第19話  ディアスとラグナと

 溜息を吐くと幸せが逃げるというし、あまり吐きたくないのだが、ゼルスは溜息を吐いた。  翌日、通称「迷いの森」に向かった。ゼルスたちが昨日立っていた、樹海の中の「迷いの森」との境界。そこにいた珍客を見て、今、自分の脳内で考えていることが恐らく7割程度は当たっていると裏付けされて、溜息を吐いたのだった。 「はれっ?誰かいるよ??」  霧の森の前に立つ人影に、ゼルスの隣のキルアもようやく気付く。すぐにその正体がわかったキルアが、ばっと手を上げて元気に声をかけた。 「あ、ゼドじゃーんっ!やっほーい☆」  無論、気配で察していたのだろう。陽気なキルアの声に反応して、大きな羽は静かに振り向いた。肩越しにこちらを一瞥しただけで、ゼドは返答もなく目を戻す。  森を注視するゼドの隣に並びながら、ゼルスは皮肉げに言った。 「何だ?お前も観光か?んなわけねーよな」 「お前は観光なのか」 「そりゃ昨日の話だな。どっかのガキンチョがオバケなんざ怖がるもんだから、すげーやりづらかったけど」 「はッ!! そ、そーだオバケ~!!」  ゼルスのそんな言葉を聞いて、キルアが思い出したようにサーッと青くなり、慌ててウェンの両肩を後ろから掴んだ。……あれだけ恐れていたのに、一晩寝たら忘れていたらしい。  ふと、ゼルスとは反対側のゼドの横に、ウェンが進み出てきた。  それまで霧の森から外れなかったゼドの視線が、ウェンに向いた。翡翠の瞳が、少年のエメラルドの双眸と合う。  ウェンは、無表情のゼドににっこり微笑んだ。 「久しぶり。ここまで来てたんだね」  ―― 一瞬の間。 「え、えっ、えええぇぇぇえぇっっ!!!!?」 「ちょ……ちょっと待て。お前ら………………知り合い?」  キルアは盛大に声を張り上げ、ゼルスは混乱しすぎて痛い額を押さえ、かろうじてそれだけを問うた。  計り知れない能力を持つ謎の鳥族と、本の虫なエルフの少年が知り合い?突拍子すぎてその関係性に皆目見当がつかない。 「面識の有無でならそうだ」 「そうですね、知り合いです」  簡潔に答えるゼドと、こくりと頷くウェン。二人の認識に差異はないようだ。  しかし、それだけで片付けられるような間柄ではないことは、先ほどのウェンの一言だけでわかる。いつも敬語のウェンがゼド相手にタメ口である時点で、ただの知り合いではない。訳ありすぎる。  何処から聞いたらいいのか頭をフル回転させているうちに、ウェンはさらに前に進んでいった。霧の手前で足を止め、手を伸ばしてそれに触れた。  感触を確かめるように手を見つめてから、ウェンはゼルスを振り返った。 「ゼルスさん、ディアスとラグナって知ってますか?」 「…………え、ああ……いや、知らない」 「まぁ、そうですよね。アスフィロスの力をディアス、ドゥルーグの力をラグナって呼ぶんです。簡単に言えば、光の力、闇の力ってことでしょうね」  光の力ディアス。闇の力ラグナ。  それこそが恐らく、アスナの予見を阻んだ力だろう。四大精霊で視る予見が、別の力によって阻まれる。それは四大元素を上回る力――すなわち、光と闇だ。  少し落ち着いてきたゼルスは、とりあえず二人の関係は置いといて、ウェンの話に乗った。 「……ディアスとラグナね。それは精霊が教えてくれたのか?」 「ええ、そうです」 「…………で?この場所には、ラグナが溢れ返ってるって?」 「そうですね、森の奥の方は、やっぱり予想通りラグナが強いみたいです。でも、この霧に似たものは……ディアスで構成されています」 「……は?」  予想もしなかった言葉がウェンの口から出て、ゼルスは思わずすっとんきょうな声を上げていた。  森の奥にはラグナ。森を覆う霧はディアス。そして、始祖魔法で生み出されたその霧は、人を惑わせる効果を持つ。  ――それは、まるで光が闇を守ろうとしているかのようで。 「ユマフィード洞穴の奥に迷い込む旅人が後を絶たなかったから、ずっと昔に、アスフィロスが隠してしまった……みたいです」 「ふぇえッ!? 迷い込んだらどーなるの!? オバケに食べられるのー?!!」 「あ、えっと、ユマフィード洞穴の奥に迷い込んだということは、つまり、冥界に足を踏み入れたってことになって……冥界も天界も、その世界の者以外は存在できないんです。だから食べられるんじゃなくて、消されますね」 「ええぇええ!?! じゃ、じゃあオバケの仲間入り!? ……あれっ?でも、そしたら同じオバケになったってコトだから……怖くないね!」 