第18話  目と鼻の先の未来

 昔々、世界は空虚な空間だった。  その頃、世界には、光をまとうアスターディアという女神と、闇をまとうルグラグという女神がおられた。  その女神二人が存在するだけで、天が生まれ、地が広がり、海が溢れ、そして命が、次々に萌芽していった。  互いに正反対の性格、属性を持つ二人であったが、とても気が合い、意気投合した。  ところが、世界に人という生物が増え始め、長き時を経た後。  光を崇高し、闇を邪険していた人々は、光をまとうアスターディアを崇め、闇をまとうルグラグを蔑んだ。  悲哀に暮れるルグラグのためにも、アスターディアは、ルグラグも受け入れてもらおうと、この世界が光と闇の融合世界であること、故にルグラグも崇高しなければならないことを、人々に幾度も説いた。  しかし人々は、一向にルグラグを認めることはなく、それからいくら歳月が流れようとも、それは変わることはなかった。  ルグラグはひどく悲しみ、祠を入口に闇の世界を創り、その世界に閉じこもってしまった。  その世界は、わずかでも光を有する者は、決して入れないという世界だった。  アスターディアもひどく悲しみ、湖を入口に光の世界を創り、その世界に閉じこもってしまった。  その世界は、わずかでも闇を有する者は、決して入れないという世界だった。  こうして、二人の女神の関係は、人々によって引き裂かれていった。  二人の女神の悲しみは、違う悲しみだった。  長き時を経て、ルグラグの悲しみは、アスターディアの悲しみは、それぞれ別のものへと変わってゆくだろう。
「………………」  ウェンも言っていたが、イプラストの伝承では、アスフィロスをアスターディアという女神、ドゥルーグをルグラグという女神に置き換えているらしい。流れを概略すると、こんな感じだ。  ――以前セウルに、魔王視点での切り口を教えられたせいだろうか。  現界の者とドゥルーグの関係は、竜族と鳥族、セルリアとレナのそれに似ている。  竜族は、鳥族に打撃を与えた加害者だ。  セルリアは、レナを裏切った加害者だ。  現界の者は、ドゥルーグを否定した加害者だ。  セルリアはレナの傷を、自分は竜族として鳥族の傷を引き受ける必要があると、ゼルスは感じている。  自分は、一族とすでに縁を切った身だ。しかしどう足掻いても、望んで選んだわけでもないこの双翼は、この血は、一生消せはしないのだ。  初めて会った頃、キルアが、竜族だというだけで問答無用で殺そうとした(らしい)ように。そこには、同胞、種族、その広い括りしか存在せず、個人の事情など何処にも介在しないのだ。  だから。同じように、ドゥルーグの傷を、やはり現界の者として自分たちが引き受ける必要があるのだろう。  しかし、鳥族という種族の傷さえ、いまだどう贖えばいいのかわからずにいるのに、闇の支配者、しかも千年越しの傷を、どう償えばいいのだろうか。それはあまりに深すぎる傷だ。  深すぎて、古すぎて――すっかり膿んでしまっているだろう、ドス黒いその傷は、癒えることはあるのだろうか。  それはともかく―― 「……この微妙な終わりなんだよ……」  丸っこい文字で書かれた、堅苦しい文献の内容。キルアが古クルナ語から翻訳した伝承を読み終わり、ゼルスはついぼそりと呟いた。  しかし、この消化不良な感覚は、前にも覚えたことがある。   『そしてドゥルーグは、姿を消した』  ルプエナの伝承は、文章自体も短く、他国に比べると簡略なものだ。あの時も、読み終わってまずそう思った。あの最後の一文だけ、やけに頭に残っていた。 「読み終わったんですか?」 「おもしろかったー??」 「ん……まぁ」  正面に座って本を開いているウェンと、その横で、イスに逆向きで座るキルアに声をかけられ、ゼルスは曖昧な返事をした。これを面白いと呼ぶには謎が残るし、謎が残るから読み終わった気がしない。  さっきから暇そうなキルアが、両手を出して言ってきた。 「じゃあっ、ボクも読む!貸してっ♪」 「あー……お前、やめといた方がいーぞ」 「むっ、絵本の中身なら読めるもん!」 「いや威張るとこじゃねぇし……っておい!?」  べーっと舌を出して言ったと思ったら、キルアはゼルスの手から翻訳された伝承の紙片を奪い取っていた。反応が遅れたゼルスが制止をかけようとした頃には、キルアは紙を凝視していて。そして、ふわっと天井を仰いだと思うと……、  ばったーんっ!!  ……次の瞬間には、目を回して仰向けに倒れていた。逆向きのイスの上に膝で立っていたから、大体、身長-脛の長さ+イス分の高さから落ちたことになり、さらにダメージ大だ。……でもこいつは石頭だから頭はノーダメージか。 「あ゛ーったく、だからやめとけっつったのに……翻訳中にぶっ倒れられたら困るから内容読むなって言ったけど、詰めが甘かった……」 「だ、大丈夫ですか!? キルアさんっ?!」 「ふれはりほぇえ~~」  キルアがあまりに小難しい文献などを見ると、必ずこうなることをこれまでの付き合いで知っていたゼルスは、苛立った声で片手で頭を掻きむしった。