→→ Concerto 1


 フルーラから聞いた話を簡単にまとめると、こうだ。

 椅遊はイースルシア王国王女で、その魔王召喚の力を狙ってきた猟犬ザイルハイドに追われて、国境を越えてまで逃げてきた。そして彼らは、何処にいるかもわからない〈金虎〉ルーディンに会うのが目的なのだそうだ。
 フルーラが言うには、〈金虎〉ルーディンは聖、〈銀狼〉ジルヴィーンは魔の属性を持つらしい。椅遊が召喚する魔王を、正反対の聖の属性を持つルーディンに会って相殺すれば、椅遊から召喚する力が消え去る仕組みだ。

 ——神獣の一人、〈金虎〉ルーディン。五体いる神獣の中で、最も強い力を持つとされる、金色の虎だ。〈銀狼〉ジルヴィーンは、二番手といわれている。


「そのルーディンが何処にいるかも分からないのに、お城出てきたの?」


 あの田舎街から首都シーヴァへと伸びる街道の途中。しっかり捕まらないと振り落とされそうな〈ガルム〉の上から、六香が、〈ガルム〉の隣を走るフルーラに少し声を張り上げて聞いた。
 しなやかな動きで駆けるフルーラの上には、椅遊と梨音が乗っている。一方、コチラの〈ガルム〉には、夕鷹と六香がいる。「ラクだ〜」と夕鷹が言ったら、≪乗り物扱いするな!≫とフルーラと〈ガルム〉に即行吠えられた。
 背中の上の二人を気にかけながら走るフルーラは、


≪そのために、まずウィジアンの元へ向かう予定だった。その前夜に、侵入者があって阻まれたのだ≫
「……ウィジアンに、ですか」


 大きさの関係でフルーラの前方に乗っていた梨音が、風に煽られながらぽつりと呟いた。

 〈翠龍〉ウィジアン。梨音の故郷である、セルシラグ聖国の深くに住まうといわれている神獣だ。エルフ達は、『彼』を国の守護神として崇めている。
 しかし、実際にウィジアンの姿を見た者はいない。ただ、鮮やかな碧色の鱗を持つ龍と伝えられている。梨音も見たことがないが、同じ神獣であるフルーラなら、そんな霧の存在であるウィジアンにも会えるかもしれない。


≪奴は、大地と一体とも言っていい。奴に聞けば、大体のものの場所はわかるはずだ≫
「へぇー、そりゃ便利だな〜。フルーラは、何かの力とかないの?」


 夕鷹が興味本意で聞くと、フルーラは少し黙り込み、


≪……私は、精神を崩壊させる力と、〈銀狼〉の名の通り、魔の力を持つ。……私はこんな力など、いらなかったのだがな≫


 そう答える声が、何処か哀しい色を宿していた。もしかしたら聞いてはいけないものだったのかもしれないと思い、謝った方がいいのか悩んで、ふと椅遊と目が合った。彼女は夕鷹を安心させるように微笑んで、小さく首を振った。どうやら必要ないと言っているらしい。
 フルーラは、自分と同じ属性の王を召喚するイースルシア王家に仕えているらしい。地位的には、人間よりも神獣の方が上だが。今までも、何人もの召喚者達を〈金虎〉ルーディンのもとへと導いている。今回も、また。
 そうしているうちに、遠くに目的地の街並が見えてきた。





 フェルベス皇国、首都シーヴァ。
 先ほどいた街とあまり変わらない、田舎臭さの抜け切らない城下町だ。違うのは、都市の規模と人の多さくらいだろう。

 昔、後のフェルベス皇国であるフィルテリア王国には王がおらず、政治は民衆が動かしていた。しかし聖魔闘争を機に、人々の考えはバラバラになり言い争いが絶えなかったため、民衆の意見をまとめて指示を出す人間が必要となった。そこで人々は、彼らが当時尊敬していた人物を、フィルテリア王国の初代国王として立てた。

