第20話  光と闇と

 キャンバスに絵の具をぶちまけた絵画のような空間だった。  赤い残像、青い残像、白銀の閃き。風が爆ぜ、金属が噛み合い、土が抉られる。形も認識できぬスピードで繰り広げられる舞台は、人あらざる者同士でこそ成立する。  刃と棍棒とが弾け、シドゥが大きく後退し、左手方から再び迫る。 「『深紅の火炎、アスリア』」 「うわっと!?」  対する青年鳥族は、シドゥが距離をとった数瞬で照準を絞っていた。足元で火炎魔法が炸裂し、赤の少女は驚きつつも前に跳躍して回避した。そのまま縦に回転をつけ、遠心力をのせた棍棒を振り下ろす。  足止めを逆手にとった棍棒の一撃が、ゼドの掲げた大剣の腹に激突した。体幹を震わせる凄まじい衝撃が二人の腕を駆け抜け、肩から抜けていく。  青年の頭上を、シドゥは軽やかに宙返りで越えた。羽の生える背を向けて着地、振り返りざま棍棒を振り抜くと、鈍い手応えがあった。  ゼドが、手ぶらの右腕だけで棍棒を受けていた。普段、ヒビ一つ入らない鉄壁の無表情が少しだけゆがむ。  リーチは少女の方が長く、大剣での反撃は不可能――そう思っていたら、予想外のことをが起きた。 「おっ?」  動いたのは、今しがた一撃を受けた右腕。青年鳥族はその手で棍棒を掴み、自分の方に力強く引いた。反対の端を握っていたシドゥも引っ張られ、体勢を崩す。  しかし、旋花リラは冷静だ。棍棒から手を離し、置いていかれた右半身を返すと、ずっと浮いていた右足で回し蹴りを放つ。今度は、彼の左腕が持つ大剣が受けた。棍棒は、彼女が手を離した途端に崩れて塵となる。  受け止められた右足を剣の腹にかけ、それを土台にシドゥは飛び退る。 「『怒り狂う雷撃、ヴォルガス』」  空中に舞った小柄な体躯に、ゼドが雷撃魔法で追撃をかけた。うねる紫電が彼の手前から放たれシドゥに迫るが、すでに少女の手元では棍棒の再構成が始まっていた。構成途中の棍棒が振り下ろされ、先端が地面に突き立つ。それを伝って紫電は下に向かい、土によって無力化された。 「あははっ!さすがだね。アタシの動き、見えてるんだ」  本来の力を取り戻しているし、羽もある。それなのに、ゼドには自分の姿が見えているらしい。シドゥは、構成が完了した得物を突き立てながら褒めた。  ――旋花リラ。軽業のような無駄のない華麗な動きは、ドゥルーグ従士随一だ。  リラは、口元に、彼女の主とよく似た部類の皮肉げな笑みを浮かべた。 「さすが、疾風の名を冠するだけあるね。合ってるだろ?アスフィロス従士・疾風ゼティスサン」 「……最初から気付いていたのか」  戦闘が始まってから、名唱以外で初めてゼドが口を利いた。情景を映すだけの彼の眼を見て、彼女は「そりゃーね」と肩をすくめた。 「ディアスの気配がわからないワケじゃなかったしね。でもアンタには、アタシがドゥルーグサマの従士だってすぐにわからなかったはずだよ。それだけアタシが弱ってたってコトなんだけど。アンタ、アタシが取引しようって言った時、やっとアタシの正体に気付いたんだろ?」 「……ケテルフィール家を襲ったのは」 「見てた通り、ペンダントを手に入れるためだよ。ホントはルシスがやるはずだったんだけど、アイツ途中で放棄してね。けどお相手は大貴族だし、弱ってたアタシじゃ無理っぽそーだった。どーしようかなって思ってたら、アンタを見つけたワケ」 「………………」 「アンタ、ルシスを探すために、あの屋敷に用があったんだろ?あの貴族の屋敷で雇われてるって知って。大方、水波ウェルニアサンの『同調』で情報仕入れたってとこかな?」  淡々と語られるシドゥの推測は、監視していたかのようにすべて的中している。アスフィロス従士の一人・水波ウェルニアは、ディアスの属性を持つ自然と『同調』し、遠くの様子を視ることができる。 「アンタの役目は、弱ってるドゥルーグサマを捕まえることと、ついでに従士探しだった……ってトコだろうね。