多分、キルアのこれは知恵熱の部類だと思う。  何が起こったのかよくわからないウェンが驚いて、倒れたキルアに駆け寄る。その横にゼルスも近寄り、キルアの手から伝承の紙を奪い返した。コイツにはこれは猛毒だ。  それを、立ったままでもう一度見やる。最後の文に目を留めると、再び考え込み始めた。  ――これで、4つの国の伝承がすべて出揃った。それぞれ、事実が隠されているというわけだ。  この「隠されている事実」ということすら推測だが、恐らく――  ルプエナは、魔王が邪険され、姿を消したこと。  リギストは、天界、冥界、現界の三界の存在について。  カルファードは、従士の存在、現界が光と闇の世界であること。  そして、イプラストは――神と魔王が、親友であったことだ。  光と闇。その2つは、相反するもの。  ――そんな固定観念のせいか、頭の何処かで、二人は仲が悪いのだと決め付けていた。アスフィロスとドゥルーグが親友であったなど、一体誰が思いつくだろう。 「あの、ゼルスさん、運ぶの手伝ってくれませんか?」 「ほっとけ、どーせすぐ起きる」 「でも……」 「それより……ウェン、お前はこの『湖』って何のことだと思う?俺は推測済みだけど」  床に倒れたキルアを起こそうとしている足元のウェンにそう問うと、彼は手を休め、「そうですね……」と顎に手を当てた。 「『湖』は、リギストのアノーセル湖だと思いますよ。とても景色が綺麗だって有名ですし、何よりもあの周辺は魔力が豊富らしいです」 「やっぱか。そういや、フィンがそんなこと言ってたな……魔力が豊富だと空気でも浄化されんのか?」 「え?いえ、魔力が豊富だから景色が綺麗ってわけじゃないですよ?」  自分がそう考えるまでの道筋――今、ウェンが発言したことがすべてだが、その説明をすっ飛ばしたゼルスの一言を、ウェンは難なく解釈して返した。何処かの馬鹿とは違って話が通じて助かる。  のびているキルアを助け起こしながら、博識な少年は語る。 「えっとまず、魔力は、今では魔法を使うための力です。でも元々の強力な魔力は、物に干渉を行ったりする力だったみたいです。アスフィロスとドゥルーグが無意識に垂れ流してたらしくて、その魔力が互いに干渉しあい、この現界をどんどん変化させて創っていった……みたいです。だから、自然を司る精霊に干渉する魔法を使う時、魔力を使うんです」 「……へぇ……お前、随分詳しいな。ってゆーかそれ、ホントか?」 「あはは……多分、本当のことですよ。精霊達が教えてくれるんです。従士や世界については、ほとんど教えてもらいました」  素直に感心して言うゼルスに、ウェンは照れ臭そうに頭の後ろに手をやって笑った。それからすぐに真剣な顔に戻り、続ける。 「それで、もし、そこに書いてあるのが本当にアノーセル湖のことだったら、アノーセル湖は天界との接点ということになりますよね?天界から魔力が供給されていると考えれば、辻褄が合いませんか?」 「なるほどな」  なら、「祠」というのは、やはりユマフィード洞穴ということになるだろう。天界を繋ぐアノーセル湖は実在するということは、冥界を繋ぐユマフィード洞穴も実在するということになる。  ――冥界の入口。当然そこは、闇の力が強い。アスナが予見でユマフィード洞穴を直視できなかったのはそのせいだ。  つまり自分達は、冥界の入口を探している。 (……そういえば……)  ふと、アスナで思い出したが、彼女が視たという予見は、ひどく抽象的なものだった。  果てしない空。  空を翔ける2つの影。  黒い燐が、闇が溢れてくる。  最後に、眩い閃光が覆い、それを黒が裂いて。  ――そして、途切れる。  アスナは、己の予見の限界を手がかりに、その予見を、光と闇の王に関わることだと推測した。  それなら、予見に出てくる光がアスフィロス、黒や闇がドゥルーグだとしたら、それは恐らくひどく悪い暗示だ。  改めて、イプラストの伝承の最後を見る。ルプエナといい、イプラストといい、恐らくこの先は、想像に任せるということなのだろう。ルプエナは非常に遠回しでわかりにくいが、イプラストは想像を掻き立てられる文体になっている。  ルプエナの伝承を読んだ時から、無意識のうちにずっと引っかかっていたのだろう。――「この後、ドゥルーグはどうしたのだろう」と。  いまだに冥界に引きこもっている?  いや、それは違う。なぜなら、ドゥルーグの従士を名乗る者が、ドゥルーグの名の下に暗躍している。  そう考えると疑問は尽きない。闇の支配者は、何をしようとしている?今、何処にいる?   『二人の女神の悲しみは、違う悲しみだった』   『長き時を経て、ルグラグの悲しみは、アスターディアの悲しみは、それぞれ別のものへと変わってゆくだろう』  アスフィロスも、ドゥルーグも、伝承上では悲しむ。しかし、決して「同じ悲しみ」ではない。  人々からその矛先を向けられたのは、ドゥルーグだ。闇を恐れる人々に、『自分自身を』こっぴどく否定され、悲しんだ。  