第17話  気晴らしのとばっちり

 轟音とともに、すべてを押し流さんと真正面から迫る、凄まじい水流。
 ゼルスは地面を強く蹴って真上に跳躍し、宙に逃げて冷静に回避。しかしそれで攻めの手を休める相手でもなく、すぐ目の前から追撃が来る。
「くっらえーーッ!!☆」
 発動した水流と一緒に、その上を飛んで迫ってきていたキルアが現れた。大きく引いていた右の拳にスピードを乗せ、笑顔で殺人的な鉄拳を放つ。
 それを弓で受け、吹き飛ばされる勢いに乗って後退したゼルスは、矢を抜きながら宙返りし、三連射出した。もちろん狙いは外していない。
「『風の神の加護、レイス』っ!!」
 ゼルスを吹っ飛ばしてからすぐに筆記していたキルアは、それを疾風魔法で一掃した。彼女の手前から放たれた見えない風の刃は、風よりなお速く向かってきた矢をすべて打ち落とし、その奥、同じ直線上にいたゼルスに向かう。
 思わず舌打ちしつつ、ゼルスが宙返りから体勢を立て直し、背後に近付いてきていた木の幹に足をついた瞬間。無音で襲いかかった疾風魔法が、その木の幹をまるでオモチャのようにスパンっと輪切りした。
 木の幹だけを。

「隙だらけだぜッ!!」
「へっ?!」
 キルアが目を瞬いた直後、目の前から声がした。寸前で風の刃とすれ違うように跳んでキルアに迫っていたゼルスが、鉄級硬度の弓を握った手で殴りかかる。
 キルアがその手をとっさに手のひらで受けると、足が地面につくのがわかった。それを瞬時に利用し、キルアは受けた手でゼルスの手首を掴み、もう片方の手で胸倉を掴んで背を向け、彼のスピードを殺さずに利用し、投げる。
「とぉりゃあーーっ!!」
「っとぉ!」
「ふえっ!?」
 が、浮いていたゼルスは、投げられて自分の足が上を向く時に、両足を前の方へ移動して体重を移動させた。バランスを崩されて動揺し力の緩んだキルアの手は、あっさりゼルスを離してしまう。
 宙返りして両足が地を踏んで刹那、背後のキルアを振り払うように左足を一蹴する。手応えなし。避けたと見るなり矢を抜き、追撃するためにキルアを見ると、彼女は文字を書いていた。
 その文字に赤い光が走ったのを見て。――ゼルスは、顔を青ざめさせた。
「『深紅のっ……」
「おいちょっ待て!! 火炎魔法それはやばい!!」
「あ、そっか!んじゃ、『怒り狂う……」
「いや雷撃魔法もやべぇよ!! あーったく……もう終わりな」
 文字を消して書き直し始めるキルアを注意していたら、一気にやる気が削がれた。二人の間に漂っていた熱気が一気に霧散する。苛立ったように頭を掻いて、ゼルスは嘆息した。
 ここは、イプラストの首都ヴェラン郊外の森の中だ。こんなところで火炎魔法や雷撃魔法なんて使ったら……さすがに逃走するのは心苦しい。


 すべての始まりは、キルアの呟きからだった。
「なーんか、暴れ足りないなぁ〜」
「……そーいやなんか物足りないな」
 その一言で、ゼルスは、そういえば最近、まともに体を動かしてないということに気付いた。=戦っていない。
 ずっとこの調子だと体がなまりそうだ。戦いたいって俺は戦闘マニアか?と自問、それならキルアも戦闘マニアだなと自答。それから、上手い具合に戦える相手がいないかと考えて……、
「あ」
「あ!」
 二人同時に、本当にすぐ近くにちょうどいい相手がいたことを思い出して、顔を見合わせていた。