疾風のアンタに追いかけられたら逃げられるわけないしねぇ~。ドゥルーグサマも、ノアの援護がなかったら本気でやばかったってさ」 「……ノアは、ドゥルーグを捨てたのではないのか」 「捨てたっていうか、従士に嫌気が差して、勝手に現界に下りちまったんだよ。けど、ドゥルーグサマとの関係が切れたワケじゃないし、ノアもドゥルーグサマの手助けするのは当然だろ?」 「なら、なぜ今、手を出してこない?」  ドゥルーグ従士の最後の一人・影写ノア。彼はリラ、ルシスと違い、ドゥルーグの元にはおらず、現界の片隅でひっそりと過ごしている。  アスフィロス側もドゥルーグ側もその場所を知っているが、諸事情でどちらもノアに干渉することはほぼない。こちらから会いに行かない限り、会うこともない。独立している従士だ。  ノアは少し特殊な力を持ち、その時いる世界――冥界にいたら冥界、現界にいたら現界を常に視る力を持つ。そこを動かずして、世界の様子を大方把握している。  同じ世界内にいれば何処でも彼と会話でき、威力は半減らしいが攻撃も可能だ。それがノアが独立できる由縁ではあるが、基本的に彼は傍観者で、他人と接したがらない。  そんなイレギュラーな従士は、恐らく、今この瞬間も視ているのだろう。  それなのに――二人の従士が戦う中、手を出さずに視ている。  その疑問を問い掛けると、シドゥは初めて少し困った顔をした。訝しげにゼドが見る前で、無意識なのかポリポリと頬を掻く。 「…………あー、それは~……ほら、ノアはいっつも高見の見物してるから」 「自分の主が関わっているというのにか」 「ドゥルーグサマは強いし、ココはラグナのフィールドだし、ノアが手を出すまでもないだろ?」 「なら、お前達二人も手を出す必要はないだろう」 「それは、アスフィロスサマとドゥルーグサマの戦いを、アンタらに邪魔されないように……」 「だったら、邪魔者はさっさと潰すべきだろう。なぜ三人で掛かってこない」 「あ゛ああーーッ!!! ったく、そんなのどーでもいいだろ?! 何なんだよ?疾風サン、アンタ、そんなに不利になりたいワケ?」  少女の言葉をゼドが次々に切り崩していくと、最後になぜか彼女は憤慨した。わけがわからず黙り込む青年に、シドゥは苛立った様子で棍棒を構える。  ――なぜ、ノアは手を出してこないのか。  ノアは今、現界にいないのか?もしくは今、手を出せない状況なのか?  現界に不在ということは冥界に帰ったということになる。しかしシドゥ曰く、ノアは従士に嫌気が差してドゥルーグの元を離れた。プライドの高いアイツが、今更、自分からのこのこ冥界に帰るとは思えない。  もうひとつ、手を出せない状況という線は、有り得なくもない。ゼド以外の従士が牽制に行っている可能性があるからだ。  だが、確かに国内に感じる2つの同胞の気配は、普段通り安定している。ノアと対峙していたらもっと張りつめた気配をしているはずだ。ということは、二人はまだ彼にまで行き着いていないと考えられる。  それから、シドゥの反応が気になる。――さっきのは、明らかに何かを隠している反応だ。  あと、ノアが手を出してこない理由として考えられるのは…… (……しかし、なぜだ)  解せない。おかしすぎる。  まるで、自分たち光の勢力を『わざと有利にさせている』ような、そんな違和感。  ――復讐以外に、何か別の目的があるのか? 「ボーっとしてる暇ないよっ!!」 「!」  黒い光の粒が舞ったのが見えて、はっとして大剣を眼前に構える。硬い感触とともに朱色の棍棒が襲来し、ゼドは思考の世界から現状に引き戻された。   ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 「『爆砕猛火、エストール』ッ!!」  