アスフィロスは、ドゥルーグを受け入れない人々に、閉じこもってしまったドゥルーグに、『周囲の環境を』悲しんだ。  悲しみの量なんて、一目瞭然だ。  そんなドゥルーグの悲しみは、アスフィロスの悲しみは、長い時を経て、どうなるか?  一人ぼっちでずっと悲しみを抱えたまま、長い時を経れば、どうなるのか? (……俺なら……)  その先を想像するのは、簡単だった。  思考が凍結するのがわかった。背筋を滑っていった予感が、さり気なく、しかし確実に彼をとらえていた。  きっと、そう考えるのは俺だけじゃない。  そして、そうは考えない奴も必ずいる。  でも、少なくとも俺は―――――復讐を考える。  自分を陥れたものすべてに。  今、魔王は、復讐しようとしている。  恐らく、自分をないがしろにした現界の者――いや、現界そのものに。  ……………………   ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆  かつてないほどの屈辱だった。今でも両腕に鳥肌が立つ。それを擦って黙らせながら、ゼルスは森の中に立っていた。  迷いの森という呼称のせいか、ゼルスは隔離された場所にそういう森が存在するのだと思い込んでいた。しかし、よく考えてみれば、イプラストは国全土が樹齢何百年という無数の巨木に覆われている島だった。よって、森同士の境界など存在しない。  ……ということで、致し方なく、現地の者にその場所を尋ねたのだ。今まで遠くからしか見れなかった興味深い存在が間近にいることに興奮を隠せない、その時のエルフ達の様子を思い出して虫唾が走る。  そのかいあって、彼は問題なくここに立っている。  森の境界は確かに存在しないが、国の西側、霧深く、誰も立ち入らぬ地方があるという。  その地方だけ局地的に霧が立ち込めており、入った者は目指した方向とはまったく違う方へ進んでいる。まるで森が人を拒んでいるかのようだ。いつしかそこは精霊の聖域とされ、近付くことがそもそもの身の程知らずとされた。  その森の最奥に踏み入った者は、いない。  すっと、手を差し出す。目の前に浮遊していた光の帯に触れると、霧特有の湿った感覚がした。  確かに霧だと納得しているゼルスの横では、キルアが青い顔で震えていた。 「なな、なんかイヤーな感じぃ~……」  キルアがそう言うのも無理はなかった。イプラスト全土を覆っているのは、柔らかな木漏れ日と鳥のさえずりが響く心地の良い森だ。しかし彼らが眼前にしている迷いの森は、その明るさとは真逆だった。  鳥の鳴き声は皆無、死んだような静寂に満ちていた。奥へ奥へと果てしなく続く幹はまるで葬列のようだ。どっしりとした幹が、こちらでは重々しい圧迫感を与えている。背後の森から吹き抜けた爽やかな風がこちらの森に入った瞬間、突風に姿を変える。空を覆い隠すように伸びた枝々がざわざわと不気味な音を出して揺れた。その木々の間を漂う霧は、冥府への誘いにも見えた。 「……こりゃ確かに、迷いそうだな」 「きっとオバケがジャマしてるんだよ!やややっつけなきゃ!!」  ぐっと拳を握り締め、青白い顔とは裏腹にやけに張り切るキルア。さっきから様子が変な彼女を横目に見て、なんとなく見当がついたゼルスは、わざと言ってみた。 「へぇ。それじゃキルア大先生の腕前をオバケに見せつけなきゃな」 「ふえッ!?」 「やっつけなくても、脅せばビビって逃げてくんじゃねぇ?」 「そ、そんなわけないじゃんっ!だってオバケってスカっとすり抜けちゃうんだよっ!? 無敵なんだよー!?」 「あ、ほら後ろに……」 「ひやあぁああーーーッッ!!!?!?」  悲鳴は予測していたので、完璧なタイミングで耳を塞いで受け流す。ベタな嘘に引っかかったキルアは、ばっと後ろを振り返りざま、そこからゼルスの方に飛び退いた。  ぶつかる寸前、ゼルスは冷静にひょいと横に一歩ズレて避ける。着地のことを考えていなかったらしいキルアは、そのまま仰向けにすっ転んだ。  ……どうやらキルアはオバケがダメらしい。なるほど、彼女曰く「無敵」だからか。ちなみにゼルスはオバケ……もとい、幽霊を信じていない。 18
「っていうかお前、世界一周旅行したんだろ?その時にここにも来たんじゃねーの?そんな口振りで前話してただろ」 「初めて来たよ!オバケが出るなんてボク聞いてないよー?!」 「あぁそう……そりゃ残念だな。……ま、とりあえず、入ってみるか」 「ひえええーーーっ!!?!」  ゼルスがちょっと買い物に行くような軽さで言うと、横の方でキルアが跳ね起き、泣きそうな声を上げた。  こっちはちゃんと調べておきたいのに、こんなのが周囲をウロチョロされたらたまらない。ゼルスは耳を塞いでから嘆息し、涙目の彼女を見て言った。 「お前はここで待ってろ」 「ふええそれもやだぁ~!! 一人にしないでよぉ!ボクも行く!」 「あーやめとけ、きっと中はオバケの巣窟だ」 「う、ううう~……じゃあ待ってる……」  思いついたデタラメを言ってみると、キルアは物凄く不安そうな顔をしつつも頷いた。