 ――そして、現在に至る。
 ゼルスは抜いたままだった矢を筒に刺し、弓を掛けながら、キルアを見た。さっきの凛々しい雰囲気はいずこへ、何処からともなく取り出したアメを食べるキルア。……つい呆れた顔になった。
「……今更だけど……お前、強ぇな〜……普段そー見えないから最高にタチ悪ぃ……」
「ホントっ?! わーい!でもでもっ、ゼルスも強いよ!ゼルス速すぎるんだもん!楽しかった〜♪」
 確かに前から気付いていたが、瞬発力はこちらの方が上らしい。威力としては、魔法を使うキルアの方がやはり上のようだが。
「速くても、筆記なしの魔法上手く使えば対処できるんじゃねーか?つーか、何でさっき使わなかったんだ?」
「あっ、忘れてた!」
「……そーゆーこったろーと思った……」
 どうやらキルアの頭の中には、「魔法=筆記しなきゃいけない」という公式があるらしい。これはしばらく、なおらないかもしれない。
「じゃ、んとね、多分ゼルスは、接近戦磨いた方がいーよ☆ 速いんだし絶対凄くなるよ!」
「うおっ、お前にアドバイスされる日が来ると思ってなかった……まぁ、それは自分でもちょっと思ってたけど……」
 仕返しと言わんばかりのアドバイスに、ゼルスは考え込んでしまった。
 弓矢を使う以上、遠距離からの攻撃が主になる。しかし、さっきみたいに接近戦に持ち込まれたり持ち込んだりすることもある。できないこともないがあまり得意ではないから、やはり練習あるのみか。となると、まずはキルアに指南してもらうことになるのか。
(……なんか嫌だ……)
 ちょっとその構図を想像して頭を抱えた。やはり組み手を教えてくれた師のところに行った方がいい気がする。

 考えに浸っていたゼルスがふと気が付くと、自分は、先ほど自分が避けた疾風魔法で切断された木の辺りを向いていた。
 その根元。切り落とされた上部の幹が倒れている下に……青と黄色のものが……?
 ……見間違えでなければ、あれは。
「って誰か下敷きになってんじゃねーか!」
「へっ?! あーーッ!!」
 慌てて飛んで近寄るゼルスを見てから、キルアもそれに気付いたらしい。近付いてみると、やはり人だった。
「キルアそっち持て!」
「おっけー!行くよ!せ〜のっ!!」
 なぜ人がいることに気付かなかったのだろうと思いながら、キルアと持ち上げるタイミングを合わせて、誰かを潰している太い木の幹をどかす。木を脇に置くと、キルアがうつ伏せに倒れている人物を揺さ振った。
「ね、キミ!死んでるッ?? ダイジョブ!?」
「……今、さり気なく怖いこと言ったな……気絶してるだけみたいだな」
 キルアと向かい合うようにその人物の傍にしゃがみ込んだゼルスが、その血色のいい肌を見てホッと一息吐いた。
「う……あたた……」
 すると、キルアの呼び声が届いたのか、その人物が気が付いた。うめきながら膝をついてゆっくり起き上がり、頭を振ると、頭の後ろで高く結われた金髪も一緒に揺れる。
 やがて、エメラルドの瞳がうっすらと開かれた。





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 二人はカルファードから出て、ルプエナの西の海の浮かぶ島国イプラストにいた。
 イプラストはエルフの国家だ。国の大部分が未開拓地だが、これはエルフの人口の少なさが主な原因である。
 精霊とともに自然の中でひっそりと生きる印象が強いエルフだが、一方で、知的好奇心が強く、魔法学や精霊学、考古学など研究者が多いのも事実だ。その中でも、機械学の魅力に取り憑かれた研究者は、よりよい研究環境を求めて大陸に渡るなどのケースがある。
 首都ヴェランは、林の中に紛れるようにして存在していた。切り出された木材と藁で造られた集落が集う、のどかな場所。規模は、ルプエナのラーダくらいの準都市くらいか。里の中心の広い空間に、木々と一体化したような小さめの石造りの古城があり、恐らくそこが元首の住まうところなのだとわかった。

 そのヴェランを抜け、獣道が均されただけのような簡素な道を行きすぎ、ヴェラン郊外の木々が少ない広めの敷地。
 そこでゼルスは、あちこちの木の陰から投げかけられる視線にうんざりしていた。どうやら爆発音やら木の枝が落ちる音やらを聞きつけた数名が、様子を窺っているらしい。
 首都内を通り過ぎた時も、はしゃぎ回る子供たちはともかく、大人のエルフが向ける物珍しそうな視線がひどく不愉快だった。確かに何処の国でも飛族はこんな視線を向けられるが、いくらなんでも無遠慮すぎる。好奇心の強さの違いか。
 あちら側が飛族に慣れる方が先か、こちら側がこの環境に慣れる方が先か。
 いや、あんなのに慣れちゃ飛族の誇りがズタボロだ。相手が慣れてくれるのを期待したい。