キルアの甲高い声を皮切りに、セルリアの周囲の温度が急激に上がる。その気配はすぐさま、火花を伴う噴火のような猛烈な熱と炎の奔流となって具象化した。  爆砕魔法は、雷の精霊を炎の精霊のバックアップにつけ、火炎魔法よりさらに燃え盛る業火を生み出す熱の魔法だ。起点から距離はあったのに、息苦しいほどの熱を帯びた強風が全身を叩く。 「二発目準備!」  キルアに手短に指示し、ゼルスは爆発の中心部を素早く見切り、矢を放った。熱風を切って飛来する矢は、もうもうと上がる煙に近付いた途端、灰色の煙とともに突然真っ二つに分かれた。 (速すぎて見えねぇ……!)  切り捨てられたらしい。中空で矢が鏃と矢羽に分かれた瞬間に、その事実を無理やり呑み込んだ。  分かたれた煙幕の向こうで蒼色の影が揺れる。ゼルスは次なる矢を手にとり、とっさに横転した。  直後、さっきまでいた場所にセルリアが現れた。横に振り抜かれた黒い剣先が頬を掠る。ぞっと血の気が引くのを感じながら、ゼルスはさらに転がって距離をとった。  ――今、一瞬でも遅れていたら、恐らく首をはねられていた。動いたと思った瞬間、目の前にいるなんて。 (……けど、反応できる!)  確かに素早いが、ゼドほどの圧倒的な速さじゃない。微動する一瞬が見える。その残像に食らいつけば、ついていける!  回転から立ち上がろうとしたゼルスに、セルリアが追い討ちをしようとしたところを、 「やらせないよぉ!! 『爆砕猛火、エストール』!!」  隙づくりのために筆記していた魔術を、キルアがとっさにゼルスの援護に使った。  青年従士を取り囲むように爆炎が踊り、彼の足が鈍る。そのうちにゼルスは空中に退避しながら、煙を透かして見えた人影に矢を三連射。今度は叩き落とされず、すべて煙の帳の向こうへ吸い込まれていった。  晴れない煙を眺めて、キルアが呆然と呟く。 「……や、った……?」 「んなわけあるか!これくらいでやられてたら従士失格な!」 「へ?そ、そなの?」 「……随分と呑気だな」 「「!」」  会話に割り込んできた第三者の声。灰色の幕が引いた方を見やると、まったく外傷もなければ、疲れた様子もないセルリアが立っていた。 「……マジかよ……反則だって……」  その足元の地面に三本の矢が突き立っているのを見て、ゼルスは引き攣った笑みを浮かべた。あの視界の悪い煙の中で、完全に見切ってかわしたらしい。  二発はフェイント、最後の一発が本命で、彼の利き手の右腕を狙った。最初の二発を避けると、三発目は避け切れないように撃ったつもりなのだが……一体、どんな回避法なら掠りもしないで避け切れるんだ。  回雪ルシスは、浮いているゼルスとキルアとを見上げて、何処か呆れた口調で言った。 「次元の違うものを相手している奴らとは思えないな」 「そりゃどーも。俺は昔っから、肝が据わってるらしいからな」 「褒めたつもりじゃないが」 「コイツがいるだけで、その場の雰囲気ブチ壊しだから」  ゼルスがキルアを指差して言うと、その破壊力を体験済みのセルリアも「……確かにな」と納得した。 「あのねー、ちょっと聞きたいんだー!」  その好き勝手言われている張本人は、さっそく雰囲気を壊し、いきなり挙手して言った。二人がキルアを振り向くと、彼女は不意に悲しそうな顔でセルリアに問いかけた。 「……ホントに、れーちゃんのとこには、帰んないの……?」  ――レナ・ケテルフィール。  両親を亡くし、心を閉ざしていた幼い少女は、ボディガードとして配属されたセルリアに懐いた。そして彼がいなくなり、再び心に鍵をかけてしまった。  ――回雪ルシス、セルリア。  レナの元に潜り込んでいた異端者の青年は、彼女の温かさに、優しさに触れた。たったひとりの現界の者に照らされた。主人であるドゥルーグより失うのが怖いものができた。  しかし、従士という絶対的な絆を断つことはできない。