 当時、大賢者と呼ばれていた、弱冠22歳の青年を。

 彼は、神話書にも姿を現すくらいの大人物だった。多種多様の魔術を操り、若さならではの力強さで人々を導いたと言われている。
 彼は華美なものを嫌った。そのせいで、そのフィルテリア城のあるこの首都も、あまり着飾られていない。国王は民衆が厳選しているので、邪な考えを持った人間には国権は当然渡らない。


「俺、フェルベス好きだな〜」


 梨音が〈ガルム〉を魔界に送り返し、四人+一匹がシーヴァの街に足を踏み入れた時、夕鷹が頭の後ろで手を組んでやぶからぼうに言った。それを聞いて、隣を歩いていた六香が呆れたように息を吐く。


「ソレ、今更言うセリフ?」
「自覚してるって。突っ込むなよ〜」


 突っ込まれて苦笑いする夕鷹を見て、六香は少し悲しげな表情をした。


「……本心から言ってるの?夕鷹にとって、この国は……」
「ん……一応、本心だよ?そーゆーのは気にしないに限るんだって」


 何処か気遣わしげな六香の言葉にも、夕鷹はそう言ってのけた。椅遊とフルーラは、その会話の奥にある言葉がわからず、目を合わせて首を傾げる。
 本当に今更だが、ふとそう思った。夕鷹は小さく微笑って、舗装されたアスファルトのメインストリートを歩きながら言う。


「俺、いろんなトコ行ったけど、バルディアとかグランなんかより、ココが一番落ち着く。イースルシアは、ちょっと綺麗すぎて落ち着かないし」
「……ちょっと同感……かも」


 フルーラの横を歩いていた梨音が、〈ガルム〉を召喚したせいで少し眠たそうな目をしてぽつりとそう言った。彼らに黙ってついて歩く銀色の狼を、道行く人々が不思議そうに振り返るのが感じられた。その、奇怪なものを見る視線には慣れているので気に留めない。
 この道の両側に軒先を並べる店や民家を眺めて、長年の習慣で無意識に泊まれるところを探しながら理由を続ける。


「……バルディアのビアルドは要塞だし、グランのジェノスは賑やかすぎだし……セルシラグのアラムキンゼルも、ちょっと宗教じみてて……この国も、好きじゃないけど……他国よりはマシかも」
≪ほう、そうなのか。私は、イースルシアからはあまり出たことがないのでな≫
「うーん……とりあえず、バルディアよりはいい国だと思うわよ、アタシも。あそこは軍事主義だから、雰囲気暗いし」


 あまり他国の様子を見たことがない六香が、バルディアと比較して頷いた。


「ってゆーか、夕鷹もイオンも、フェルベス以外の国に行ったことあるの?」


 六香の少し驚いたような口調に、初めて見た国外の都市をキョロキョロと見渡していた椅遊が、不思議そうにくるっと六香を振り返った。
 六香は夕鷹達と1年近く、ともに行動していると聞いた。その六香が知らないこともあるのだと、少し驚いた。


「んんー?あー、まぁあるけど?」


 夕鷹は大したことじゃなさそうに答えたが、実は結構凄いことだったりする。フェルベスと同盟関係にあるイースルシアと、ラシャ湾を隔てて向こうのグランはともかく、他種族の侵入を嫌うセルシラグや、フェルベス侵略計画の噂があるバルディアには、踏み入ることはできないはずだ。どうやって大陸を一周したのやら。


「ま、そんなのはどーでもいいっしょ。六香、夢風車亭ゆめふうしゃていの本店、行かないの?」


 夢風車亭というのは、六香の好きな夢茶をつくっている駄菓子屋のことである。フェルベス国内で店をチェーン展開させてしまうほどの売上を誇っている。ここシーヴァには、その本店があるのだ。
 六香はまんまとその言葉に乗せられた。


「行くに決まってるでしょ。ねぇ、自由行動時間とらない?」
≪別に構わないが、街中にも猟犬ザイルハイドの連中がいるかもしれないからな。十分、気をつけろ≫
「そんじゃ、六香は夢風車亭いってらっしゃ〜い。梨音は、どっか行くの?」
「……教会に、ちょっと」