……いつもに比べ、ぞっとするほど扱いやすい。  どちらにせよ、入ったところに何か目印がないと、戻ってきたこともわからない。この森の中では何処も似たような景色にしか見えないし、ちょうどいいからキルアで代用しよう。 「お前、絶対ここから動くなよ。オバケが襲ってきてもだ」 「えぇええッ!!? それじゃボク、たっ、食べられちゃうよぉーーっ!!!」  冗談混じりで言うと、キルアは真剣な目でそう返答してきて、ゼルスは気付かぬうちに沈黙していた。……キルアは、オバケというものを根本的に誤って認識しているような気がする。 「……まぁ、そん時はオバケの腹から出してやるよ」 「で、できるのっ!? ゼルス、無敵のオバケに攻撃できるのーっ!?!」 「あーできるできる。だからそっから動くなよ」  キルアにとっては大問題らしいことをゼルスは適当にあしらい、彼女の声を聞く前に、霧に包まれた森へ向かって飛んでいった。  この地方の森は、まるで巨人の世界に迷い込んだようなスケールだった。街一つ軽く越えられる高度で飛んでいるのだが、木々の頂はそのもっと頭上にある。  高く高く育った、力強い幹。3人くらいでやっと取り囲めそうな太さの幹が立ち並ぶ間を、ゼルスは一羽の鳥になったような気分で通り抜けていく。  視界は意外と良好だ。迷いの森という割には、普段見る霧と濃度は変わらない。いや、霧といっていいのか――少なくとも、自然現象ではないとゼルスは踏んでいる。しかし、肌に触れる冷ややかでしっとりとした感覚は、ひどく本物の霧に近い。  ユマフィード洞穴らしきものを探しながら飛翔する。当然だがオバケはいない。地図上なら、このまま行くと海に出るはずだ。森は海に面している。  とにかく、前へと進んで……少しして、木々が視界の真ん中から退き始めた。  その正面に見えたのは――予想通りというか、キルアの姿だった。さっきと変わらぬ位置に立っている。  ただ、先ほどと違っていた点が1つだけ、あった。 (……マジかよ……)  さっきまで自分が入っていた背後の森を振り返り、ゼルスはぞっとしたような顔……はせず、呆れたような顔をした。不気味と言うより、こんな馬鹿げたことがあっていいのか?という気持ちの方が強かった結果だ。  にわかに信じがたいが、どうやら本当に入口に戻されたらしい。何もそれらしい予兆はなかったのに。空間がねじ曲がっているとでも言うのだろうか。  体験したにもかかわらず、いまだに釈然としない気持ちでゼルスはキルアの傍に下り立つ。 「あっ、ゼルス!帰って来たんだ!」 「いや、俺はあくまでも前に進んだつもりなんだけどな……まぁ、追い返されてきた」  参ったように頭の後ろを掻きながら、ゼルスはやけに嬉しそうなキルアに言った。その嬉しさは、「オバケが襲ってくるかもしれない恐怖から解放された」が半分、「隣の『それ』の相手から解放された」が半分だろう。  ――ゼルスは、キルアの隣に目を向けた。そこに、自分が迷いの森に突っ込む前と違う点があった。  紫色の双眸が、ニカっと笑う。 「よぉ~、久しぶりやなぁ、ゼルス」 「……セウル……」  水色がかった銀髪の鳥族が、ひょいと片手を上げて挨拶してきた。以前は極彩色の銀髪だったが、今は光の角度か、水色がかった銀に落ち着いて見える。  それに対し応答せず、ただ自分を警戒した目で見返してくるゼルスに、セウルはケラケラ笑って言った。 「おーおー、こっわーい顔やなぁ」 「……何の用だよ」  明るいセウルの声とは真逆に、ゼルスは無意識に低く返した。キルアも注意深く、得体の知れない鳥族から目を離さない。当の本人は、その二人の視線を何食わぬ笑顔で受け止める。   『境界ははっきりしとる。絶対に、交わることはないんや』  そう言った彼の、圧迫されるような存在感を、忘れはしない。忘れられなかった。  あれは恐らく――久しぶりに覚えた、恐怖。  あの息苦しい圧力がどういう意味だったのかはわからない。だが少なくとも、この少年には、底知れない裏がある。  ――やがて、その緊張した空気に耐えかねたように、セウルが肩で大きく溜息を吐いた。 「まぁしゃーない言うたらしゃーないけど……そうコワイ顔すんなや。別に、オマエらに用があって来たわけやないし」 「へぇ、なら散歩か?こんなとこまで?」 「おう、せやで」 「………………」  ゼルスの皮肉に気を悪くすることもなく、そもそも否定さえせず。少年は清々しいまでに肯定し、頭の後ろで手を組んでころころ笑う。一番有り得ないことを言ったはずのゼルスの方が、二の句が継げなくなる。 「うち今、各地回ってんねん。ンで、このイプラストで最後なんや。迷いの森でも見とこかと思ってなぁ」 「あ……ボクも昔、世界一周、したんだよっ」 「お、ホンマか!さっすが鳥族、同志やなぁ~♪ なぁなぁ、世界一周って、ホンマに世界一周かいな?」  思いがけないところで仲間に出会い、興味津々に聞いてくるセウル。  この屈託ない笑顔とあの見下した嘲笑は、あまりに対照的だ。同じ人物が浮かべた笑みだという事実が呑み込めない。  