「あー無視しろ無視」  一人で何処か間違った答えを考えつくなり、キルアはいつも通りに戻った。その豹変ぶりに呆然としているウェンに、ゼルスは溜息を吐きながら先を促した。 「つまり、天界はディアス、冥界はラグナが純粋な奴じゃなきゃ生きていけないっつーわけな」 「はい。あ、ちなみに従士は、それぞれの力で作られてるみたいですよ」 「……はっ?? お上さんは人を作ったっつーのかよ?!」  さすがにそれはすぐ信じられなくて、思わず大きな声で聞き返していた。従士が作られた存在だと言うのなら――シドゥは?  ……と、思い返して。シドゥの行動を思い出した。  そういえば彼女は、闇のような深い黒の粒子を取り込んでいた。 (……なるほどな、あれがラグナ……っつーわけか) 「人を作ったというか、魂に形を与えたというか……まぁ、世界も創っちゃう人達ですし、できるんじゃないですか?」 「……あのなぁ……」  今まで丁寧な説明をしてきておいて、ウェンは最後の最後で大雑把にまとめた。ゼルスは体から力が抜けていくのがよーくわかった。  要するに、天の上のお二人様は、ディアスとラグナという己の力によって、大体のものは作れちゃうというわけだ。なんて万能な。この現界が光と闇でできているというのなら、至極当然のことかもしれないが。 「……で、それも精霊から聞いた話、と」 「あ、はい。そういうことです」 「精霊っつーのは、そんな昔のことも知ってるもんなのか?」 「そうですね、彼らは死にませんし。世界の意識……と言ったところです。ですから、世界が滅びない限りは途絶えないでしょうね」 「ふーん……」  今まで聞いた話を、頭の中でざっと反芻、整理して。それからゼルスは、横に目を向けた。 「……で、聞いてた通り、俺らはユマフィード洞穴に用があんだけど。ゼド、お前は?」  何かを考えていたのか、無音のままずっと隣に立ち尽くしていたゼドに問うと、彼は霧のずっと奥を見るように見つめて答えた。 「中に用がある」 「中……って、お前もユマフィード洞穴か?」 「この霧の中だ」 「あぁ……じゃ、結局そこも含むってことな」 「じゃあじゃあ、ゼドも一緒に行こっ!」  オバケの恐怖心から解放されたキルアが、満面の笑みで言い放った。ゼドも意見してこないので、文句はないようだ。  ウェンの周囲で、風がくるりと渦を巻いた。かと思うと、ふわりと霧散する。きっと風の精霊が四散した様子なのだろうとゼルスが思う中、ウェンは風の精霊を通して、森の中にある洞穴を探っていく。 「……あ、っと……これ、かな?何か穴みたいなのを見つけましたよ」 「穴っつーことは洞穴だろ?」 「他にはないみたいですし、多分これですね。それじゃあ皆さん、ついてきて下さい。こちらです」  片手を上げたウェンは、旅行ガイドのようなセリフをのほほんと言って先頭を歩き出した。「レッツゴーう!」とキルアが楽しげに応答し、ひょこひょこウェンの後を追う。ゼルスもその後を追って数歩歩き、ふと、まったく動かないゼドを振り返った。 「どうした?行かないのか?」 「無用心すぎる」 「は?誰が?」 「お前達だ」  ゼドは先を行くキルアとウェンの背を見て、それからゼルスを見た。その目は、何処か訝しげで。 「未知の相手になぜ警戒しない」 「あぁ……お前が俺らをブッ殺そうとしないって保証についてか」  確かに以前会った時、二人はゼドを警戒した。しかし今、それを忘れて平然と話している。  なぜ今、自分は警戒していないのか。言われてみれば不思議な話だ。 「そのつもりならもうやってるだろ?けどお前はしない。なら俺達はお前にとって、通行人C並にどうでもいい存在ってことだ。それならそれでいい。興味持たれる方がしんどいからな」 「………………」 「ねーえーー!! はーやーく~!! 追いてっちゃうぞ~!!」 「あーはいはい、今行く~」  少し姿が霞んで見える距離を置いて、キルアがプンスカ怒った声を張り上げる。片手を上げて応え、ゼルスは踏み出しながら言った。 「それに、お前の正体、大体予想ついてるし。願わくば、戦わないことを祈るけど。ま、8割くらいで大丈夫だろ」 「……残り2割だったら?」 「全身全霊込めてぶっ潰す」 「できるのか?」 「……言ったな……やってやるよ。プライドっつーのもあるし、現界の者を舐めんなよ?」  はたして、何処まで通用するのか未知数だが。ゼルスはゼドから離れていきながら、意地で言った。   ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆  巨人の森の中、小高い丘のふもとにぽっかりと空いた空洞。  それは見事な鍾乳洞だった。直径4、5メートルはある巨大な通路が奥の暗がりへと伸びており、大ぶりの鍾乳石がいくつも天井からぶら下がっていた。その洞穴の入口を、四人は覗き込んでいた。 「ひゃ~っ、きれー☆」 「けど、なんか……マジでオバケ出てきそうだな」 「ひえぇええッ!!? ゼルス変なコト言わないでよぉ!! ホントに出てくるデショ~!!」 「忙しい奴だ……」  鍾乳洞の美しさに感動していたと思ったら、慌ててウェンの後ろに隠れるキルア。ウェンの後ろより、絶対ゼドの後ろの方が安全だろうに。  ゼルスは何気なく、鍾乳洞の奥を見つめた。ここからでは奥には光が届かず、先は真っ暗だ。  ――ラグナの力なのか、誘い込まれそうな黒だ。  目を合わせるだけで、それは自身の中の暗いところにするりと触れる。ぞっとするほど優しい気配が、抱擁するように出迎える。 「……なんか……ずっと見てるとおかしくなりそうだ。闇ってもっとこう……湿っぽいかと思ってた」 「闇の本質は、包み込むことですから。あるがままを肯定する属性。何もかも受け入れてしまうんですよ」  横から答えるウェンの言葉を聞いて、ゼルスは納得した。  心の奥底、本当の姿。それはそれでいいと言われているような気がした。やっとのことで目を逸らし、ゼルスは息を吐いた。 「……とにかく行ってみるか」 「だ、ダイジョブなのっ?!」 「そうですね。冥界の入口は洞穴の最深部みたいですから、少しは奥に進めると思います。でも、洞穴内はラグナが濃いので気を付けて下さい」 「オバケはダイジョブなのっ!?」 「ゼド、とりあえずお前もそれでいいか?ウェンがいないと歩き回れねーだろうし」 「あぁ」 「ねーえーッ!!! 無視しないでよー!!」 「あーはいはい大丈夫だオバケ出ない」  棒読みで言い捨てると、ゼルスはひょいと洞穴内に飛び込んだ。上からの鍾乳石、下からの石筍で通路は狭い。低空飛行でゆっくり前に進んでいく。  少し進んだだけで、辺りが真っ暗になった。洞穴内というのもあるだろうが、ウェンの言う通り、闇の力ラグナが濃いからだろうか。コイツのせいで、外からの光が伝わりづらいのかもしれない。  すると、背後の方から不意に光があふれた。周囲を覆っていた闇がさっと奥へと退いていく。肩越しに振り返ると、自分の後ろについてきていたウェンの前に、握りこぶしくらいの大きさの光球が浮いていた。  風の精霊を操って浮遊しながら、光を前にウェンは笑った。 「暗くなってきたので、光の精霊でちょっと灯り作ってみました。前、見えますか?」 「…………へぇ。あぁ、十分見える。サンキュ」  光球のおかげで、奥はともかく、周囲がよく見えるようになった。背後のウェン、その後ろでウェンにくっつくように続くキルア、最後尾のゼドもちゃんと見えるし、光量としては十分だ。  その光が照らし出す洞穴内を、さらにしばらく少し進むと、通路から広い場所に出たらしく、不意に頭上が開けた。上を見上げるが、今のこの光量では足りないらしく、天井や正面奥は見えない。それは、この空間が馬鹿でかいことを示していた。 「洞穴の中に何でこんな馬鹿デカイ空間あるんだよ……山とかあったか?」 「地下だろう」 「あぁ……そーいや入口、ちょっと下向きだったかも」  ゼドの短い言葉に、ゼルスは納得して頷いた。 「……ここが……最深部です。ラグナが凄く濃い……」 「イコール、ここが冥界の入口……ってわけだ」 「う~……なんか真っ暗で全然見えないよぉ……」 「ウェン、全体照らせるか?」 「あ、はい」  正面奥を見つめて身を緊張させていたウェンは、ゼルスに指示に応じた。彼が手前の光源を見つめると、その光球はふわりと上へ昇っていく。光は天井付近に達すると、ウェンはさらにそこで光の精霊を呼び寄せた。真っ暗闇だった空間内が、少しずつ明るくなってくる。 「……すみません、ラグナが濃いせいで、これ以上は明るくならないみたいです」  そうウェンが申し訳なさそうに言ったのは、ちょうど地上で言う月明かりと同じくらいの明るさになってからだった。  真昼のはずなのに、突然夜の世界に来たようだ。視界の悪いこの空間内を見渡すと、地面から湧き上がるように、無数の黒い火の粉のようなものが舞っていた。ラグナの濃度が高すぎると、このように目に見えるものになるのだろうか。  ふと、この薄暗い中に、闇を弾く白いものを発見した。  ――正面に。 「……へ?? セウルっ?」  その人影が、キルアの驚いた声に答えた。 「いよぉ~、ゼルス、キルア。オマエらも物好きやなぁ」  そう言って、ひょいと片手を上げて挨拶してくる懐っこい笑顔。水色がかった銀髪といい、背中に生える白い羽といい、この独特な口調といい。そこにいるのは間違いなくセウルだった。  ――なるほど。セウルは、ここにいたのだ。だからゼドは、この中に入りたかったのか。セウルを捕まえるために。  納得した。……しかし、『おかしい』。 「やーやー、みんなさんお揃いで。歓迎するで」  その口元が、ニヤリと片方釣り上がった。目も軽く細められたその顔は、いつか見た彼の嘲笑。  ゼドは森の中に入れなかった。だから森の手前で考え込んでいた。  なら、『なぜ、セウルは中に入れたのか』?  考えられる理由は、可能性は、ひとつ。  それは、セウルの身に付けているものが裏付けていた。 「……マジかよ……」  ゼルスの目は、セウルの首からぶら下がっている物に釘付けになっていた。  黒い光を放つ、紅玉が埋め込まれた見覚えのあるペンダント。  ――シドゥが盗っていった、レナのペンダント。  セウルは、冷ややかな嘲笑を浮かべて、言った。 「わざわざココまでご苦労さん。そんでもって、ココで全部終わらせたるわ。―――――覚悟できとるんやろな、アスフィロス」  セウルの紫の双眸は、緊張した面持ちのゼルスとキルアには向けられていなかった。 「やっぱり意志は変わらないか、ドゥルーグ」  ゼルスとキルアが息を呑んだ瞬間、強い意志のこもった高い声がその言葉に答えた。  ……声は、ゼルスの隣からした。 「へ……!?」 「……っ!!」  二人が同時に振り向くと、『彼』は静かに目を閉じていた。  そして、肩で小さく息を吐き出すと、双眸を開く。強い目付きのエメラルドの眼で正面のセウルをまっすぐ見据え、口を開いた。 「もう一度、聞くよ。……本当に……本当に、現界を潰すつもりなのか?」  別人のように、強い口調、強い声で。――ウェンは、セウルと言う名の魔王に問いかけた。  セウルは、肩で大きく溜息を吐いた。 「せやから、従士づてに何度も言うてるやろ?そないやなかったら、現界になんか下りてけぇへんわ」 「………………」  その言葉を聞き、ウェンは黙り込んだ。彼は、何処か寂しげで、悲しげな眼をしていた。  少年の髪が煌いた。金髪が、淡い極彩色をまとう。それは、初めて会った時のセウルの髪色によく似ていた。  ウェンの背に、この薄闇の中ではよく映える淡白光の粒が集まる。やがてそれは流線型のシルエットを描き、妖精のような、粒子をまとう白い光の羽となった。羽はこの暗闇を打ち消すように輝く。 「……だったら……手加減はしない。……しようにもできないけど」 「はは、やろな。ま、それ抜きにしても、ハナからするつもりなんかコレっぽっちもあらへんのやろ?」  親指と人差し指の間を少し開いて見せて、笑うセウル。その背の白い羽根が、ひらひらと花びらのように抜け落ち始めた。すべての羽根が散ると、今度はその背中から、周囲と同じ黒い光をまとった翼の骨格のような羽が左右に開いた。気が付けば、その銀髪は以前のように極彩色に変わっていて。 「あ~、現界の者の姿っちゅーんは、堅苦しくてアカンなぁ」  セウルがふーっと息を吐き出し、右肩をぐるぐる回して、次に左肩を回し始めた時。だらんと下げられた右手の先に、ふわりと黒い粒の光が収束し、急速に細長いものを象っていく。  「よし」と肩を回し終わったセウルが、その構成途中で、それを杖のように地面に突いた。同時に構成が完了し、そこに現れたのは――漆黒の、柄の長い斧。 「……せ、セウル……ウェン君……」 「おっと、スマンスマン。せやな、いきなり巻き込まれて、わけわからんやろ?」  漆黒の斧と黒き羽を持つセウルを見て、ようやくキルアは何かがおかしいことに気付いてきたらしく、呆然とセウルを指差した。それを見て、彼は変わらぬ陽気な口調で、しかしシニカルな笑みを浮かべ言った。 「ウチはドゥルーグ。オマエら現界の者が『魔王』っちゅー闇を統べる者や」 「やっぱりそーかよ……」  ここに来て薄々気付いてはいたが、本人の口から放たれたその言葉は、強い力を持っていた。  セウルの胸元で黒い光を放っている、レナのペンダント。あれはドゥルーグの力の源だと、従士のシドゥが言っていた。シドゥに盗られたそれが彼の手元にあるということは、そういうことなのだろう。何よりも、あの脈動するような黒い光――自分達が知る限り、ペンダントがあんな光を放ったところは見たことがない。  なら、ウェンは――  そう思った時、隣からウェンが前に進み出た。ゼルスは白い羽が開いたその背を見てから、下に目を向け、そして目を見開いた。  ウェンの手には、いつの間にか白い大剣が握られていた。武術とは無縁だと思っていたウェンが、自身の身長の半分はある白い大剣を、軽々と片手に持っていた。  光の大剣と白き羽。――その後姿は、さっきまで話せる間柄だったとは思えないほど、なぜかひどく遠いものに見えて。