 返ってきた答えに、思わず目を丸くした。教会というのは、各町々で多少差はあるが、神話書などを保管している建物だ。子供達にとっては、学校の役割も果たしている。ちなみに、フェルベス国内だけの話である。
 「神の傍にも近い場所」とも言われるその場所が、梨音は嫌いだった。その彼が、珍しく自分からその場所へ赴こうとは思いも寄らなかった。
 俺も行こっかな——そう言おうとした夕鷹を、梨音は遮った。


「……ボク一人で行くから……夕鷹は遊んでて」
「遊んでてって……俺、別に行くトコないし」
≪ならば、椅遊といてやってくれないか≫


 六香達が帰ってくるまでどうしようかを考え始めようとした時、フルーラがそう言った。銀狼を振り向くと、『彼女』は椅遊を鼻で差した。


≪椅遊を一人にするつもりか?言っておくが、私に戦闘能力はほぼ皆無だ。できるのは、精々逃げることくらいだろうな≫
「え。だって、フルーラって神獣なんでしょ?強いんじゃないの?」
≪なぜ、「神獣=強い」になる。お前らの偏見改善のために説明するが、神獣とは、世界の平穏を見守るために神が生み落とした存在だ。神獣はそれぞれ能力を持っているが、戦闘能力は持ち合わせていない。その上、死ぬこともない≫
「……そ、そうだったのね……」


 「神獣」というイメージを一気に崩された気分だった。六香が愕然とした表情で、脳の中の神獣の解釈文を正しい文に書き換えながら呟いた。


「とにかく、夕方頃に中央広場に集合ね。じゃあアタシ、夢風車亭に行ってくるから」
「……じゃあボクも、行くよ」


 集合時刻と場所を言い捨てるなり、六香は夢風車亭のある東方面へと向かって行った。梨音も小さくそう言うと、中央広場を跨いで向こうにある教会へと歩き出した。残された夕鷹達は、あてもなく、メインストリートをさらに奥へとブラブラ歩み進みながら、


「そーだなぁ……椅遊は何処行きたい?」


 夕鷹には特に希望がなかったので、この街に初めて来た椅遊の意思を優先させることにした。夕鷹に聞かれて、椅遊は辺りを見渡して少し悩む仕草をしてから、ぴっと一つの喫茶店を指差した。


「へ?そんなトコでいーの?」


 王族と聞いていたので、意外と庶民的な願望に夕鷹は少し驚いて問い返した。椅遊はコクンと頷く。


≪お前らが飲むようなものが飲んでみたいそうだ≫
「なるほど〜」


 横からフルーラが、椅遊から詳しいことを読みとって夕鷹に伝えた。夕鷹は「んじゃあ行くっか」と、二人と一緒にその喫茶店に近付いた。
 店のガラス製のドアを開いて中に入り、丸テーブルがたくさん並べてある綺麗な店内を見た時、その男性とばっちり目が合った。


「あ」


 やばい、と思った瞬間。


「動くな!!」


 ガシャ、という金属がこすれる音がした。見てみると、さっき目が合った男性がイスから立ち上がって、黒いボディの拳銃の銃口を夕鷹に向けている。夕鷹は、この首都で"彼"と会う可能性があったことをすっかり忘れていた。

 20代後半くらいの、少し汚れたベージュのコートを羽織った男性だった。一つに束ねた藍色の髪と鋭い紅い瞳の組み合わせが、クールを印象づけていた。
 賑やかだった喫茶店内に、緊張が満ちる。客人達は、男性の銃を見て小さな悲鳴を上げた。

 男性は、微動だにしない。夕鷹も、「動くな!!」と言われたので動けない。というか、動いた瞬間、絶対に撃たれる。この男性の銃の腕は、よく知っている。
 銃口を向けられておきながら、夕鷹は片手を上げて、軽々しく彼に話しかけた。