だから彼は、ドゥルーグとレナとを選択することができず、どちらにも見つからぬ場所へ逃げたのだ。  だが今、この場にいるということは……  もう一人の主である少女の名を出した途端、セルリアの表情が曇った気がした。 「……前に言った通りだ」 「言った通りって?前は、『お前らにはわからない』って、それしか言ってないよ??」  キルアは『お前らにはわからない』というところだけ、マネのつもりか声を低くして言った。  彼女の言う通り、蒼い青年の口から「帰らない」という言葉は出ていない。そのことにやっと自身も気付いたのか、彼は口を開いた。 「…………僕は……自分が従士という存在である以上、帰るわけにはいかない」 「どーして!? ボク、わかんないよっ!どーして帰んないのっ?!」 「黙れっ!!!」 「っ!」  突然の大声とともに、セルリアの姿が霞んだ。  目の前に現れた黒剣の腹が、後退しようとした二人をそれぞれ左右に殴り飛ばした。恐ろしい力で殴り飛ばされた飛族たちは、それぞれ力がはたらいた方向に吹っ飛び、声もなくこの空間の壁に激突する。 「……っがは……」 (んのやろ……ぜってぇ本気じゃねーくせに、舐めやがって……)  熱を伴った激痛が体幹を駆け抜け、肺の空気が強制的に吐き出される。肋骨も二本くらい折ったかもしれない。力を失った竜族が、地面に墜落した。  声を噛み殺し、壁を支えに、膝を地面から引き剥がす。その視線の先で、蒼い影が掻き消えたのが見えた。  とっさに掲げた弓に、強烈な一撃がのしかかった。余剰の衝撃がゼルスの両肩から抜ける。 (……キルアじゃなくてよかった、か?)  セルリアが狙ったのが自分でよかった。恐らくキルアでは押し負けていただろうし、彼女にはこのように防ぐような武器がない。  しばし拮抗していた押し合いは、やがてゼルスが押され始める。弓と剣の交点がこちらに近付いてくる。ゼルスは背筋に汗が流れるのを感じながら、口を開いた。 「『従士である以上、帰るわけにはいかない』、ね……ふざけたこと言ってんじゃねーよ……。レナが、帰ってきてほしいって言ってんだぞ……大体、そんな迷ってるふうに言われても、説得力ねーよ……」  喋りながら内心で自嘲した。完全に息が上がっている。こんな疲労困憊な奴が言うセリフにしては、随分と大口だ。  セルリアは返答の代わりに、無言で押す力を強めた。またゼルスと弓との間が縮まり、押さえ止めきれなくなってきた肘が曲がり始める。 「……魔力を宿す古樹種セロルの弓か。どうりですぐに折れないはずだ」 「ははっ……セロルだったおかげで助かってるらしいな……」 「折れないとは言っていない」  また一段と、セルリアの力が強くなる。顔をしかめつつ、ゼルスは「いや……」と目を彼からやや逸らした。 「折らせねぇよ……!」 「!」  背後からの奇襲を読み取ったセルリアの力が、急激に弱まった。 「『天からの断罪、ギア』っ……!!」  壁にぶつかった時のダメージが大きかったらしく、うつ伏せのまま文字を書いていたキルアは、その魔法を展開させた。  落雷魔法。服や肌の上を静電気が駆け抜けた直後、轟音を連れ、鮮烈な稲光が視界を真っ白に染め上げた。 「ってやぁあーーー!!!」  だがセルリアは、一瞬前に大きく飛び退き、落雷を回避していた。その着地地点を狙い、彼の後ろから、すかさず飛んで来たキルアが殴りかかった。  青年従士は、後ろに目があるかのように首をひねるだけで正確にかわす。それだけでなく、無防備に伸びているキルアの腕を掴むと、彼女の飛行速度を利用し、ゼルスに向け投げつけた! 「が……っ!!」 「ぁうっ……!!」  壁に寄りかかって立っていたゼルスに、ボールのように飛んできたキルアが容赦なく衝突した。  凄まじい力だった。キルアは頭から落ち、ちょうど鳩尾付近に衝撃が入ったゼルスは、嘔吐感に苛まれながらずるずると壁伝いに座り込む。  