 それはそうと。
 木の下敷きにされて気絶していたのは、この地にいる以上、当然だがエルフだった。
 年は、二人より少し年下くらいか。癖の強い金の前髪の下で具合悪そうに半眼にされたエメラルドの目は、ぼんやりキルアを見据えていた。
「キミ、ダイジョブだった?!」
「……あれ?あ、飛族の方ですか。珍しいですね〜。僕、ウェンって言います。よろしくお願いします」
「……え、『僕』ってお前……男?」
 他のエルフとは大違いなセリフをのほほんと言った『少年』を見て、ゼルスは唖然としてから、思わず『彼』を指差しながら言った。少年――ウェンは、「はい?」と小さく首を傾げる。
 確かに服は男物って言ったら男物かもしれないが、ピンクにしか見えない腰帯が後ろでリボン結びにされてるのとかサラッサラな金髪とかパッチリしたお目めとかその仕草とか、女の子にしか見えない……が、言われてみれば胸が平たいし、体格が少しだけ女の子にしてはいいような……。
 とにかく、ちぐはぐな要素を兼ね揃えた『少年』だった。見間違えのないように。
 彼は後頭部に手を当て、不思議そうに呟いた。
「何ででしょう……頭が痛いです」
「あ、えっとね、キミの頭の上に枝落っことしちゃったんだ!気配に気付かなくて……ごめんね!」
「そういえば、本を読んでたら突然視界が揺れて……」
 そう呟くウェンの言葉通り、確かに彼の傍らに開かれて伏せられた本がある。手のひらの2倍の大きさがあり、表紙に鮮やかな色彩で絵が描かれている、それは……、
「……絵本?」
「あ、興味ありますか?それはディズ・イラースって言う本なんですよ。面白くてつい読み込んじゃいました」
「あぁーーーっ!! ディズ・イラース知ってるよー!空と海の龍神サマの伝説だよねっ!」
「知ってるんですか?! イプラストの伝説ですけど、よく知ってますね!」
「えへへ〜♪ かーさんがいろんな国の話、教えてくれたんだ〜!」
 大して興味もないゼルスは絵本を一瞥して聞き流したが、キルアの方はウェンの両手を掴んで喋るくらいには食いついた。驚きもせずされるがままになっているウェンは、意外とキルアと相性がいいかもしれない。
「伝説が絵本になってんのか?ガキの読むモンかよ……」
「えっと……逆ですね。伝説自体が絵本なんです。イプラストでは、伝説や伝承などはすべて童話形式で伝えられるんです。それで、童話に一番合うのはやはり絵本だろうと言うことで、絵本の形をとっています。それから、エルフの子供は人間の子供より脳の発達が早いので、こういう本は平気で読みますよ」
「んーよくわかんないけど面白いんだよね!」
「お前ちょっとは考えろよ!?」
 ウェンが言い切った直後に言い放つ辺り、考える気はゼロだ。思わずゼルスは声を上げてから、ふと眉をひそめた。
「ん?ってことは、神と魔王……あー、光と闇の支配者って言った方がいいか?その伝承も絵本だってことか?」
「あ、はいそうですね。アスターディアとルグラグの伝承ですね」
「……へ?? あす……?」
「あ、そうか。えっと、どうやら両支配者の呼び名が、イプラストと大陸とでは違うみたいなんですよね。他にも差異があるので、実際に読んでもらうのが一番ですけど……詳しく書いてる原本はエルフ語なんですよ。読めますか?大陸では、俗に古クルナ語って呼ばれてますけど」
「おいキルア、出番だぞ」
「ほいほーい!なになに??」
 予想もしなかったところで古の言語が出てきた。やはり勉強しておけばよかったかななんて、ちらっとでも思ってしまった自分が悔しい。ここはプロに任せよう。
 古クルナ語は、元々エルフの言語だ。それが海を渡り大陸に広まり、一時期は世界共通語となっていた。現在は、エルフ達も現代語を話すし、古クルナ語は古い書物や魔法学でしか扱わない。ちなみに魔法学自体、古い学問なので、魔法の世界では古クルナ語を使う。
「伝承に興味あるんですか?各国によって違いますもんね」
「……あぁ、まぁそーゆーとこだ」
「でも、わざわざ各国を巡って調べてるんですか?考古学者……じゃないですよね?」
「んとね……ナイショ☆」
 人差し指を口の前に立てて笑うキルアを見て、上手いかわし方だとゼルスは内心で感心した。キルアならそういうことを言っても、自然体に見えるから不思議だ。
 そのキルアの自然体と同じくらい自然に、息をするように。ウェンは微笑みを浮かべたまま尋ねてきた。