「やっ、こんなトコで会うなんて運命としか思えないね〜、レイオーサン」
「何が運命だ、このお調子者。そこを動くな。この腐れ縁を終わらせてやる」


 夕鷹の軽口にマジメに返答したこの男性こそが、追行庇護バルジアー幹部の一人、鈴桜烙獅レイオウラクシである。銃の扱いなら、六香よりも段違いに上を行く。夕鷹でも、彼の弾を回避するのはさすがに至難の技だ。
 民の安全を保護する警護組織リグガーストの一部である追行庇護バルジアーの彼が、こんなところで銃を抜くとは思わなかった。夕鷹は面倒くさくなる前に抑えようと思って、声をかけた。


「あ、レイオーサン、今は連れがいるから、後にして」
「言い逃れは、……?」


 そこで初めて鈴桜の目が横に動いて、夕鷹の隣の少女と銀狼を捉えた。二人がいることに気付いたらしい鈴桜に、


「この子の要望でココに来たんだ。だから今は、休戦ってことで」
「……そうしてしまったら、お前を逃がすだろう」
「んじゃあ俺、逃げないから、この店を出るまで休戦ってのは?」


 夕鷹がそう持ちかけると、鈴桜は少し考え込むようにその格好のまま静止してから、すっと拳銃をコートの内側に戻した。


「……仕方ないな。この場で発砲するのも気が引けるしな」
「お、さっすがレイオーサン、わかってくれるね〜。そんじゃ行きますか。何処に座る?」


 次第に賑やかさを取り戻し始めた空気で、鈴桜が席に再び座ったのを確認し、夕鷹が椅遊に希望を聞いた。すると椅遊は、コーヒーを飲んでいた鈴桜を迷わず指差した。指の先を見て、夕鷹は椅遊を思わず見返した。


「レイオーサン?」
≪一緒に座りたいらしい≫
「んんー?何で?」
≪お前の友達なんだろう?だそうだ≫
「んー、友達じゃないんだけど……まぁいっか、せっかくだし。レイオーサン、そこ座るよ〜」


 夕鷹が店を出るのを見張っていた鈴桜に言いながら、夕鷹達は彼の座るテーブルに近付いた。夕鷹がちょうど二つ空いていたイスの右側に座ると、鈴桜がうさんくさげな表情で見てくる。


「何だ、いきなり」
「気分だって。さーってと、何頼むっかな……あ、レイオーサン、」
「代金なら払わんぞ」
「あちゃ、バレたか……椅遊、何飲む?」


 常人では考えないことを頼もうとしていた夕鷹は、鈴桜の前にあったメニュー一覧表を引き寄せ、右側のイスに座った椅遊にも見えるように置いて聞いた。椅遊は一覧表を覗き込んで、小さく首を傾げた。するとすかさず、彼女の足元に座っていたフルーラが補足する。


≪椅遊には、文字の記憶も物の名前の記憶もない。お前がそう聞いても、椅遊が困るだけだ。何か椅遊が好みそうなものを、お前が頼め≫
「あ、なるほど……うーん、そーだなぁ。じゃあ……そこの店員さーん、紅茶2つよろしく〜」


 一覧表から顔を上げた時、ちょうど目に入った他のテーブルを拭いているエプロンの女性に手を振って、夕鷹は気軽な口調でそれを注文した。女性は、「かしこまりました」と営業スマイルで答え、片付けたものを持ってレジの後ろへと引っ込む。
 夕鷹の選んだ品に、フルーラが驚いた様子で言う。


≪紅茶か。椅遊は好きだぞ≫
「あれ、そなの?」
≪記憶が何度消えても、好みは変わらないからな≫
「っていうか、知ってるんなら教えてくれたらいーのに」


 夕鷹がメニューの一覧表をテーブルの真ん中に置いた時、コーヒーを飲み終わった鈴桜が、おもむろに椅遊の足元のフルーラに目を向けた。


「さっきから気になっていたが、そのド派手な狼は何だ?」
≪ド派手とは失礼だな≫
「しかも喋る。コイツが噂に聞く、神獣ってヤツか」
≪驚かないのか?≫
「興味がないからな」
≪そうか≫