体が、ひどく重い。痛みと熱すら麻痺して、ひたすらに重い。  逆流しようと暴れる胃の中身を根気でねじ伏せ、ゼルスは顔を上げた。霞んで見える視界に、少し離れたところに立つ蒼の青年が映った。 「……おいキルア……生きてるか……?」  息をするのがつらい。自分の前で倒れているキルアに切れ切れに問うと、彼女は震える腕で上体を起こし、そこに座ることで応えた。しかし、土で汚れた横顔は憔悴しきっている。肩で大きく呼吸をしているし、叩きつけられたダメージが大きいのか背中を丸めている。 「う、ん……けど、もーダメ……!」 「あぁ……アイツの一撃一撃が、重すぎる……」  会話しながら、ゼルスはゆらりと立ち上がった。疲労感が体を地面に落とそうと引っ張るが、気力で無視する。キルアも壁に支えになんとか立ち上がり、セルリアを睨みつけて構える。  たった一、二撃を受けただけなのに、もう体が持たない。頬の切り傷から流れる血を拭う余力さえない。両足で立っているのもつらいが、何もしなければ本当に殺される。  実力者の二人を、瞬殺してしまうほどの力を持つ存在。  これが、従士の力――。 (……やってらんねぇな……)  こんな相手に立ち向かっている自分達が、ひどく愚かしくて笑えた。あまりに現実味がなくて、何もかもが冗談のようだ。  従士でこれなのだ。神や魔王なんて、それこそ神がかった圧倒的な力を持つだろう。彼らにとって自分たちは、地を這う蟻でしかないのだ。 「……ふざけたこと?」  ボロボロな二人を見据えて、蒼い青年がうなるように呟いた。ずっと静謐だったその紫の目に、今は煮え滾るような暗い怒りが滲んでいた。 「従士である以上、帰らないことが、ふざけたことだと?前にも言ったように、お前らにはわからない。主人と僕達が、どれくらい絶対的な関係なのか」 「あぁ……わかんねぇな。わかりたくもねぇな……大体、俺達とお前らがどう違うなんか、どうでもいい……俺が言いたいのは、そんなんじゃねぇ」 「何……?」  違う存在だとか、どういう関係だとか。  そんなのどうでもいい。そんなことを言っているんじゃない。  俺が言いたいのは、もっと別のことだ。  もっと単純な……  訝しげなセルリアを見据える。  大きく息を吸いこみ、満身創痍の体に力を込め、腹の底から叫んだ。 「大事な奴だったら、一人にすんな!!!」  一人でいることが、どんなに怖いことか、知っている。  どんなに周りに人がいても、誰も自分を見てくれなければ、一人だ。  でも、自分を本当に理解し、大切にしてくれる人が、一人でもいてくれたら。一人じゃなくなると、「孤独」じゃなくなると――そう、知っているから。  薄闇を裂くように反響する叫声。頑なだったセルリアの気配に、さざなみのように震えが走るのが感じとれた。 「……っ黙れ!!! そんなこと……わかっている!!!」 「だったら、何で!!」 「お前にわかるものかッ!!」  咆哮のような拒絶とともに、青年は剣を構え、掻き消える。さほど彼との距離はなかった。すぐに間合いが埋まるだろう。  相変わらず姿は見えない。弓を防御に出そうとするが、疲れ切った体がついていかない。そもそも何処を狙ってくるかもわからない。  長年の経験が、冷静に判断した。――間に合わない。 「そーゆーのは話してからほざけェ!!!」  血を吐くように、足掻くように叫んだ瞬間。  ふわりと、二人の間に白い人影が踊り出た。 「「……!?」」  突然の乱入に、両者が目を見張った。ゼルスは純粋な驚きだったが、セルリアは確信した驚愕だった。 「『溢るる大河、サイル』」  そのセルリアの前で人影は手をかざし、水流魔法を名唱する。差し出した白い手から、キルアのそれを何倍も上回る爆発的な水流が溢れ出た。水流は瞬く間に、論理的な思考回路を失っていたセルリアを呑み込む。  