 ……と、その背が翻った。  くるりとゼルスとキルアを振り返ったウェンは、さっきの強い目付きではなく、いつもの穏やかな表情だった。  ウェンは、申し訳なさそうな顔をして……小さく頭を下げた。 「ゼルスさん、キルアさん、巻き込んでしまってすみません。でも、誰かに知っていてほしかったんです」 「……知っていてほしかった?」 「今話していた通り、僕がアスフィロスです。貴方達を誘導していました。すみません……」 「へ?ちょ、えっと、あうう……?」  そう言ってもう一度、頭を下げるウェンに、キルアはうろたえた。今、神だとわかった存在に頭を下げられたのだ。どう対応すればいいのかよくわからず、オロオロとゼルスを見るが、彼は目を丸くして突っ立っていた。ウェンは「今まで通りでお願いします」と苦笑した。  ――実のところ、ゼルスは、ウェンが人ではないと勘付いていた。  ウェンは、精霊干渉を使えば、森に迷わず入れると言った。それはおかしい。それなら、精霊干渉を使える別の誰かだって入れるはずだからだ。あくまでもこの森は、前人未踏の地であるはず。最初に覚えた違和感は、それだった。  次は、つい先ほど。光の精霊を従え、灯りを作った時。光の精霊はアスフィロスが支配しているはずだから、人には使役できないはずだ。アスナだってそう言っていた。その辺は専門外だったから詳しくわからなかったが、何かおかしいと感じた。  大体、彼は、アスフィロスとドゥルーグの事情について詳しすぎる。何よりこれが決定的だった。精霊が教えてくれるとかなんとか言っていたが、それだけで補い切れるものとは思えなかった。  ……しかし推測は、「どちらかの従士である」で留まっていた。アスフィロス本人だとは予想外だった。そもそもこんな少年だとも思っていなかったし。  そんなわけで落ち着きを取り戻すのが早かったゼルスが、さっきの言葉を問うた。 「『知っていてほしかった』って、どういうことだ?」 「言葉通りですよ。誰かに、現在の僕とドゥルーグを知っていてほしかった。もはや現界では、僕らは想像上の存在となっていますから。そんな中、貴方達は従士と接触し、僕らの存在を確信してたので、話がしやすいと思って。勝手ですが、貴方たちを『伝承者』として選ばせてもらいました」 「………………」 「ゼルスさん、キルアさん。R.A.Tに所属する貴方がたに依頼します。どうか、今の僕らのことを覚えていてほしいんです。そして伝えてほしいんです」  伝承者。  光の支配者アスフィロスが選んだ、遠回りな楔。 「いつか……遠い遠い未来、また、僕らが故郷の現界で過ごすのを夢見て」  少年の姿をした神は、申し訳無さそうに微笑んだ。 「……おかしいよ!!」  ウェンはアスフィロス。セウルはドゥルーグ。  さっきのウェンの言葉はあまり理解していないが、それだけは押さえたキルアが声を上げた。皆の視線がキルアに集まる。彼女はこの緊迫した空気の理由がわからず、ただ悲しそうな顔で首を振った。 「それじゃあ、おかしいよ!キミ達ってオトモダチじゃないの!? 何でこーなってるのっ?!」 「それは……」 「それはなぁ、ウチが現界をブッ壊そうとしとるからや」 「へッ……!?」  答えかけたウェンの言葉を奪い取り、セウルが自分を親指で差して言った。キルアは言葉を失い、ゼルスは皮肉っぽく返した。 「昔、蔑まれたことに対する復讐か?いい迷惑だな」 「復讐には違いあらへんけど、昔の話はしてへんで。ちっとくらい変わったかと思ったけど、やっぱ変わってへんな。現界の者は今でも、ウチが嫌いや」  淡々と告げ、呆れ果てたようにやれやれと首を振る魔王。こちらに向けられる諦観めいた瞳に映る色は、これまでも度々向けられてきたものだ。  人がいる場所に行くだけで、奇異や興味本位、好感、軽蔑など、さまざまな感情とともに向けられる目。  その目には、「ゼルス」という個人は映らない。えない相手は警戒対象だ。   