊の召喚術が書いているわけがないだろうと思いながら読んでみたが、やはりそれらしいものはない。イースルシア王家に受け継がれる力だと言うから、彼女の国に行って調べた方がいいかもしれない。
 梨音は仕方なく席を立ち、


「……調べている内容とは、ちょっと違ったみたいです。……じゃあ、ボクは、これで」


 そう言い、背を向けて早足で歩き出した。その彼の背中に、老神官は、胸に右手を当てて深く一礼するという神教徒の礼法をした。


「あぁ、また来なさい。神のご加護があらんことを」
「………………」


 梨音は、無言で歩調を速めた。



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



「はむ……んぐっ……っん〜!やっぱり、夢茶には夢草団子よね〜」


 夢風車亭の店先にある、日よけの蛇の目傘の下の長イスに座り、六香は、大好きな夢茶とともに、綺麗な萌黄色をした丸い3兄弟を食べていた。
 この団子は、夢草団子という。要するに、ただの草団子の頭に「夢」という言葉がついただけだ。なぜだか夢風車亭のものの頭には、必ず「夢」』という言葉がつく。
 ふと、六香が湯のみの温かい夢茶を飲んでいたら、見慣れた少年が歩いてくるのが見えた。


「あ、イオン〜!」
「……六香さん」


 手を振る六香に名前を呼ばれて、初めて六香の存在に気付いたらしい。誘われるまま、六香のいる夢風車亭の前まで歩いてくる梨音に、六香は残っていた2本の串団子の片方を差し出した。


「イオンも食べない?そろそろ小腹が空いた頃でしょ?」
「……そうですね。1本、頂きます……」


 梨音は差し出された1本の串団子を受け取り、ちょこんと六香の隣に座った。最後の夢草団子を食べながら、六香が、


「ん、イオンって、何しに教会行ったの?」


 口の中に団子が入っているせいで、少しくぐもった声で問う。甘すぎるのがダメな梨音は、団子の中の餡子の多さに表情をしかめつつ答える。


「……椅遊さんの魔王召喚について、何か分かるかと思って」
「ふ〜ん……どーだった?」
「……ダメでした。調べるなら、イースルシアに行った方がいいかもしれません」
「そっかぁ……」


 最後の1つを口に入れて串をパックの上に置き、口をモグモグさせながら六香は空を見上げて言った。あと1つ、丸いカタマリが残っている梨音も、つられて空を見る。


「……夕方、中央広場に集合する予定ですが……まだまだ時間がありますね」
「うーん、そーね。アタシも、もう特に行くことないんだけどな〜。イオンも?」


 六香が問いかけると、梨音は頷いて最後の1つを口に入れた。
 空は、夕焼けまであともう少しというくらいの、まだ茜色にも染まっていない空だ。六香は夢茶をごくっと飲み干して考えを巡らせた。


「何しよーかな〜……」


 シーヴァといえば、夢風車亭と……何かあるっけ?と自問自答する六香の横で、梨音は、モグモグしていた団子を飲み込んだ拍子で、ふと、大事なことを思い出した。


「……あ」
「? イオン、どーかした?」
「…………神獣について調べるの、忘れました」


 ぼそっと囁くような音量のそれを聞いて、六香は一瞬間を置いて、ぱちくりと瞬きをした。


「……イオンでも、ミスってするんだ……」
「……当然じゃないですか」


 梨音が何かをし忘れるというのは、初めて見た。冷静沈着、優秀で万能な完全無欠の少年の小さなミスに、六香は、無性に笑いたくなった。口を押さえて笑うのを必死に堪えている六香に、梨音は小さく首を傾げた。


「……今の、笑うとこですか?」
「あは、あはははっ!な、何かね、イオンもアタシ達と同じなんだなって、今更思っちゃって」


 梨音が優秀すぎて、心の何処かで、彼は別の存在なのかもしれないと感じていた。人らしい梨音のミスに、彼も同じ存在なんだということを初めて確認した。言うまでもないことなのに、今まで自信がなかった自分が馬鹿らしくて、おかしかった。

 一方、梨音は、自分の犯したミスに呆れていた。あの時、それが綺麗サッパリ頭になかったことだけは分かる。神獣について調べるのを忘れたのは、さっさと教会から出たいという思いに駆られていたからか?