これほど凄まじい水流魔法は初めて見た。しかもそれが筆記なしで行われたことに気が付いて、キルアは目を見開く。  豪流が、ずっと奥の壁で砕ける。土壁に叩きつけられた青年の姿もまだ見えない、その爆流に向かって、人影はさらに手を踊らせた。 「『氷結の刹那、イレイズ』」  再びの筆記なし。人影が手を振った通りの位置から、何か小さなものが放たれた。それは飛んで行く最中に見る間に大きくなり、巨大な氷の針となる。計4本の大針は、まだ胸までしか見えていなかったセルリアの頭の両側と両脇に突き立ち、彼の身動きを封じた。 「……す……すごい……」  筆記なしで振るう力、その奇抜な使い方。セルリアをはりつけ状態にしたその人物の背中を、キルアは信じられない顔で呆然と見つめた。  ……と。そこでようやく、その人物が、くるりと二人を振り返った。 「お二人とも、ご無事ですか?」 「あ……!ふぃーちゃん……!?」 「フィン……?!」  予想外の知っている人物に、二人は驚愕した顔で彼女を見た。と同時に、先ほどの圧倒的な魔法にも納得する。  各国の伝承を集めるように依頼してきた、謎のエルフの少女。フィンは「お久しぶりです」と、この場には不釣合いな柔らかな微笑を浮かべた。それから二人の容態をざっと見て、何処か固かった表情を緩めた。 「よかった。少しボロボロですけど、お二人ともご無事みたいですね」 「水波、ウェルニア……!」  セルリアの低い声と氷が割れる高い音がする。三人が振り向くと、青年が黒剣で氷のはりつけを破ったところだった。  彼が忌々しげに言ったその名。振り返らないエルフの少女の白いワンピースが、薄闇ではよく映えた。  ――水波ウェルニア。それは、アスフィロス従士の一人の名だ。 「力そのものであるアスフィロス様と違って、私たち従士のディアスは強くないんです。今も、この空間のラグナが強すぎて、ディアスを放出……羽を構成することができません」  そこに佇立したまま、エルフの少女は、背後の二人に言った。 「ゼルスさん、キルアさん。すみませんが、無茶しない程度に援護をお願いできますか?」
  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆  ずっと、ずっと。重く深い悲しみを、つい最近まで抱えていた。  しかし、自分の世界にこもって数百年が経ち、ようやくその反応に気が付いた。  自分達が去った現界に、ラグナの強い反応。  ドゥルーグは、正体不明のラグナの大軍勢に動揺した。  そして、憎き記憶を思い出した。現界の者達に裏切られ、ペンダントに封印されかけたことを。  従士達とともに命からがら逃げ出して、ラグナの満ちる冥界に落ちのび、ずっとずっと傷を癒していたことを。  この強い反応は、自分の半分をもぎ取っていったペンダント。つまり自分の半身だ。  ようやく、千年止まっていた時間が動き始めた。  回収に行った方が良いと判断し、冥界にいた従士二人に取りに行かせた。  それからしばらく冥界にいたが、不意に思い立った。――現界に下りてみようと。  あれから千年も経っているから、人々は魔王の姿を知らない。子供の姿が非常に役に立った。  従士二人がペンダントを持ってくるまで、各国を巡って伝承を調べることにした。  しかし、少しは変わったかと思っていたが、何処の伝承も変わっちゃいなかった。  それどころか、神と魔王は、ただのおとぎ話の中の存在になっていて。人々は、過ちを忘れようとしていた。  現界に復讐してやろうと――そう決めた。  アスフィロスが会いたいと言っていると、彼の従士から言われた。  断って、逃げた。現界を潰すには、アスフィロスを消す必要がある。しかし、今の自分では相手にならない。  自分に有利な条件が揃っているこの地で、従士達が半身を持ってくるのを待った。  