「もしかして、従士に会ったとか?」


 ――世界が氷結した。
 気を許した一瞬、とんっと懐に踏み込んできたような距離感。ゼルスは驚きを悟られないようにウェンを睨むような目つきで見返したが、隣のコイツにそんな芸当はできるはずがなく。
 目を真ん丸に見開いたキルアを見て、ウェンはきょとんと目を瞬いた。
「あれ?当たりですか?」
「……お前……何で」
 かろうじて、絞り出せた声はそれだけだった。
 ――それは、「従士が実在する」という事実を踏まえての言葉。
 カルファードの伝承でも従士の名が載っているだけで、実在するとは何処にも書かれていなかった。二人は実際に従士に会ったから、実在すると知ったわけであって、普通の者は知らないはず。
 このエルフ族は、なぜそれを――

「僕、旅してて、いろんなこと聞いたんです。と言っても、ただの噂だったんですけど。本当に実在するんですね」
「……つまり……さっきのは、ただのカマかけってことかよ……で、俺は見事引っかかったと……」
「あ、あはは……悪いことしました。すみません」
 心身ともに緊張させていたゼルスは、その言葉を聞いて萎えながら、自分の不覚さに呆れた。くそっ、受け流せばよかった。ウェンが申し訳なさそうに苦笑する。
「原本は図書館……とはまた違いますけど、たくさんの本が所蔵されている場所に置いてます。僕もちょうど本を返すところでしたし、案内しますよ?」
「あぁ、それなら頼むわ」
「絵本かぁ〜!どんなのあるかな?ディズ・イラースはあったから、ザクスの伝説とかあるかなっ?」
「あ、それならあると思いますよ。ザクスと言ったら、ルプエナとリギストの間にある巨大な谷ですし、やっぱり伝説もたくさんあるみたいです」
「そっかー!楽しみ〜♪」
「………………」
 にっこり笑顔ですらすら答えるウェンもウェンだが、ディズ・イラースのことといい、今といい、キルアが意外と伝説に詳しいのには驚きだ。「伝説」と言うより「物語」として見ているのかもしれない。
「それじゃ、こっちです」
 と、笑顔でウェンが指し示した方向は……やっぱりと言うか、ヴェランの方角。
 またあの無遠慮な視線の中を歩くのかと、ゼルスは重々しい溜息を吐いた。





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 ずっと頭の片隅で、棘のように引っかかっていることがある。
 ――そもそも、なぜ伝承は各国で違うのか?

  『各国の伝承は、大まかなあらすじこそは同じですが少しずつ違います。そして国によって違うのは、各国の伝承が少しずつ事実を織り交ぜているから……という説があります』

 フィンはそう言っていたが、しかし、そんな偶然があるだろうか。『真実が少しずつ分散するなんて偶然が』。
 明らかに人為的だ。誰かが故意にやらなければ、そんな偶然は発生しない。本当の伝承を分散させ、そのように伝えるようにさせた張本人がいるはずだ。
 しかしおかしなことに、その「事実が少しずつ分散しているという事実」を知っている者、知り得た者は今までこの世界に誰一人いなかった。なぜなら、もし誰かがすでに知っていたなら、自分たちより前に各国を旅し、本当の伝承を完成させている者がいても不思議ではないはずだからだ。
 そもそも、フィンの言うことが噂に過ぎない?
 否、ルプエナ、リギスト、カルファードの伝承を見てきたが、確かにそこには少しずつ、従士の口から語られたような真実が織り交ぜられていた。恐らくその説は本当だ。


 予想は大きめに見積もっていた方が行動がしやすい。
 問題は、その大きく見積もった予想を遥かに超越した場合だ。事の大小はまったく違うが、現状のように。
「……おい、ウェン」
「何ですか?」
 高い壁を覆い尽くす馬鹿デカイ本棚の前に立ち、絵本を物色するウェンに、突っ立ったままのゼルスが声をかけた。
 ウェンの言う、図書館の代わりとも言える場所に案内されたはいい。キルアなんかは楽しそうに本棚の上部の方を、『飛んで』見に行っている。
 しかし――
「何で元首邸にこんだけ絵本あんだよ!? つーかこの規模、図書館だろ!」
 元首はいい年して絵本コレクターなのか?いや民衆の声を聞いたらこうなったのか?とかゼルスが思っていると、本から目を離したウェンが笑って振り返った。
「これ、全部元首が集めたんですよ。外国のもありますから、絵本ばかりでもないですよ」
「は!? マジで元首は絵本コレクターなのかよ?!」
「あはは……まぁ、いろいろ事情がある人なんですよ」
「つーかお前は元首と知り合いなのか!?」
「えっと、まぁ、はい」
「お前何者だよ?!」
「え?えっと……エルフです?」
「………………」
 テンポよく突っ込んでいったが、最後の回答は、何というか突っ込みどころが多すぎて、逆に何も言えなかった。