(……馬鹿らしい)

「じゃ、教会行こっか?」


 長イスから立ち上がり、六香が言った。「……はい」と梨音も串を置いてイスから立った。
 六香が団子の料金と、ついでにペットボトルの夢茶1本の購入分を払ったのを見て、梨音は教会の方へと再び歩き始めた。六香が梨音の隣に並んだところで、彼は階段を上り始める。


「神獣について調べて、どーするの?」
「……恐らく無理だと思いますが、神獣の居場所の手がかりのようなものを、調べられるかと思って」
「あぁ〜、なるほどね。分かんなかったら?」
「……その時は、ウィジアンに頼るしかないでしょう」


 階段を上り切ったところで、梨音は一度足を止めた。遠目に教会を探して、また歩き始める。六香は教会の場所をはっきりとは知らないので、ただ彼の後をついていく。
 中央広場の噴水の脇を通りすぎ、上ってきた階段とは別の階段を下る。


「……ルーディンには、早く会うべきです」
「え?何で?」


 ぽつりと呟いた梨音の言葉が分からず、六香は問い返した。階段を下り切り、右の方へ曲がって歩きながら、


「……フルーラさんの話から察するに……敵も、椅遊さんの召喚術を滅することができるのは、ルーディンだけだと知っているはず。……椅遊さんを捕らえることができなかったのなら、魔王の力を欲している彼らが考えることは、ただ1つ……」
「ルーディンを……殺す、とか?あ、でも、神獣って不死なんだっけ……」
「……恐らく、ボク達より先にルーディンに会って、ルーディンを捕らえるつもりでしょう。……そうすれば、椅遊さんは召喚術を失うことができなくなる」
「ぇええっ!!? じ、じゃあ、こんなとこで油売ってる暇なんてっ……!」


 梨音は、淡々と可能性を語った。彼に言われて初めて気が付いた六香が、慌てて物を言いかけるが、梨音はいつもと同じ声色で。


「……ただし、ルーディンが何処にいるのか分からないのは、彼らも同じはず。……しかも、相手はあのルーディンです。『彼』は……五体の神獣の中で、唯一、戦闘能力を持つ神獣。力も、神獣随一。……簡単には、捕まらないでしょう」
「え……」


 まるで、ルーディンを知っているかのような口ぶりだった。思わず梨音を見るが、彼はいつもと変わらない横顔だった。


「イオン……ルーディンのこと、知ってるの?」
「………………」


 梨音は、答えたくない質問には、とことん答えない。いっそ気持ちいいほど、あっさり無視する。嘘をつかない分、まだいいが。この時も、そうだった。
 二人が歩いていくと、左側に教会が建っているのが見えてきた。学校がない今日の教会に立ち寄る者は少ないのか、教会の前だけ人通りが少ない。

 二人の間に、何とも言えない静かな空気が漂う。その空気のまま、二人が教会の扉に近付いた時。



『アナタ達は、神様を信じる?』



 風に乗って、少女の声が聞こえてきた。


「え……っ?」


 六香は思わず足を止めた。耳元で聞こえたような気がして真横を見るが、いるのは梨音だけ。


『神様なんて、名だけの存在だと思わない?本当にいるって証拠、何処にあるのかしら?すべてのものに平等なんて、馬鹿な人間の妄想の賜物だってこと、馬鹿だから気付かないのよね、人間って』
「あ、アンタ誰よっ?ってゆーか、何処にいるの?」


 風に乗って聞こえているせいで、何処にいるのか分からない。キョロキョロを頻りに辺りを見渡しながら聞いてきた六香に、


『ふふっ、上を見てごらんなさい?』


 コチラを見下したようなからかった口調で、少女は言う。言われた通り、六香と梨音が上を見上げると、教会の屋根に悠然と立つ小柄な少女がいた。

 緩くウェーブのかかった、つややかな水色の髪を持つ美少女だった。年は、六香より年下、梨音より年上といったところか。ドレスのような黒い服で細身の体を包んでおり、妖しく笑うその少女は、雰囲気だけでいえば大人に見えた。