 フルーラは愉快そうに小さく笑った。神獣に興味がないという奴も珍しい。
 鈴桜は、コーヒーを一口飲んでから、


「なぜ、その神獣がココにいる?」
「あ、その神獣、この子についてるから。この子、追われてきたんだよ」


 鈴桜の警戒した声音の問いには、夕鷹が答えた。鈴桜は椅遊を見て、夕鷹に説明を求める。


「追われてきた?」
「うん、猟犬ザイルハイドに追われてきたんだってさ。でも俺、女の子を追えなんて、全然聞いてないし。大体、リョーサンはそんなことする人じゃないって」


 リョーサンとは、猟犬ザイルハイド総帥・榊 遼サカキ リョウのことである。穏和を望むあの男性が、魔王の力がほしいと言って一人の少女を追いかけさせるなんて考えられない。それ以前に、榊は、必要以上の力など望まないはずだ。

 お盆にのって運ばれてきた紅茶が目の前に置かれる。一緒に置いてくれたスティックシュガーの口を切って、透明感のある赤い液体の中へ投入し、銀のスプーンでくるくる混ぜる。椅遊はそれをじーっと見つめて、見よう見まねで、同じ動作をする。
 棒の先をちぎりとって、中のものを赤い水に注いで、銀色のもので混ぜる。銀色のもので少し掬って飲んでみたら、柔らかないい香りが口の中に広がった。
 思わず、笑顔が綻んだ。おいしい、と素直に思う。それを見て、夕鷹は、紅茶を選んでよかったと思った。


「あ、椅遊、ココに砂糖あるから、ちょっと苦いって思ったら、もっと入れちゃえ」


 テーブルの真ん中にあったスティックシュガーの束を指差して言う夕鷹に、カップを下げてもらった鈴桜が、訝しそうな目で夕鷹を見る。


「……夕鷹、それは、どういうことだ?」
「んんー?何が?」
猟犬ザイルハイド総帥・榊 遼は、すでに殺されているんだぞ」
「…………へ?」


 夕鷹の、カップを口に運ぶ動作が止まった。意味が分からないという目で鈴桜を見ると、


「殺されたのは、1週間前くらいだ。場所は、パセラ郊外にある榊の屋敷。死因は、背部の巨大な切り傷からの失血死だ。その他、屋敷にいた連中もすべて殺されている」


 鈴桜は淡々と事実を語った。その言葉を聞きながら、夕鷹は信じられないでいた。

 夕鷹は、榊に会ったことがある。ずばーんと屋敷を構えて自分の居場所を示しておきながら、追行庇護バルジアーさえもうかつに手が出せないくらい強い男だった。その榊が、背後をとられて死ぬとは思えない。
 椅遊が猟犬ザイルハイドの連中に追われて城から逃げてきたのは、今から大体、5日くらい前になる。それよりも早く、総帥の榊が殺されているということは——


「だったら今、猟犬ザイルハイドを動かしてるのって……」
「……恐らく、榊を殺した奴だろうな」


 夕鷹の予想通り、鈴桜はそう返答した。


「その子を追うように指示したのも、そいつだと考えていいだろう」
「マジっすか……そんなことになってるなんて聞いてないぞ……」


 最近、何やら面倒くさいことに縁があるらしい。夕鷹は溜息を吐いて紅茶を飲んだ。

 猟犬ザイルハイドは、フェルベスとイースルシアに点々と集会所のようなところがある。その多くは街の中にひそんでいる。そこで貴族の情報交換をしたり、通信機での総帥の連絡次第で動いたりもする。ちなみに、相手が本当に猟犬ザイルハイドであるかを確認するため、集会所に入る時に、牙を剥いた狼を象った猟犬ザイルハイドの証が入った金板、〈クレスト〉の提示を求められる。
 恐らく「椅遊を追え」という指示もそこで出されたのだろうが、夕鷹は集会所に行く習慣がない。侵入の標的も気まぐれだ。普段から行かなかったせいで、その指示を聞かなかったらしい。