冥界の門がある、この地で。   ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆  宣言通り、手加減するつもりなどさらさらなかった。  光と闇は一対。鏡のように同等の力を持つ。下手に手加減すると、こちらが敗北するのは目に見えていた。  だから、彼が旧友だろうと、手加減するわけには行かない。  闇の精霊が作り上げた、先の尖った無数の黒い弾丸が、串刺しにしようと迫ってくる。ゼルス並かそれ以上の速度で飛んで来る弾丸を、空中で極力回避、できなければ剣で切り払いながら、ウェンは前へ進む。  避け切れない弾丸を、光の大剣を一閃して蹴散らす。振り切った時、大きく漆黒の斧を振りかぶったセウルが目の前に現れた。 「らぁあッ!!」  斧の重量を生かした大振りで、魔王はウェンに向かって勢いよく切りかかった。武器が重い故に、セウルは切りかかるまでがやや遅い。その隙を補うために、彼は精霊を駆使している。  それを知っていたから、その気配に警戒していたウェンは、慌てることなく反応した。振り下ろされる黒い刃を、それより素早い動作で折り返された大剣が下から弾き上げた。その瞬間に両手で柄を握り、そのまま大剣を振り下ろす。 「はぁあっ!!」 「ハハンっ、甘いで!」  斧の重さに引っ張られ、仰け反っていたセウルが不敵にそう言った。  光の大剣が彼に触れる寸前、突然、目の前を闇色が急速に覆った。闇の精霊たちが自らそこに束となり、瞬時に漆黒の壁を作り上げたのだ。  その壁に剣先がぶつかって、硬い手応えがしてからそれに気付く。刃から火花のように白い粒子がぱっと散った。  手が痺れ、刃を引くのが遅れた刹那。ずぶりと、剣が闇の壁に沈み始めた。 「!?」  妙な手応えと嫌な予感を察して、ウェンはすぐさま大剣から手を離し、大きく後退した。  直後。ぐおん!という奇妙な音とともに、その闇から勢いよく巨大な針が生えた!針先はウェンの鼻の先で止まり、勢いになびいて切られた前髪が散る。こめかみを冷や汗が流れていった。  ――あと一歩でも遅かったら、本当に串刺しだった。  ディアスでつくられた光の大剣は、壁を構成していた闇の精霊たちが喰らっていく。 「くそっ……!」 「気ィ抜くんやないでぇッ!!」  改めて、自分がいかに不利な状況なのか身にしみた。歯噛みする少年の上から、セウルの声が降ってくる。  得物を失った自分の真上から襲来する黒刃に、ウェンはとっさにディアスで盾をつくろうとするが、間に合わない――! 「トロイで!」 「ぐあっ……!?」  構成しかけていた白い盾を突き破り、漆黒の斧がウェンの脇腹に命中した。猛烈な勢いで真下に吹っ飛ばされる。  地面に叩きつけられる寸前で、ウェンはなんとか体勢を立て直した。だが、間髪入れずに黒い弾丸が迫ってくる。  声を噛み殺し、再構成した大剣で弾丸を弾きながら横へ離脱した。脇腹を片手で押さえ、神の少年は宙を舞い、黒い雨をかわしていく。 (盾で勢いが削がれてただけマシだった……直撃を食らっていたら、こんなに動けなかった)  斧の刃が裂いた脇腹の傷口は、真っ白だった。そこから白い粒子が、雪のように舞い散る。  光の力ディアスの源泉アスフィロスをはじめ、ディアスで構成されている存在には、血も肉も骨もない。死ぬときは、ディアスが崩れて、消え行くのみ。相反するラグナの存在も同様だ。 (くそっ……ラグナのフィールドが、こんなに不利だなんて知らなかった……!不利だなんて次元じゃない!!)  滑空しながら、ウェンは歯噛みした。  もともと光は攻撃、闇は防護を得手とする。だからあっさり盾を壊されたというのもあるが、それが理由ではなかった。 「はっは!! なんやオモロイことになっとるな~!ホコタテな光と闇がぶつかったら、どっちも壊れるのがフツーやのに、カンペキに防いでしもたなぁ?