 彼女は楽しそうな表情で口に手を添えて、


「フフ、初めまして。わたしは、逆上舞歌。アナタ達は、真琴六香、依居梨音であってるかしら?」
「! 何で、アタシ達の名前……!」


 その容姿によく釣り合った上品な言葉遣いで、自分達の名前を当てた。六香は少女――舞歌を仰視したまま、愛銃に手を伸ばす。
 六香の反応を見て、舞歌はクスッと小さく笑う。


「アナタ達は、これからわたしと一緒に遊ぶの。……お兄様の邪魔なんて、させないんだから」


 低い声だった語尾は、思わず恐怖を感じてしまうほどの静かな迫力を宿していた。舞歌はそう言うと、薬指に指輪をはめている右手を差し出した。


floWフロウ >> Windウィンド#」


 耳に流れるように入ってきた詠唱文。
 その途端、風の向きが、変わった。


「えっ?」


 後ろにかすかになびいていたオレンジ色の髪が、いきなり前になびいたことに六香がキョトンとした直後、


「きゃあぁっ!?」
「っう……?!」


 ちょうど舞歌のいる正面上の方から、強い突風が二人を襲った。あっさり足を絡め取られ、吹っ飛ばされて背中から着地する。
 一瞬、息が詰まった二人は咳き込んでから、


「ゲホッ……う〜、背中モロに打ったぁ……イオン、大丈夫?」
「っこほ、はい……」


 土埃を払いながら立ち上がり、梨音は屋根の上の舞歌を見上げた。彼女は、風で乱れた長い髪を手ぐしで梳いていた。
 さっきの風。明らかに自然現象ではない。となると――、


「……クランネ、ですか」
「あら、知ってるの?」


 水色の髪に向けていた神経を梨音に向け、舞歌は驚いたように目を瞬いた。

 クランネとは、地水火風の理を操る少数種族のことだ。この能力にちなんで、人々は彼らをフォースとも呼んでいた。
 彼らは、血と媒体と呪文によって理を統べる。理を操る根源の力はその血に秘められているが、体内にそれが流れているだけでは意味を為さない。何か、内と外を繋ぐ楔が必要なのだ。それが媒体と呼ばれるものである。舞歌の場合だと、恐らく右手の指輪がそうだろう。呪文は、力を発動させる合図である特別な言葉だ。

 しかし、クランネという存在を知る人は少ない。クランネは、グランに多く住んでいるといわれているが、誰もそれに気付かない。外見は、人間と変わりないからだ。グラン共和国を立ち上げたのもクランネだが、それも公にはされていない。

 舞歌は右手の銀の指輪をいじりながら、妖しく微笑んだ。


「そう、わたしは、気高き理を担う者クランネ。統べる理は、今分かったでしょうけど、〈風〉よ。さあ、一緒に遊びましょう?」



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



 あと5分経てば、鈴桜が追いかけてくる。いや、来ないかもしれないが。


≪あと5分だ≫
「あ、マジで?んお、コレウマい」


 すぐ下から告げるフルーラの制限時間を聞きながら、夕鷹はティラミスを食べていた。向かいでは、フルーツのタルトを一口食べて、笑顔を浮かべる椅遊がいる。
 鈴桜のいた喫茶店を出て、服屋や雑貨屋など気の向くままに歩いた。今はケーキ屋でちょっと休憩中。
 椅遊がいたので普段は寄らないところにも行けた。夕鷹自身、結構楽しんでいたりする。


「椅遊、ソレウマい?」


 本当においしそうに食べる椅遊に問いかけると、椅遊はやはり笑顔で首を縦に振った。
 服屋や雑貨屋を回ってもそうだったが、椅遊は小さなことでよく笑う。フルーラが言うには、彼女には記憶がないから、すべての体験が新鮮に感じられるらしい。
 さっきも、彼女が今、手に持っているスプーンの使い方もイマイチ分かっていなかった。しかし、夕鷹が手本を見せてあげたら、すぐに理解した。その辺のことは感覚的に覚えているらしい。


≪ところで夕鷹≫
「んんー?なに?フルーラも食べる?ってか、もうないけど」
≪そうではない。大体、私は物が食べられない。すぐに戻すぞ≫
「え、吐くの?マジで?」


 ティラミスを食べ尽くして皿の上にスプーンを置きながら、夕鷹は椅遊の足元のフルーラに向かって言った。フルーラは≪そうだ≫と肯定した。


≪私達神獣は、実体があるようでないからな。分かるか?私達は、血肉でできた存在ではないということだ≫
「ん〜、アレだろ?内臓がないってことっしょ?」
≪……そうとも言うな≫