 エルフの民主国家として知られているイプラスト皇国には、王はいない。
 その代わり、皆の意見を取りまとめる者が存在し、その地位を簡潔に元首と呼ぶ。その元首が意見を反映させ、国を動かしているというわけだ。つまり意味合いは違えども、元首は、他の国家で言うところの「王」に相当する立場だ。
 そして恐らく、ヴェランの中央にあった、木々が柱に絡みついていたり表面をコケが覆っていたり自然と一体化している遺跡のような建物は、元首の住まうところなのだろうというのは来た時から想像はついていた。明らかに周囲と雰囲気が違ったからだ。
 しかしまさか、その中がこんな絵本図書館と化しているなんて想像はつくはずがなく。キルアが飛んで見に行っているほどに高い天井までびっしり並んだ本棚群に、1つずつこれまた本たちがびっしり収納されている。
 ゼルスがどういう顔をすればいいのかわからないでいると、上の方の本棚を飛んで見てきたキルアが、「む〜」と難しい顔をしながら下りて来た。
「なんかよくわかんなかったよぉ〜」
「あはは、そうでしたか。上の方は外国の本棚ですから、絵本は少ないですしね。下段の方がイプラストのものですよ」
「そーなのっ?? じゃあこの辺見よーっと♪」
 笑顔で説明してくれたウェンの隣に並んで、キルアはにこにこしながら本の背表紙を眺める。絵本とは言え、図書館でグースカ寝ていたコイツが、楽しそうに本棚を見るなんてことがあると思わなかった。
「ここにある本全部を読了するのが、ささやかですが僕の夢です」
「まぁ……こんだけの量、全部読んだら確かに凄いけどな……」
 ゼルスも釣られて高い高い本棚を見上げた。読書は割と好きだが、それよりも自分の頭で何かを考える方が好きなゼルスには、何というかこの本棚が地獄の道のりに見える。吸収より放射。
「イプラストの本棚は全部読みました。読み始めて、まだ1週間くらいなんですけどね」
「コレ全部読んだの〜!? すごいすごい!」
「あ、そうだ、ゼルスさん。これがイプラストの伝承の原本です」
 キルアのパチパチと拍手する音を聞きながら、ウェンはおもむろに本棚から一冊の本を抜き出し、差し出してきた。それを受け取りながら、ゼルスはさっきのウェンの言葉を思い出した。
 目の前の本棚――イプラストということはほぼすべて絵本形式だろうが、それでも随分ある。これを全部読んだのか。ふーん……と思いながら、渡された伝承の絵本を何気なく開いてみて、ゼルスは思わず沈黙した。

 ……何だこの詐欺は。
 表紙には、色彩鮮やかな絵が描かれている。絵本だと一目でわかる。
 しかし、両面開いた中身は……表紙と同じ絵柄の挿絵が描かれた右側のページ、そしてびっしりと文字が羅列した左側のページ。軽くざっと斜め読みしてみるが、古クルナ語で書いてあるとはいえ、この情報量、どう考えたって絵本というより完全な文献の部類だ。絶対キルアになんて読めるわけがない。これをエルフの子供たちは読んでいるというのか。
 こんな絵本が、目の前の本棚を埋め尽くすほどたくさんある。
 そして、このすべてを1週間で読了したというウェン。
「……お前……すげぇな、ウェン」
「え?そんなことないですよ?」
 賞賛なのか呆れなのか自分でもわからないまま、思わずポンっとウェンの肩に手を置いて言うと、彼はにっこり事も無げに言った。なんだかとんでもない読書家に出会ったらしい。

17

 絵本の中身がそんなものだとは露知らず、キルアは背表紙を見つめていた目をウェンに向けた。
「じゃあじゃあ、ウェン君、上の方の本読むんだよねっ?取ってこよっか??」
「あ、大丈夫ですよ。自分で取れますから」
「自分で取れるって……」
 今度は上の本棚の本を読むんだろうと思って気を利かせたキルアに、ウェンは微笑んで言う。反射的に呆然と復唱してから、ゼルスは上を仰いだ。
 目の前のイプラスト本棚は、自分達の身長よりも頭2つ分くらい大きい。その上に乗っかる本棚もまた、同じサイズだ。つまり、上の本棚の最上段まで、自分達の身長より2倍以上も高さがある。どう考えたって、飛族じゃないウェンが届くような高さではなかった。
 何か仕掛けでもあるのか?と、上の本棚を見つめていると、