『鳥族はね、みんな竜族キライなんだ。でもゼルス見てると、竜族は鳥族のコト、何とも思ってないみたいー?それってひどいなーって』  例えば、「竜族」という種族に初対面で攻撃してきたキルア。   『ほんと、現界の者って薄情だよな。その調子じゃ、知ってるのは神話伝承の中だけで、アスフィロスサマのコトも忘れてるんだろ?ドゥルーグサマが嫌う理由もよくわかるわ』  例えば、「現界の者」という生き物にくだらなさそうに言い捨てたシドゥ。  ――そして、魔王。  かつて迫害され現界を追われた闇の支配者は、「現界」そのものを敵視する。 「現界の存在自体をブッ壊すんなら、現界を構成しとる土台を崩さんとアカン。その土台っちゅーんが、光と闇の力……ディアスとラグナなんや。そんで、ディアスとラグナは、ウチらそのものでもある」 「そのもの……?」 「例えば、ウチが消えたら、すべてのラグナは消滅する。イコール、現界、ラグナで構成されとる冥界、ウチら冥界の者もみーんな消える。残るんは、ディアスだけで作られとる天界のみや」 「……じゃあ、セウルがやろうとしてるコトって……」  珍しく一人でセウルの言葉を理解し、その先の想像がついたらしいキルアが言葉を失う。彼女は思わず、ウェンの背中を見る。  セウルは人懐っこい笑顔で、淡々と語る。 「正義の味方立てるには、悪役が必要やからなぁ。けど、なんもしてへんのに悪役に仕立て上げられたコッチにしちゃあ、エライ迷惑や。オカゲサマでウチは、今じゃ現界で一番の嫌われモンや。わからへんやろーなぁ、世界中のすべての人に嫌われる気持ち。悲しいなんてモンやないで」  ……ざわっと肌が粟立った。まるで気温自体が下がったような錯覚。体の芯が冷え込む。  魔王の顔からすっと表情が消えた。  焦点の合わない紫の双眸が、自分達を鏡のように映し込む。 「全部、光がおったから起こったコトや。おらへんかったらよかったのに。せやから、ウチは光を恨む。ブッ潰したる。そしたら、半分ディアスでできとる現界も消えて一石二鳥や」 「「っ……!!」」  自分たちに向けられたものではないだとわかっていても、全身を圧迫するような強大な存在感に息が詰まる。それに押し潰されないように意識を強く持つことで精一杯だった。  ――息苦しい。体が竦む。あまりに深すぎる悲哀、憎悪。  千年越しの傷、膿んだ深い深いそれを、一体どうしたら引き受けられるというのか。  慄く二人。しかし、矛先を向けられた白き少年だけは、すっと顔を上げた。 「…………僕は……君の本当の気持ちが知りたくて、ずっとこのイプラストで、君を待ってた。……でも」  白い双羽が開く背。極彩色の長い金色の髪を、白き光の粒子が照らし上げる。白い大剣を握る手、エメラルドグリーンの瞳には、揺るがぬ決意。  大剣を両手で横に構え、少年は言った。 「それが君の答えなら、受けて立とう。僕は全力で君を止める」  ――光の支配者アスフィロス。小さくも、気高きその姿よ。  間髪入れずに、ぶはっとセウルが吹き出した。腹を抱えて、清々しいくらい笑い転げる。 「はっは!! やられる気マンマンかと思っとったけど、ウチを止めるって?できるんか?光のオマエが圧倒的に不利なこのラグナのフィールドで!!」 「わかってるよ、それくらい。でも、用心深い君のことだから、この場所以外じゃ僕の前には現れないと思ったんだ。ドゥルーグはそういう奴だ」 「ははっ、ホンマにオマエは期待を裏切らへんなぁ!危険を省みずにノコノコやってくる、思った通りすぎて笑えるわ。オマエはそーゆー奴や。それでこそアスフィロスや!」  高揚したセウルの声。お互いを熟知した仲でこその応酬。  親友同士の殺し合いがこれから始まるなんて、誰が予想し得るだろう。 「……ウェン。勝算はあるのか?」 「勝算も何も、僕は、勝っても負けてもいけないんですよ」  緊張する小さな背中に問いかけると、間髪入れず返ってきた。とても曖昧なのに、言い切るさまは迷いなく。  それは、光と闇、どちらも現界を支える根幹であるからこその責任感。光が勝っても、闇が勝ってもいけない。そのように戦局を導かなければならないのだ。  世界を守護する存在――人は、それを神と呼ぶ。 「現界のことは頼んだぜ、神様」 「当然ですよ」  はっきりと答えるウェンに、ゼルスは安堵を覚えた。  ゼルスの脳裏には、ある気がかりが掠めていた。未来視の王女アスナに告げられた、1つの予見。  光が闇に引き裂かれるような暗示。何度見ても終幕の途切れる予見。