 少々嫌な表現だったが、夕鷹なりの解釈の方が分かりやすかった気もする。


≪話が反れたな……今更だが、1つ聞きたい。お前はなぜ、椅遊を手伝う?会ったばかりの、他人のこの子を≫


 夕鷹は、椅遊が食べ終わったのを見計らって席を立った。椅遊も、口の中のものを飲み込んで、歩き始めた夕鷹の後をとてとてと追う。


「今更、他人なのかどーかは別として……椅遊のこといろいろ知っておきながら、逃げるってのも卑怯だろ?」
≪だが、逃げようと思えばできたはずだ。特にお前は、面倒くさいことを極端に避けようとする傾向がある。そのお前が、なぜ、わざわざ面倒くさい椅遊の事情に関わろうとする?≫


 店を出るためにレジの前を通って、「ありがとうございました」という女性の声を聞きながら道に出る。前払いだったので、食い逃げではない。
 夕方が近付いてきているので、メインストリートを歩く人もまばらになってきた。テキトウな方向に歩きながら、


「ははは、フルーラに会って、まだ1日か2日くらいしか経ってないのに、もうそこまで分析したんだ。頑張るな〜」
≪はぐらかすな。答えろ。なぜだ?≫


 夕鷹は笑いながらフルーラの言葉を流そうと思ったが、それはあっさり防がれてしまった。「うーん」と、夕鷹は少し困った声を上げる。

 椅遊が可哀想だからとか、大変そうだからとか、そんな単純な理由じゃない。ちゃんと、理由はある。
 でも――


≪おい、夕鷹≫


 聞いているのかと、前を歩く夕鷹の背中にフルーラが言った途端、夕鷹はぴたりと立ち止まった。
 後ろを歩いていた椅遊は、急に止まった夕鷹の背中にモロに鼻をぶつけた。鼻を摩りながら夕鷹を見るが、彼は振り返りもしなかった。ただまっすぐ、前を見ていた。


「……もしかしてさ、俺達?」


 その彼が、前に向かって喋った。椅遊が夕鷹の視線の先を、ひょこっと覗き見ると、少し離れたところに立っている一人の青年がコチラを見ていた。蒼い髪が美しい、表情が少々死んでいるが端正な顔立ちをした青年だった。


「ずーっと、コッチ見てるんだよ。気味悪いよな?」


 すると青年は、コチラに向かって歩いてきた。本能的に危機を感じ取った椅遊が慌てて夕鷹の背後に隠れ直し、フルーラが警戒心を強める。
 彼は、まっすぐ歩いてきた。その妙な圧倒感に、ぶつかりそうになった人が思わず彼を避けて歩いていく。
 青年は、夕鷹の3メートルくらい先で止まった。襲いかかろうと思えばすぐに詰めることのできる距離であり、逃げようと思えばすぐに逃げることのできる距離。


「……神獣を連れて歩くのは、1人だけ。朔司椅遊、そこにいるな?」


 彼の意識は、夕鷹の背中の少女にのみ向けられていた。自分の名前を出されて、びくっと椅遊が震えるのが分かった。夕鷹の隣にフルーラが並び、低い唸り声を上げ始める。通行人達は、この間に渦巻く緊迫感に気付くことなく行き過ぎていく。


「いや、目の前に立ってんのは俺なのに、俺は無視かよ?」


 完全に青年の眼中から外されていた夕鷹は、自分の存在をアピールしてそう言ってみた。すると青年は、ようやく夕鷹に目をやった。


「二ノ瀬夕鷹。猟犬ザイルハイドのお前がそちらにいる理由が分からない」
「あれれ……警護組織リグガーストの奴もそーだったけど、最近俺って有名?」
「新総帥に歯向かう奴だとな」


 あちゃ〜……マジなんだ。
 夕鷹は、内心で額を押さえて溜息を吐いていた。

 どうやら鈴桜の言っていたことは、完全に的を射ていたらしい。今の青年の一言で、前総帥の榊を殺した奴が新総帥となり、猟犬ザイルハイドを動かしているということが立証された。
 椅遊の力を欲しているその新総帥の情報を聞き出そうと思って、夕鷹はトボけたふうに問う。