 上の本棚に収まっていた一冊の本が、ひとりでに抜け出てきた。


「―――……は……?」
 ……チョット待て。
 本は平たい形をしている。中に何枚もの羽らしき紙を有しているとしても、それは情報を載せるためのもので飛ぶために発達したものじゃない。だから本が飛ぶわけないのだ。――なのに今、一冊の本が、羽(かみ)も広げないで宙に浮いている。
 唖然と本を見上げていると、それは流れるように舞い、ウェンの手元に下りて来た。その計算し尽くされたような滑らかな動きを見て、常識がブッ壊れそうになっていたゼルスは、本が飛んだ理由を理解した。その考えを、キルアの羨ましそうな声が確信へと導く。
「すっごーい!! ウェン君、精霊ちゃんと仲良しなんだ!いいな〜!」
「もしかしてキルアさん、精霊が視えるんですか?」
「んとね、ぼんやりだけど視えるよ☆ 今、風の精霊ちゃん達、喜んでキミの指示聞いたよね!ボクも仲良くなりた〜い!」
 少し驚いた顔をしたウェンに、キルアは楽しげにサラリと言う。「ぼんやり」とは言っているが、そこまで視えているなら十分魔術師としては一流だ。
「ウェン、お前、精霊干渉できるんだな」
「あ、はい。普通は長年の努力が必要みたいですけど、僕のは才能……というか、先天的なもの、というか」
 ゼルスが知る言葉で表すと、あまり自覚がないのか何処か困ったような照れくさいような、そんな表情で頬を掻くウェン。しかし確かにそうなると、彼はとても稀有な存在だ。
 精霊干渉。自然とともに生きるエルフ族が得た、一種の魔法だ。魔法も精霊への干渉で行われる。
 しかし彼らの術は、魔法よりももっと幅が広い。魔法は思念を反映するとはいえ、一定の型にはめて精霊を動かすのである程度用途が限られるが、精霊干渉は術者の指示によってさまざまなことを行う。
 この技術は、さしてエルフでは珍しいことではないが、修得者はほとんど、人間で言うところの年配の人々である。だからウェンのような若い少年が使えるというのは、非常に珍しい――いや恐らく、誰一人として先例はいないだろう。

「………………まぁいーか。おいキルア、この本の中身、現代語訳するの頼むわ。ただし内容は考えるな。一文一文をただ現代語に訳す勉強をしろ。じゃないとお前死ぬぞ」
「なにそれーー!!? そんな危ないのやりたくないよー!!」
「後で1回だけメシ奢ってやる」
「ホントっ!?! じゃあやるやるー!!」
「命よりメシの方が大事なのかよっ!?」
 ご飯で多分釣れるとは思ったが、こんな息をするような気軽さでひっくり返ると思っていなかった。
 ゼルスがキルアに絵本を渡すと、ウェンが気を利かせて口を挟んだ。
「あ、その辺のイス、好きに使っても大丈夫ですよ」
「お前はこの家の主かよ……」
 笑顔のウェンに内心で突っ込みながら、ゼルスは部屋の隅にあった、細い木の枝で編まれたようなイスに座る。意外としなるイスで、座り心地がよかった。
 キルアは紙とペンを探して室内をキョロキョロと歩いていたが、それもウェンが教えて彼女の近くのイスに落ち着いた。
「さって〜!古クルナ語を現代語に直すおベンキョーするよ〜♪」
「おー頼んだ」
 ニコニコ笑顔で、ゼルスには読めない古クルナ語の本を開くキルア。この付き合いで知ったが、キルアは魔法に関するものの勉強は好きらしい。やはり自分が知識あるものを学ぶのは楽しいようだ。こと魔法に関してはやはり天才だ。
 ゼルスは一言言うと、イスの背もたれにもたれる。そこからぼんやり、自分たち以外はいないこの広間を見つめる。光を反射する白い石畳の床。蔵書量に目を奪われて気付きにくかった点が、ここからだとよく映えた。