スマンスマン!」  遠くから、セウルの愉快そうな皮肉が響いてくる。ウェンは負けじと、できるだけ大声で返した。 「本当いい迷惑だよ!しかも、闇の精霊がディアスを喰らうなんて見たことないよ。お腹壊すんじゃないの?」 「せやな!オマエら、下しても知らへんで~?」  光と闇は、精霊も力も、どちらも対立することでバランスを保っており、打ち消し合う性質がある。その闇の精霊がディアスを一方的に喰らうなど、とんでもない地異天変だ。 「しかも、指示もなしに闇の精霊がウチの味方しよる。ラクチンラクチン~♪」  空中で器用に座るような格好をとって、魔王の少年はからから笑う。  魔王が闇の精霊を支配している以上、彼らが従うのは当然だが、精霊は指示されない限りは動かないのが普通だ。  だが、この濃密なラグナのフィールドでは、精霊たちは独自に、魔王(ラグナ)を守ろうとするらしい。防護の盾の構成速度が異常に早かったのはそのためだ。  何より、息苦しいまでの闇の質量は、光の少年には負荷となってのしかかる。  このラグナのフィールドは、いわば、魔王の体内だ。 「くっ!」  大剣の刃身に一際強い光が走った直後、ウェンは弾丸に向けて大剣を真一文字に振り抜いた。剣先が描いた弧にディアスの光が収束し、さらに無数の細い閃光に分かれて弾丸を撃墜していく。  なんとかすべて潰したことを確認して、少年はようやく小さく息をついた。激しい呼吸を隠せないまま、セウルを見据えた。  ――この魔王の体内には、光の精霊はいない。頼れるのは、己自身の力、ディアスだけだ。  しかし、使えば消耗するのは必至だ。それに、羽を生やした時からずっと、ディアスを少しずつ喰われている。長引けば自分が持たない。  さらには、攻撃を受けたせいで、ディアスが外へ流出してしまっている。とにかく状況は最悪だった。 「アスフィロス、さっすがやな!よーココまで消えんで残っとった!うちビックリや、ホンマに!」  攻撃の手を緩めたセウルは、本当に楽しそうに笑った。実に屈託なく笑った。純粋に、ウェンがまだ生き残っていることを喜んでいるように見えた。 「さって、いつまで持つやろな~?降参してもええんやで?まぁその時は、現界と天界の終わりやけどな」 「しないよ」  闇の支配者そのもののような闇の世界。その中にぽつんとある光は、震えもせず凛と返した。セウルが思わず言葉を呑み込む。  上げられたエメラルドグリーンの双眸は、馬鹿みたいにまっすぐだった。 「僕は、絶対負けない。君を一発殴るまでは!!」 (………………ああ)  千年前。人々が自分たちを忘却してしまうほどの歳月を経てなお、この瞳はずっと変わらない。 (だから、危なっかしくて見てられへんのや)  世界の一片を背負い、人々の信仰を一身に引き受け、それを体現する存在。  それが光の支配者アスフィロスであり、人々が崇める神だ。  ……だというのに、本人ときたらその自覚がまるでない。  大した勝算も策もないくせに、やると言い出したらきかない。  それなのに、その強い意志だけで、奇跡みたいにすべてを覆してしまう。  まったく神様みたいな奴だ。  今だってそうだ。  このラグナのフィールドで勝てるはずがないのに、彼はのこのこやって来た。  君を止めると言ってきかない。さぞかし従士も困っただろう。  ――いや、「だから」だろうか。 (ウチは……) 「ドゥルーグ!!」  まばゆい光の一閃。精霊たちが盾を構成して防御してくれたのを見て、我に返る。 「僕は、勝ちも負けもしない!君を止める、ただそれだけだ!!」 「……ハッ、いつまで言ってられるやろな!?」  振り下ろした漆黒の斧と、白い大剣が、再び噛み合った。



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