悪い予知であるという彼女の直感。 (……明確に視えないのが、逆に救いか)  予見で視る運命は、世界の有り様の変化によって変わる。アスナの予見は完璧に近い精度を誇るが、光と闇の運命は容易には観測できない。彼女の力をもってしても、明確には視えないのだ。  この暗闇の先に何があるのか、まだ誰にも見えない。 「いや~あんなに楽しそうなドゥルーグサマ、ひっっさしぶりに見たなぁ」  不意に、後ろの方から声がした。気配なんてしなかったのに。  二人が猛然と振り返ると、ゼドはやはり気付いていたらしく、すでに後ろを振り向いていた。  彼が見る先、土壁に寄りかかってひらひら手を振る暗赤色の髪の少女。その少女の影のように佇む蒼髪の青年。この薄暗がりでも見間違えようはない、シドゥとセルリアだった。  ゼルスの確信した目と、セルリアの虚ろな目の視線が重なった。 「セルリア……!? どーして!?」 「……久しぶりだな」 「あれ、ルシス、アンタもあいつら知ってたんだ?」 「会ったのは一度だけだがな」  そのことは知らなかったらしいシドゥが驚いた顔をすると、セルリアは手短に答える。その二人の背には、セウルほど大きくはない黒い羽。  ドゥルーグの従士、リラとルシス。  青年の姿を見た途端、ゼルスの脳裏に、あの日の声が響いた。 「おいセルリア、てめぇには用がある」  ゼルスが低い声で呼びかけると、青年の眼がこちらを向いた。相変わらず静かなその瞳からは、以前会った時以上に、感情を読み取ることはできなかった。   『……セルリア……なん、で……ひとりは、こわいよっ……』  レナの嗚咽が、鼓膜に染み付いて離れない。  あの子の傷を引き受けられるのは、たったひとりしかいない。  ゼルスは愛用の弓を持ち、もう片方の手でいつでも引き抜けるように矢尻に触れ、臨戦態勢をとった。 「俺と勝負だ。てめぇは1回、殴っておかないと気が済まねぇ」  ペンダントを取り戻してほしいという、レナの祖父オスティノの依頼。そして可能であれば、セルリアも捜してほしいという要望。  遠慮がちに付け加えられた捜索依頼。明言されなかったその真意こそが、オスティノ、そしてレナの本当の願いだ。  対してセルリアは、不思議そうに問い返してきた。 「……僕と勝負?現界の者が?」 「あぁ」 「やめておけ。主人の邪魔や僕達に危害を加えない限りは、こちらからは手を出さない。主人からそう指示されている」 「そーゆーとこが気に食わねぇんだよ!! 主人主人って、全部主人のせいにしやがって!考えることから逃げてるだけだろうが!!」  静かな水面のような青年の表情に、不意に荒波が駆け抜けた。だらんと下げた右手の先に、黒い光の粒が渦を巻き、一振りの漆黒の剣を作り上げる。  その黒い刃の如く、鋭利な気配。鏡のようだった瞳は曇り、今や煮えたぎるような昏い怒りが滲んでいた。 「……気が合ったな。理想ばかり口にして、自身のことでもないのに知ったように言う……僕も、お前のそういうところに腹が立つ。確かに一度、殴らないとわからないようだ」 「そりゃ奇遇だな」 「ボクもボクもー!! れーちゃんが泣いた分、殴りたい!!」  なぜここにセルリアがいるのかすぐ飲み込めていなかったキルアが、やっと理解して動き始めた。手を上げながら物騒なことを言い、ゼルスの隣に並ぶ。 「セルリアもジューシーなヒトってコトだよね?? じゃあゼルスだけじゃ無理だよー!ボクが手伝ってあげる☆」 「お前、サラッと人の痛いとこ突いてくれるな……そんじゃ頼むわ、相棒」 「まっかせなさーい!」  少女は片足を引き、見慣れた戦闘態勢をとった。いつもの調子で返してくれたキルアに、ゼルスは少しホッとした。子供だしやかましいこの鳥族が、今は心強かった。  楽しげに事を見守ってたシドゥが、わざとらしく肩をすくめた。 「あらら、戦闘勃発だね~。となると、アタシもルシスに手を貸さないとね?」 「従士二人相手かよ……」 「お前らでは一人相手でも力不足だ」  ゼルスがうめくように呟いた途端、二人の手前に立っていた青い背中が答えた。ゼドはいつの間にか、いつもの銀の大剣を握っていた。 「シドゥは俺が引き受ける。お前らは蒼い方の相手をしろ」 「おやおや、これは大物相手だね」  ラグナから構成した紅の棍棒を持つシドゥは、ゼドの変化のない顔を見て面白そうに笑った。  予想外のように言っているが、彼女はここまで推測の上、望んでこの状況を選んだのだろう。楽しそうに棍棒を構える姿が答えだ。 