「新総帥ってことは、猟犬ザイルハイドって総帥変わったわけ?」
「1週間前くらいにな。知らなかったのか?」
「ん〜、初めて知った」
「ならよく聞け。3日前に、その新総帥から猟犬ザイルハイド所属者に通達があった。イースルシア王女の朔司椅遊を捕らえろ、と。そして……」


 その瞬間、ひゅっと風が切れる音がして、青年の腰の鞘からすらりとした細身の刀が抜き放たれた。彼は、その先端をすっと夕鷹に向け。


「朔司椅遊とともにいる二ノ瀬夕鷹、真琴六香、依居梨音は、口止めに殺せ、と」
「うげげ……早速、面倒くさい役が回ってきた……」


 げんなりと溜息を吐く夕鷹の眼前で、青年の刀に暖色系の色が宿り、突然火が灯った。火をまとった刀は、瞬く間に紅蓮の剣へと変身する。


≪あれは……≫


 その猛る炎を見て、フルーラが呆然と呟く。夕鷹は少し驚いた顔で瞬きし、「へぇ〜」と珍しそうに言った。


「クランネって、久しぶりに見たな〜」
「知っているのか」
「うん、まぁね。だてに旅してないよ」


 顔色ひとつ変えずに問う青年に、夕鷹はそう言った。フルーラは夕鷹を見上げて≪ほう≫と感心したふうに言う。


≪クランネを見たことがあるのか。お前は意外と物を知っているから楽だ≫
「意外とか言うなって」


 「意外」という言葉は幾度となく聞いてきた言葉だ。どうやら自分は、他人から見ると意外な一面があるらしい。夕鷹はその言葉に苦笑いしてから、


「フルーラ、椅遊と一緒に逃げろよ。負けるかもしんないけど、ま、この程度じゃ死なないから安心して」
≪……お前の生死には、あまり興味がない。しかし、椅遊を目的地まで送り届けることを考えると、お前らに死なれると困る。瀕死でいいから生きていろ≫
「はは、フルーラって結構キッツイコト言うよなぁ……んじゃ、頼みましたよ、ジルヴィーンサマ」


 フルーラに逃走を指示すると、結構冷たい言葉が返ってきた。
 ≪椅遊、乗れ≫と夕鷹の後ろに隠れていた椅遊にフルーラが声をかけた時、ザクッと、夕鷹の見ている前で青年の刀の先が土にもぐった。


inTeRfeReインターフェア >> TeRRiToRyテリトリー#  《groundグラウンド》  paraLLeLパラレル#  BeSiegeビシード >> BurStバースト#」


 青年の口から、流麗な響きの不思議な詞が流れ出る。その柄に刻まれた、4つの正方形が少しずつズレあった証が赤い光を放ち、高速で回転し出すのが見えた。
 夕鷹は相手を見くびっていたということに、今更気付いた。


(げ、今の呪文って!)


「早く出ろッ!!」


 フルーラに向けて叫んだが、少し遅かった。その突き刺さった場所を中心に、夕鷹達も含めて大きな円を描くように地面に亀裂が走り、そこから炎が噴き出て火の壁を張った。フルーラは驚愕し、駆け出そうとした足を思わず止める。


≪何だコレは!?≫
「あー、やられた!そっちの達人か!」


 見て分かる通り、この青年の統べる理は〈火〉。それなのに、〈地〉の属性である地面に〈火〉の属性の炎を通し、ちゃんと狙ったところから噴出させた。一見そうでもないかもしれないが、実は結構高度な術だったりする。
 〈地〉、〈水〉、〈火〉、〈風〉は、ひとつひとつ属性が独立している。自分以外の属性は認めず、拒否するのだ。しかし、高位のクランネとなると、その境界を超えることもできる。それがこの、属性干渉タイプリレイスと呼ばれる技術だ。
 青年は、夕鷹達の逃げ場を完全に奪い去ったことを確認して刀を地面から抜き、正眼で刀を構えた。


「私は、猟犬ザイルハイド逆上詩嵐サガミ シラン。お前はココで果てる」





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