 ――この城、妙だ。元首が住まうというのに、警備兵の一人もいない。だから、すんなり入ってこられたわけだが。
 そもそも警備兵どころか、使用人らしい人影もない。さらに言えば城全体に人の気配がないのだ。それなら廃墟同然かと言えばそうでもなく、部屋の中は埃っぽくもなく綺麗に掃除されている。明らかに人がいる痕跡はあるのに、気配はまるでなく、生活感は皆無。気持ち悪い矛盾。
「……なぁ、ここ、本当に人住んでんのか?」
「住んでますよ。元首は強い人なので、警備兵もいらないんです」
「へぇ……強いのか」
 貴族や王族なんて、ただ人をアゴで使う存在だと思っていた。だから、元首(おう)が強いと聞いて、少しだけ興味を持った。
 イプラスト元首・イズレールについては、ほとんど知られていない。イズレール自身があまり表舞台に現れたことがないからだ。……そんな存在と、目の前のこの少年は知り合いだというのだ。世の中はわからない。
 ゼルスは頭を過ぎる疑心暗鬼に溜息を吐きながら、ふと記憶を巡らせた。
 これから先の、自分たちの未来について。





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 結論から言えば、答えはノーだ。

  『きみ達は、お二人と邂逅し、とても危険な目に遭うのだと思う。未来は変わるから……お二人に関係することに何か心当たりがあったら、すぐに手を引いた方がいい』

 時は遡り。
 カルファード帝国、レイゼーク城下町の北区。王立図書館から出てきたゼルスは、空を見上げた拍子に昨日のアスナの言葉を思い出した。
 そして今日も今日とて、カルファード帝都祭。人がゴミのように無節操に歩き回っている。

 自分達が伝承を調べ、神と魔王を追っているのは、元を辿れば、レナのペンダントを取り返してほしいというオスティノの依頼だ。セルリアを呼び戻すことも含め、現在進行形で引き受けている。
 そのために、ペンダントを奪っていったシドゥを追いかけたら、彼女はドゥルーグの従士だと名乗った。そしてペンダントには、ドゥルーグの力が封印されていると告げた。その後、シドゥの足取りはパタリと途絶えてしまった。
 ひとまず、ドゥルーグなどの存在が実在するなら伝承を知っておくべきだと、リギストに向かった。だが、そもそも伝承は各国に散らばっているなどと言われ、それらの情報を集めてほしいというフィンの依頼もあって、こうして各国を回るハメになっている。
 依頼を複数掛け持ちしているし、ここで降りるわけにはいかない。
(まぁ、魔王とやらに会ってみたいってのもあるけどな……あ、闇の支配者だっけ?)
 あらかたの書物は読みあさったが、それでも世の中にはわからないものが無数にある。知的好奇心はいくつになっても衰えないなと思いつつ、頭の中の呟きをゼルスは訂正した。というのも、今しがた読んできたカルファードの伝承が原因だ。
 カルファード伝承は、不思議だった。
 まず、アスフィロスとドゥルーグのことを、神、魔王ではなく、光の支配者、闇の支配者と呼ぶ。
 そして、二人の支配者によって、この世界が創造されたと言うのだ。今まで見てきた伝承とは、ドゥルーグの扱いが真逆だ。そういえば昨夜アスナも、「ドゥルーグ様」「お二人」とドゥルーグにも敬称を使っていた。
 確かに現界は、光と闇の融合世界だが、神と魔王は相反するものだ。一体、何を根拠にそうなっているのか。そこまでは書いていなかった。

「あっ、ゼルス〜!! 終わったのー?」
 通りの方からキルアの声がして見ると、リンゴアメとわたあめを持ったキルアが手を振っていた。……リンゴアメを持った手を。今にもリンゴがすっぽ抜けそうで、隣のアスナがあわあわと焦った顔をしている。
「従士のことは調べられた?」
「ジューシー!? 食べ物のコト調べてたの?! ずるーいゼルス〜!!」
「……はいはい。あぁ、1冊で足りた」
 変な横槍を入れてくるキルアを受け流して、ゼルスはアスナの問いに頷いた。
 ――従士。それは、アスフィロスとドゥルーグにそれぞれ仕える三人、計六人のことをそう呼ぶのだそうだ。
 否、仕えるというより、どちらかと言うと体の一部のようなものらしい。その存在は、それぞれの主たちにとても近い。
 アスフィロスには、ジーク、ウェルニア、ゼティス。ドゥルーグには、リラ、ルシス、ノアと、名前まではっきり明記されていた。
 ドゥルーグ従士を名乗るシドゥは、確か「リラ」と名乗っていた。それからあの空からの声は、「ノア」と呼ばれていたような。
(……セルリア……)
 顛末はどうであれ、セルリアは、ケテルフィール公爵家にはペンダントを探しに来たと言っていた。彼がドゥルーグ従士、ルシスで間違いないだろう。
 今のところ、ドゥルーグ勢は敵だ。理由は単純、レナのペンダントを盗んでいったのがドゥルーグ従士のシドゥだからだ。元々ドゥルーグの物だったとしても、勝手に持っていくのは頂けない。