内心の困惑が整理できずにいるゼルスとは裏腹に。目を爛々と光らせて聞いてくるセウルに毒気を抜かれたらしいキルアは、驚いた顔で目をぱちくり瞬いて、そろそろと言葉を紡ぐ。 「へっ?う、うん……えーっとね……バルト牢獄とか、アノーセル湖とか、ルーセベルズとか、ザクスとか、いろんなもの見たんだよ!」 「は~~っ、端から端まで回ったんやなぁ……バルト牢獄とか、メッチャ北やん」 「うん、地面がずーーーっと真っ白でね、なんか違う世界みたいなんだよ!すっごく寒くてね、雪もキレイ!」  だんだんと話していくうちに緊張がほどけたのか、最後の辺りには、キルアの顔にいつもの笑顔が戻っていた。  キルアが普段の調子に戻ったことで、ゼルスはなんとなく安堵した。キルアがセウルへの警戒を緩めたことで、自分一人が傍で疑心していられる。警戒している相手に手の内を明かす者はいないだろう。 「セウルは行ってないの?? バルト牢獄とか、ルーセベルズとかっ」 「うちは、とりあえず国だけ回っとるから、バルト牢獄とかには行ってへんのや。ルーセベルズ、メッチャ暑かったやろ?」 「うん、あっつかったよ~……でも、あっついかもって思って冬に行ったらね、ちょっとマシだったよ!」  楽しそうな二人の鳥族の会話を、ゼルスはただ流し聞く。  一応、R.A.Tをやっているだけあって、出てくる地名についての見識はあるのだが、自分では行ったことがないので実際にどういうところなのかはよく知らない。  ちなみに、バルト牢獄は、カルファードの最北・バルト半島にある巨大な牢獄、ルーセベルズは、リギストの南にあるゲイル砂漠に面した街だ。  ふと、セウルの紫瞳がゼルスに向けられた。 「ンで?お二人さんは迷いの森観光?」 「……まぁな。ずっと直進して今追い返されてきたところだ」 「いっししし、ホンマに空間歪んどるんやなぁ♪ さすがのゼルスもお手上げちゃう??」 「俺はミステリー解決探偵じゃねーからな」  嘆息して答えるゼルスに、少年は心底おかしそうに両肩を震わせて笑う。かと思えば、おもむろに迷いの森に近付き、霧にひょいっと手をくぐらせる。  くるりと振り返って、にやついた顔でセウルは両手を広げて問いかけた。 「オマエら、コレ、どーゆー仕組みやと思う?まっさか、自然物やとは思ってへんやろ??」 「そりゃな。キルア、お前の得意分野だぞ」 「ほえ??」 「……こんなんどう考えても魔法とか精霊とかそっち系の事象だろ!」  ゼルスが唐突にキルアに声をかけると、全然そんな気もしなかったのか彼女は今初めて知ったとばかりに目を見開いた。思わずゼルスはこめかみを押さえていた。  実際に体験してきたゼルスには、まったく何の気配も掴めなかった。種族ゆえの鋭い感覚はもとより、五感に関しては自信がある。その上で、物理的に曲がった曲がらされたなどの感覚はまったくなかった。となれば残るは、専門外――魔法や精霊などによるものだろう。 「あっ確かに~!なるほど~!!」  ゼルスに言われて、キルアもやっと理解したらしい。ポンっと手を打って、でも眉をひそめて首を傾げる。その稀な様子に、ゼルスも違和感を覚えた。  キルアは魔法に関しては、大体感覚だけですべてを使いこなす天才肌だ。魔導具の気配や精霊の変化など、目視できないものも野性の勘で嗅ぎ分ける。それだけ魔法の気配には敏感だ。  ――つまり。今、ゼルスに言われるまで、キルアが『その気配に気付かなかったということ自体』が不可思議だ。  案の定、キルアは困った顔でゼルスに言う。 「でもでも……何もないよ~?魔法も、精霊ちゃんも、なんにもない!すっごく普通!」 「キルアがそう言い切るなら、やっぱそういうことになるのか……」  ここには、魔法や精霊などの形而上の力は働いていない。天才魔術師が断言するならそれが事実だ。  その事実を、たった一言が撃ち抜いた。 「そりゃキルアにはわからへんわ。コレは『本当の魔法』やもん」 「……?」  やけに引っかかる言い方に、ゼルスはセウルに目を向ける。対して少年は、キルアを一瞥して続ける。 「キルアが普段使っとるみたいな、一般的に魔法って呼ばれるモンは人工物なんや。せやから人工物のニオイがプンプンしよる。判別しやすいんや」 「じんこうぶつ…???」  首を傾げたキルアには、心当たりがないらしい。あるいは、そうだとは彼女は思っていないのか。  不思議そうなキルアに先を促されたセウルは、専門外のゼルスに気を遣ったのか、順序立てて話し始めた。 「まず、みんなが知っとるその魔法っちゅーんは、人が魔法学を基盤に確立させた精霊干渉の手法のコトや。筆記と名唱、意思で精霊を使役し導く手法。ココまではえーな?」 「……あぁ」 「で、こっからが本題や。『本当の魔法』……ややこっしいなあ、コッチは『始祖魔法』って呼ぶで。始祖魔法は、神と魔王が四大精霊、それと光と闇の精霊を操り引き起こす現象のコトや。有り体にいえば精霊干渉っちゅーコトやな。けど、エルフとかの精霊干渉とは全然規模が違うで。幅も広いしな。