「存分に殴り合おうじゃないか。互いに譲歩しないなら、ぶつかるしかないんだからさ」  それが自然の理だというように。戦場の指揮者のように、シドゥは手を広げて言った。 「おいキルア、手加減すんなよ」 「わかってるよ!ゼルスこそね!」 「当然だろ」  手加減したら死ぬのはこちらだ。そんな短い会話で十分だった。  この大規模な地下空間は、明るさが少々足りないくらいで、縦横にいやに広い。屋外での戦闘と同じく、自由に飛んでも問題なさそうだ。しかし今回は、相手にも羽があるという条件下。機動力は未知数だ。  戦闘は、技術や能力はもちろんだが、感情の強さでも決まる。特に、技術も能力も相手が上の場合は、その気迫に呑まれた時点でこちらに勝機はない。 「そんじゃ行くよ!」 「頑張るぞぉ~っ!!」 「力萎えるからやめろって!」 「……わけがわからないな」 「………………」  シドゥの声を引き金に、なんとも緊張感のない声々とともに五人は一斉に跳んだ。   ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆  ずっと、ずっと。重く深い悲しみを、つい最近まで抱えていた。  しかし、自分の世界にこもって千年が経ち、ようやくその反応に気が付いた。  自分達が去った現界に、ラグナの強い反応。  アスフィロスは、恐らくドゥルーグ自身ではないと判断した。  人間に嫌われ、冥界にこもってしまったドゥルーグが、自分を嫌っている世界に好きこのんで行くはずがない。  しかし、その濃い反応は、ドゥルーグ本人にも匹敵するほどで、見過ごすこともできなかった。  だから――ドゥルーグ自身に何か、関わりのあることだと。そのために、ドゥルーグも動いているだろうと。そう読んだ。  ようやく、千年止まっていた時間が動き始めた。  三人の従士に、ドゥルーグと彼の従士を探すことと、できたら事情を聞くことを指示した。  そして自らも天界から下り、三人の情報を待ちつつ、彼らとは別に探し始めた。  その結果、ドゥルーグが弱っていることを知った。  ラグナの源がなぜだかペンダントに移動していて、そのペンダントが今回の強い反応を示していたと。  そのペンダントを、ドゥルーグの従士が奪い去っていったと。  下りてくるはずがないと思っていたドゥルーグが、現界にいると。  現界に復讐するつもりだと――そう知った。  同じ現界にいるのなら、話をしたい。  しかし、弱っているドゥルーグは、逃げてばかりで、自分に会おうとさえしてくれなかった。  弱っている彼が自分の目の前に現れるだろう地で、彼を待つしかなかった。  冥界の門がある、この地で。   ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆  ウェンの後ろで始まった、自分の従士達とゼルス達の戦いを一瞥し、セウルはウェンに目を向けた。  この闇を切り裂くように開く、光の羽。エメラルドグリーンの瞳は、月明かりのような光の下でも、なぜか不思議とよく映えた。 「えーこと教えたる。もしウチの奴らがアイツらに降参しよったら、ラグナの放出やめるよーに言ってあるんや。このラグナ200%の領域で勝てたご褒美っちゅーことで。したら、ちょいとラグナの濃度が下がって、不利すぎるオマエがちょいと楽になる」 「ご褒美、か。君が温情な奴でよかったよ。じゃ、みんなに頑張ってもらうためにも、僕が頑張らなきゃ」  重さゼロの光の大剣を片手で持ち上げ、ウェンは刃を引く。セウルも倣って、斧の頭を地面に向けて持つ。 「ま、楽になっても、うちの方が断然有利なんは変わらへんけどな」 「いいよ。ご褒美くれるだけで十分」 「へぇ~、大きく出たなぁ。うちの庭やで?ココ」 「わかってるってば」  さっきから何度も突きつけられる状況。ウェンは苦笑して言った。  ――不思議だ。  今、自分と彼は敵対しているはずなのに。これから戦うはずなのに。  なんだろう?  変わらぬ口調。話し方。言葉。  それに対する自分の口調。話し方。返答。  久しぶりに会ったとは思えないくらい、変わらない。  千年前に戻ったような、不思議な感覚を覚える。  交わす言葉は、対立しているそれであったとしても。  現界を守る。  それ以上に、親友を守るために。 「―――行くぞ、ドゥルーグ」 「あぁ……来いや、アスフィロス」
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