 ルプエナを始めに、リギスト、カルファード。各国の伝承を見てきた。
 事実の伝承を知るためには、あとは……
「……イプラスト……か」
 エルフの国イプラスト。海を挟んでルプエナの西側に浮かぶ島国だ。
 海の向こうの国なので、あまり他国とは関わりを持たないが、唯一、海を隔てた隣国のルプエナとは友好関係にある。ルプエナの西側の地域では、エルフを見かけることも珍しくない。
「イプラストに行くの?」
「あぁ」
 アスナの興味本位の問いに、ゼルスは短く答えた。その二人の前に、キルアがぴょこんと飛び出て自慢げに言う。
「あのねあのねっ、イプラストには不思議な森があるんだよ!入っても、気が付いたら入口に戻ってるんだよ♪ すごいよねー!! ボク、昔、一人で世界一周しててねっ……」
「はぁ?」
「イプラストの森……?」
 一人楽しそうに語り出そうとしたキルアに、ゼルスが面倒臭そうな顔をし、アスナが首を傾げて繰り返す。
 イプラストにある、旅人を惑わす森。不可思議な存在で有名だ。
 その中には……

「……うッ!!」
 アスナがそう考えた途端、突き刺すような鋭い痛みが頭を縦断した。
「へっ?あっちゃん!?」
「どうした?!」
 突然、アスナが額を押さえてしゃがみ込んだ。急なことで、二人も驚いて屈み込む。何事かと、周囲にいた人々も振り返るのがわかった。

 脳裏を、何かが灼いた。
 これは……

「………………だ、大丈夫……」
 二人が問いかけてから、しばらく経った後。アスナが、掠れた小声でかろうじてそう返答した。
 彼女はゆっくり額から手を離し、ゆっくり立ち上がる。しかし、その言葉とは裏腹に、その表情は固く強張っていた。
「ホントにダイジョブっ?もう痛くないっ?!」
「うん、大丈夫。もう痛くないよ」
「……さっきの、何だったんだ?」
 心配して聞いてくるキルアに、固い表情をなんとかほぐし笑って答えるアスナ。それでも顔色がよくない彼女にゼルスが聞くと、アスナは深刻な顔で少し沈黙した。
「……予見だよ。こんなふうに、ぼくの予見は何かをきっかけにして、突然来るんだよね」
「神サマが教えてくれてるの?」
「昨夜も言ったけど、ぼくの場合は精霊だね。けれども、純粋な四大元素の予見なら痛みはないんだ」
「なら今のは、光と闇に関わる予見……か」
「……そういうこと」
 ゼルスが先読みして言った一言に、アスナは重い頷きを1つ落とした。
「さっき、話に出た森だよ。正確には、その中にある場所……ユマフィード洞穴が視えた。風景なら、四大精霊で視えるはずなんだけれど……視れなかった。つまり、その場所は光か闇の力が強いということになる」
「なるほど」
「ユマフィード洞穴に何があるのかはわからないけれど……そこには近付かない方が」
「む〜〜〜……ごめん、あっちゃん!!」
「……え?」
 アスナの声を遮るように、キルアがパンっと両手を合わせて突然頭を下げた。いきなり謝られて呆然としているアスナに、顔を上げたキルアは申し訳なさそうな顔で言う。
「ボクら、きっと、ユマフィード洞穴に行かなきゃいけないんだ。オトモダチの宝モノが悪いヒトに盗られちゃったから!そこ行かなきゃ、取り返せないと思うんだっ!だから、ごめんね!」
「……まぁ、超大雑把に概略するとそんな感じだ。だから行くことになると思う」
 説明が抜けすぎなキルアの言葉に、いろいろ付け加えて事がこじれても面倒臭い。とりあえずゼルスはそれで頷いた。
 光か闇の力が強いなら、そこは、光と闇の王に関係のある場所のはずだ。闇であったらペンダントを探す手間が省けるが、一体どちらか。

 ペンダントを返してもらえなかったら、どうしようか。
 セルリアを呼び戻すことができなかったら、どうしようか。
 依頼失敗は嫌だな。


 ――要するに。
 自分達は、魔王に喧嘩をふっかけようとしているのだ。



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