神と魔王は精霊らの王みたいなモンやから、精霊干渉のみで今の魔法以上の現象を引き起こしとった」 「………………」 「それに現界の者が目をつけた。自分たちでも似たような現象が起こせるように、始祖魔法を真似て人工物の魔法を作ったんや。学問として、始祖魔法を理論的に分解してな」  確かに、見聞としてゼルスが知っている限りでも、現代――廃れている以上、そう呼ぶのは適切ではないが――の魔法は高度な計算式と精密な構成理論で成り立っている。ゼロから生み出されたとは考え難い。研究対象かつモデルが存在していたのだと考えるほうが自然だ。  自分たちが知るのは、『魔法を再現した魔法』なのだ。  そして、この迷いの森の事象は、その始祖魔法によるものだと彼は言っているのだ。  神と魔王の使う魔法。この森にはユマフィード洞穴があることだし、天上の二人が何らかの理由で始祖魔法を敷いた可能性は十分に有り得る。  ――それより。  一連の説明を終えたセウルを、ゼルスは注意深く見据えた。その顔に先ほどまでの笑顔はなく、何の感情も映らない無表情があった。  かと思えば、その紫瞳がこちらに向くなり、ニヤニヤとした笑みを浮かべた。 「なんやゼルス、スッキリせん顔やなぁ~?うちがこんだけ詳しいのが引っかかるんやろ?」 「……まぁ……」 「ま、ちっと生まれが特殊なだけやて。始祖魔法のコトは知ってる奴は知っとるで~」 「…………いや。それもある。けど、それより……」 「ン???」  言いたいことがまとまらず、二度も歯切れの悪い返事をしてしまった。調子よく話していたセウルもさすがに不審がって自分を見てくるが、つい目が横に泳いだ。  複雑に絡み合った感情の糸をほどき、いったん自分でもわかるように整理してからでなければ、新たな糸を撚ることができない。……が、横から飛んできた一言が、その工程をすっ飛ばしてくれた。 「セウルは、魔法、キライなの??」  ――あまりにまっすぐな問いだった。  大きな瞳を瞬いて、少女は純粋に問いかける。  同時に、その問いはゼルスの混乱をもほどいた。  彼が感じていたのは、解説する少年の言葉の節々からかすかに漂う、粘性の嫌悪。紫煙の残り香のようにまとわりつく気配に、ゼルスは息苦しさを覚えていたのだ。  ……そしてその矛先は、一点に向いている。 「だってセウル、魔法キライみたいに言うから、ボクの魔法キライなのかな?って」 「………………」 「魔法学もキライ?でもたぶん、作った人たちがキライなんだよね?」  相変わらずの、順序も説明も稚拙なキルアの言葉。でも今のゼルスも似たようなものだった。  それらに対してセウルは、笑った。これまでの無垢な笑顔とは違う、あの嘲るような笑みで、でも何処か仕方なさげに苦笑気味に。 「隠そうと思っても隠し切れてへんなぁ……ま、そーゆーコトや。……さってと、うちはもう行こかな!またアイツに追っかけられる前に、さっさと移動せな~」 「アイツ?? ゼドのコト?」  途端に伸びをして言うセウルに、目を瞬いて問い返すキルア。その横でゼルスは嘆息した。  またコイツは、セウルの話のペースに呑まれている。話をすり替えられたことにさえ気付いていないだろう。しかしゼルスは、わざわざ追及はしなかった。  キルアの問いに、意外なことに、少年の方もキョトンと目を丸くした。 「ン?ゼド?誰のコトや?」 「……は?お前を追ってる、羽が馬鹿デカイ鳥族だよ」 「おお~、アイツかぁ!ほー、ゼドっちゅーんか~。知らんかったなぁ」 「へ?? 知らなかったのっ?」 「ん~、まぁなー。イチイチ名乗る間柄でもあらへんしな~。ゼドな、覚えとこ」  苦笑いして頭を掻くセウル。どうやら嘘をついている様子はない。  ――そういえば、考えてみれば妙だ。  セウルはゼドに追われている。しかし、ゼドはひどく人離れした能力を持つ。遭遇する度に、隔絶された域にあるその力を二人は身をもって実感した。  一方セウルは、キルアに追いかけられるし、ゼルスに背後はとられるし、自分たちと同等くらいと踏んでいる。――それなのに彼はなぜ、そんな異端のゼドに今の今まで捕まっていないのか。 「アイツ、ごっつ速いからなぁ~……追いかけられとる時は、もー寿命が100万年縮む思いやわ」 「……けど、よく捕まってねぇな」 「あー、まぐれやってまぐれ。テキトーに魔法使ったりして、ホンマ、いっつも命の綱渡りしとんで?さんざんや」  感心半分、疑心半分にゼルスが言うと、セウルは首を振って、はぁーっと疲れた息を吐いた。真偽はともかくとして、本人はもうこりごりらしい。 「アイツがイプラストの領域に入ってからじゃ遅いんや、全然余裕で飛んできよるからなぁ。はよ移動しとかな。っちゅーわけで、ゼルス、キルアっ、そんやーな!」 「へっ?? あ、うん……ばいば~いっ」  セウルは、二人の返事を聞くのもそこそこに手を振りつつ宙に舞い、ぴゅーんと飛んで行ってしまった。その速度も、目で追える時点でゼドよりずっとずっと遅い。彼が飛んでいった空の方向を見て、キルアが遅ればせながら小さく手を振った。  