「榊が、背後をとられてやられるくらいだ。榊の何倍も強いだろうな……そいつには会わない方がいい」
「ってか、会いたくもないって」
「だが、お前らがなかなか捕まらなかったら、そいつ自らが出てくるのは確実だ」
「嫌なこと言っちゃダメだって〜、めんどくさいなぁ……」


 紅茶をすべて飲み干して、椅遊のカップを見ると、彼女もすでに飲み終えていた。「そんじゃ行くか〜」と席を立ち、ジャケットのポケットからサイフを引っ張り出す。銀貨3枚をテーブルの上に置き、


「店員さーん、お代よろしく〜。椅遊、おいしかった?」


 自分を追って席を立った椅遊に問いかけると、椅遊は嬉しそうに微笑んで頷いた。夕鷹がつられて笑みを浮かべ、コートの内側から銃を引き抜こうとしている鈴桜に背中を向けた。

 鈴桜が、銃を構えようとするより早く。

 強い衝撃が走ったと思うと、鈴桜の手から銃がすっぽ抜けていた。鈴桜の銃を下から踵で蹴り上げた夕鷹は、上に飛んで頭上から降ってきた銃をキャッチし、


「こーゆーの、ココで使わない方がいいって。お客がビビるっしょ?」


 と、拳銃のトリガーの後ろに指を入れてくるくる回しながら、余裕そうに言った。銃がない鈴桜なんて、怖くも何ともない。鈴桜は少し屈辱的な表情をして、


「……私の銃だ。返せ」
「そーゆー問題?」
「いいから返せ」


 右手で銃を寄越せと訴える。確かに、銃がなければ鈴桜は鈴桜でない。夕鷹は少し考えてから、ぴっと人差し指を立てた。


「うーん、いーけど、条件つき」
「……何だ?」
「銃を渡して1日は追いかけっこなしね」
≪1日は長いぞ、夕鷹……せめて1時間だろう≫


 常識外れなことを言う夕鷹に、フルーラが勝手に時間を訂正した。夕鷹は「えー」と嫌そうア声を出す。


「1時間は短いって」
≪その間に逃げればいいだろう≫
「仕方ないな〜……じゃ、1時間ね。ほい、レイオーサン」


 と、夕鷹は人差し指でくるくる回していた小型兵器を、軽々しく放り投げた。対する鈴桜も、何食わぬ顔で銃身を掴んで受け取る。


「銃は投げるな。トリガーに指が触れたらどうする」
「安全装置つけてるし、大丈夫っしょ〜」


 確かにそうだった。それを指摘され、鈴桜は言葉の返しようがなく黙り込む。夕鷹は鈴桜をくるりと背にし、時計の針が差す時間を確かめてから出入口に歩き出す。


「さってと、そんじゃ逃げるか〜。平和な時間、1時間しかないんだもんなぁ」
≪残り59分45秒くらいだ≫
「おわ、フルーラってばカウントしてんの?そんじゃ、さっさと逃げなきゃな〜。椅遊、次、何処行く?」


 「1時間しかない」と言っている割に結構楽しんでいるような素振りがある夕鷹と、初めての街探索に楽しそうな笑顔の椅遊と、生真面目にカウントしているフルーラの後姿が縮んでいくのを眺めて、鈴桜は再びイスについた。
 近くを通った店員に、もう一杯コーヒーを頼んでから、溜息を吐いた。


「夕鷹の奴、はめたな……」


 大体、コチラは条件をのんだなんて言っていない。一方的に決められて銃を返されてしまった以上、1時間待たなければ条件を破ることになる。鈴桜は小さく溜息を吐き、仕方なく、この店できっちり1時間潰すことにした。


「鬼ごっこじゃあるまいし……」


 何だかんだ言って、そういうことは守る性分の鈴桜だった。





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