一度被害にあったせいか、サイフがちゃんとあるか念のため確認してから、ゼルスはやっと、先ほどのセウルの言動を信用した。 「なんかセウルって、いっつも忙しそーだねー。もっとお話したかったなぁ~」 「へぇ……前の時は怖がってたのにか?」 「ん~、それはそーなんだけど~……今のセウル、全っ然怖くなかったし、話してるとなんか楽しいし★ ふっしぎ~!」 「まぁ……な」  前の時は圧迫感だけを残して飛び去っていたが、今回は本心からの屈託ない笑顔を浮かべる、何処にでもいそうな少年という印象を残していった。ますます訳がわからない。  信用に足らない相手に『感情的な勘定』はしたくない主義のゼルスは、あのように掴みどころのない奴が苦手だ。セウルが自分たちと敵対したいのか、それとも友好的でいたいのか、これまでの言動では判断しかねる。本心がまったく見えない相手は警戒対象だ。   『隠そうと思っても隠し切れてへんなぁ……ま、そーゆーコトや』  ――いや。  一瞬、垣間見えた、困ったようなあの嘲笑は? (……人間が嫌い、か。……同感だな)  たったひとつ、それだけは確かな気がした。   ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆  害か無害かグレーな相手には、相応の距離感を保つ。  それが常識だ。そしてそれは、自分の主人が誰よりも気をつける立ち振舞いだ。  その常識を遥かに越えて、『彼』は、笑顔で目の前に立つ。 「ノア、これだけの本、よく集めたね。どれも面白いよ」  絵本という名の文献を積み上げ、それを両手で持つ少年。少女と見紛う細身と金髪のポニーテールだが、空色の衣が包む体は少女のそれよりしっかりしている。  微笑むエメラルドグリーンの双眸に見つめられ、ノアは怒る気力も失せて嘆息した。 「……それは、楽しんでもらってるようでよかったです」  大体、なぜ自分が、敵対勢力相手に怒らなくてはならないのか。なんとなく頭が痛くなってきて、ノアは額を押さえた。  イプラストの元首邸。相変わらず、ウェンはそこで本を読みあさっていた。そして、なぜか自分は丸め込まれて協力させられている。  居場所なさげに、ノアは枯草で編まれたイスに座り込んだ。この邸宅の主は自分のはずなのに、この居心地の悪さは何だ。言わずもがな、この少年のせいだ。  緊張はいつでも張っていた。緩めたつもりはない。それなのに、いつの間にか懐に入り込んでいる、不思議な距離感を持つ少年。 「………………前から言いたかったんですが」 「なに?」 「貴方は昔から、俺に気を許しすぎだ。俺は『似ている』けど、貴方の眷属じゃない。距離は隔てるべきでしょう。大体、俺が裏切るとは思わないんですか?」 「あはは、心配してくれるんだ。ノアのそういうところ、気に入ってるよ」 「はぐらかさないでください」 「その時はその時かな。でも、『今の君』がそんなことするかな?」 「………………」  今の自分。――自らの意志で、主に背を向けた反抗者。  目的があるわけでもなく、己の運命を嘆き、停滞した自分。 「でももし君が、完全に『アイツ』の側につくなら、それはそれで嬉しいことだよ」 「……嬉しい?」 「うん。考えが決まったってことでしょ?」 「…………そうですね。ないと思いますが」 「きっぱり言うなぁ」  朗らかに笑うウェン。彼には何も言わずともすべてを見透かされているようで、どうも緊張する。  ふと見ると、さっきとは打って変わって、ウェンの表情が曇っていた。悲哀と後悔、困惑が渦巻く横顔。  ――そんな聡明な少年にも、たったひとつ、見透かせない憂いがある。 「……ねぇノア。『アイツ』は……僕を、どう思っているんだろう」  伏せられた目線は、寂しそうに石造りの床を這う。掻き消えそうな小さな声が、虚空に細く漂った。  その人物をよく知っていたノアであっても、今回の事例では断言しづらい。何より、『千年も経てば人は変わる』。  しかし―― 「……さあ、中立の俺からは何とも。ただ……」 「ただ?」 「あの人は、貴方を恨みはしませんよ」  たったひとつ、それだけは確かな気がした。   ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 「はぁ!?」 「えええぇぇえーーーーッッ!!!??」  ゼルスの信じられないような声の後、それの数倍の大きさのキルアの声が響き渡った。  すぐ隣から発せられたその恐ろしい大音声を、ゼルスは慣れた動作で耳を塞いで凌ぐ。が、ウェンはそれに対応できず、まともにその超音波を受けた。鼓膜がじんじん痺れて、周りの音が遠くなる。 「み……耳が、遠くなったんですけど……」 「ウェン君、何言ってんのーー!!!??」  非情にもウェンの訴えも聞かず、キルアは続けて追撃する。さすがの少年も今度はちゃんと反応し、しっかり耳を塞いだ。 「……おい、その騒音なんとかしろ。ウェンが困ってんぞ」 「あ、ゴメン!でもでも、ウェン君がヘンなこと言うから~~!!!」 「そんなに変なことですか?」 「あぁ、すっげー変。つーか有り得ねぇ」 「そうですか?」  頭を揃えて頷く二人の反応に、逆にウェンが首を傾げた。  ゼルスは深呼吸し、深刻な顔で、慎重な声で言った。 「いーか。もう1回だけチャンスをやるぞ。ナメクジ並の低速でよーっく自分の言葉を思い返せよ」 「あ、はい」  そんなゼルスの雰囲気とは対照的に、ウェンは気楽な返事で頷いた。それを見てから、ゼルスは一呼吸置いて。 「またあの森に行く」 「なら、僕も行ってもいいですか?」 「えええぇぇえーーーーッッ!!!??」  間髪入れずに返ってきた笑顔が発した先ほどと同じ言葉を聞いて、またもや放たれる超音波。が、一度食らえば慣れたもので、ベテランな動作のゼルスに続き、ウェンも即耳を塞いだ。  森を後にし、ヴェランに戻ってきて、二人が少し遠慮しがちに元首邸を覗いたら、まだウェンは本をあさっていた。もしかしたら、ここで寝泊りしているのかもしれない。大体、笑顔で当然のように「おかえりなさい」と言ってくるあたり、すっかり元首邸の主である。  ウェンに「何処行ってきたんですか?」と聞かれ、迷いの森だと答えた。それから森について他愛無い会話をしてから、今度は「これからどうするんですか?」と聞かれ、深く気に留めずそう答えたところ、現在に至る。  ユマフィード洞穴を抱くあの森は、文字通り前人未踏の森だ。誰も近寄らぬだろうそこにまた行くというゼルスに、ウェンはその理由さえも聞かずに、さらには笑顔でそう言ってきた。  ――あの森の中にあるという、ユマフィード洞穴。アスナは、その中に『何か』を感じ取った。恐らく、良い意味ではなく。  だから、ウェンについて来られると、今の自分達の行動――『「魔王」に喧嘩を売る』という二重の意味での非常識に、巻き込むおそれがある。 「……ウェン、お前、何で来たいんだ?」 「え?そりゃもちろん、興味があるからですよ?」  念のため遅ればせながら理由を聞くと、逆に不思議そうな顔でそう言われた。生まれついた時からエルフが持つ、知的好奇心ゆえか。今はそれが厄介この上ない。  ゼルスはさらに少し黙り込んでから、きっぱり言った。 「ダメだ」 「え?? どうしてですか?」 「そりゃーアブナイからだよッ!何が起きるかわっかんないんだよー?!」 「……珍しくちゃんと言えてるお前に地味に感動……」 「むーっ、どーゆーこと~!」  イスの上に膝をついて立ち、両手を腰に当てて言うキルア。また彼女が見当違いなことを言うだろうと思っていたゼルスは、思わず拳を握り締めて呟いた。今回は馬鹿にされてると気付いたキルアが不満そうに頬を膨らませる。  「危険だからついてくるな」と言われたウェンは、難しい顔をして悩み込……むこともなく、微笑んだまま言う。 「その辺はよくわかりませんが、自分の身くらいは守れますから大丈夫ですよ」 「精霊干渉か?まぁ、ないよりはあった方がいいだろうけど……」 「それに、一度森に入ってみてダメだったのに、また行くってことは、その中にあるっていうユマフィード洞穴に大事な用があるんですよね?」 「ぎっくぅ!?」 「あ、やっぱり」  反射的だったのか、身を引かせて擬音を発したキルアを指差し、ウェンがおかしそうに笑った。カマをかけられたらしい。あからさまなキルアもキルアだが。  気が進まない二人の注目を集めるように、ウェンはすっと立ち上がった。片手を胸に当て、もう片方の手を広げて言う。 「お二人もご存知な通り、あの森には人を惑わせる霧が立ち込めています。ですから、ユマフィード洞穴なんて探しようがないです。そこで、僕の出番です」 「へ??」 「僕の精霊干渉で森の形を探るんです。風の精霊の運んでくる情報を処理すれば、目に映らないものでも手に取るようにわかりますから」 「……精霊干渉で?」 「はい」 「なっるほどー!ウェン君あったまいー!」  とかパチパチ拍手するキルアは、完全にウェンに丸め込まれている。精霊干渉で森の形をという話は、もちろんウェンがいなければできないことだ。つまり、ユマフィード洞穴に行く手がかりが欲しいなら、彼を連れて行かなければならない。……ということを、ウェンはニッコリ笑顔の言外で言っている。  連れて行く気などサラサラなかったゼルスは、ここで初めて、あごに手を当てて考え込んだ。非常に魅力的な精霊干渉うんぬんは無論、かすかに感じた引っ掛かりも含め、どうするべきかをウェンを見据えて思案する。 「ねーゼルスっ、連れてこーよ!みんなで行った方が絶対楽しーよ☆」 「………………あぁ、そーするか。ウェン、ある程度は援護するけど、安全保障は自分で頼むぜ」 「連れてってくれるんですか?」 「ダメっつっても、勝手についてきそうな気もするけどな」 「あはは、バレてました?」  ゼルスが手を下ろして言うと、ウェンは頭の後ろに手を当てて笑った。半分冗談だったのだが、本当にそうだったらしい。 「じゃ、明日出発しましょう!」



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