第14話  おサイフ奪還作戦!

 世の中は偏見でできている。
 飛族の認識であったり魔法の認識であったり、これまでに数え切れないほど偏見の数々は見てきたし、自分だって相手の見かけで人を判断したりするし、偏見は何処にだってついて回る。
 だから今、ある種の悪役になっているのは当然と言えば当然だが、今ほど偏見が苛立つと思ったことはない。



 まだ持てる力を出し惜しみしている太陽の柔らかな日差しが、窓から差し込んでいる。
 開放的な店内に入り込むかすかに肌寒い微風が、この場所を人知らぬ顔で吹き抜けていく。
 カフェを兼ねた、とあるレストラン。ちょっと洒落た民家くらいの、家庭的で温かな店内。板張りの壁や床はやや年季が入っていて、この店の時の流れを彷彿とさせる。
 こういう穏やかな天気の時にこそ、何処かに出かけてのんびりと一息吐きたいところだ。そんなことを考えた人々は他にもいて、店の中にまばらにある丸いテーブルにはすべてに人がいた。
 そして、そのすべての人々が、ある一点を注目していた。周囲の和やかな雰囲気とは異なる、なんだか不穏な空気が漂う1つのテーブルを。

「さて、どーゆーことか説明してもらおーか、少年?」
「せつめいしてもらおーかぁ?」
 テーブルを囲むように立つ二人。竜族と鳥族といった、稀な種族だからこそもんのすごく注目を集めるコンビだ。
 一人は、にこやかな竜族の少年。あくまで笑顔ではあるが、その背後のオーラは……何と言うか、果てしなくドス黒い。下からライトアップすれば本心が透けて見えそうだ。
 もう一人の鳥族の少女は、お菓子がたくさん入った紙袋を手に抱いている。顔は混じり気のない満面の笑み。純粋に尋問ごっこが楽しいようだが、こっちはこっちで怖かった。
「ひゃはは……1対2かいな。卑怯やわ……」
 その二人以外の、特徴ある声がする。
 二人が見下ろす先。テーブルには、一人の少年が着いていた。
 これまた背中から白い羽を生やした少年だった。鳥族。上からの二人の圧迫に縮こまるようにイスに座っている。そしてなぜか彼は、イスの背もたれに縄で縛り付けられていた。
 少年は、二人と変わらない年の頃に見えた。深い紫の眼は、観念したような目付きで二人を見据えている。その頭部を飾るのは、水色がかった『銀髪』。いくら暖かくなってきたとはいえ、まだ肌寒い北国なのに、白い半袖Tシャツと七分丈のズボンといった服装だった。
 言うまでもなく、彼らはもんのすごく注目を集めていた。この険悪なムードだけでなく、トリプルで飛族だということも手伝って。しかし当人達はそのことに気付かない。
「せやから、堪忍なって言うてるやろ?あんまコレ続けると、悪役はオマエさんらになるで〜?」
 少年は嘆息してから、随分と特徴のあるナマリ口調で不敵にニヤっと笑って言ってきた。言っていることが正論だったから余計に苛立つ。

「ちょっと……止めた方がいいんじゃない?」
「可哀想……」

 ああ、ほら、周囲はそう判断している。そういう構図になっているらしい。
 他のテーブルにつく人々の話し声が耳に入る。その内容を聞く度に、さらにイライラさせられる。
 確かに傍から見れば、二人相手にいぢめられる少年の図に見えた。まさかその位置関係だけで、こっちが悪役になるなんて。つくづく世の中は偏見でできている。
 悪役は、終始この少年だというのに。





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 時は、少し遡って……

 キルアは、最高に不機嫌だった。
「ううう〜〜〜〜〜……………………………………………………お腹空いた!!!!」
「……ホントにお前、単純にできてんな……」
 ふわりと着地しながら、ゼルスは今更だが、その長い溜めの後の一言に呆れた。
 腹が減って機嫌が悪くなるなんて動物レベルだ。きっとコイツの脳内は、「食」と「遊」で埋め尽くされている。
 お腹を抱え、土に汚れることも気にせず、ずしゃぁあっと地面に下りた——正しくは落ちた——キルアは、「もーダメ……」とうつ伏せに倒れたままだ。

 キルアが寝ている地面は、黒い土を均しただけのものだ。馬車の轍がいくつも刻まれているところから、人や物の出入りが活発な町だというのがわかる。
 視線を上げると、この広い通りの両端に石垣が立ち並んでいた。木と石でできた大小さまざまな民家を囲う石垣は、大人の背丈ほどある。民家の背後には防風林と思しき林が立ち並んでおり、居住空間と自然との境界線が曖昧だ。
 すべてが民家かと思えば、よく見れば飲食店や宿屋などの店も紛れ込んでいた。それらは石垣の入り口付近に派手な看板や布を張っていたり、個性的にアピールしている。
 そんな民家や店に唯一共通しているのは、家の背が一様に低いということか。恐らくこれは、普段から強風が多い土地柄によるものだろう。家を囲う石垣で風を和らげ、家の背を低くすることで風の直撃を避け、屋根上方に風を受け流しているのだ。

 そんなわけで、噂通り風の強い地方だ。普段から強い風が渡る上空を飛んでいる以上、多少風が強くてもびくともしないが、今回ばかりは違った。
「うう、さむ……体冷えた……」
 具合悪そうに首を引っ込めて両腕を摩るゼルスの茶髪を、まるで見えない手が掻き乱すように、ばさばさと風がもてあそぶ。
 地上でこの風速なのだ。上空は推して知るべし。
 飛行に支障があるわけではなかったが、体が煽られるので体勢を保つことに気を遣って気疲れした。
 しかも全身に風を浴びているので、天気が良く太陽が照っていても、どんどん体温が奪われてすっかり体が冷えてしまった。
 分厚いコートを着ているゼルスが震えているのに、もっと薄着のキルアは全然そんな素振りはない。もしかしたら彼女は腹の中の熱量でカバーしていたのかもしれない。そのせいで空腹なのかもしれない。
 恐らく、これが南国だったなら、涼しさを運ぶものとして歓迎されただろうが、ここは残念ながら北国だ。
 ルプエナは春を通り越し初夏にかかる頃だが、この土地ではまだ春の肌寒さが残っている。
 はためく邪魔な髪を除けて、ゼルスは冷える両手を軽く摩った。



 カルファード−リギスト間の国境は、エイラ・メイラ山脈という連峰によって引かれている。頂はいつも新雪を冠しており、標高の高さを窺わせる。
 「エイラ・メイラ」は、キルア曰く、古クルナ語でそれぞれ「虐げ」、「護り」の意味らしい。この山脈に生かされつつも、この山脈のせいで他と比べ過酷な環境に置かれたこの土地の人間が名づけたのだろう。
 その山脈が途切れている場所が一箇所だけある。カルファードとリギストは、その地方だけを通して繋がっている。それ故、そこは「カルファードの玄関口」とも呼ばれている。
 それは人や物の流れはもちろん、風の流れにも言えることだ。山脈という壁にぶつかった風は、上方に上がるか左右に分かれるかを選択させられる。多くは上空に受け流されるだろうが、こぼれた風がその玄関口の地方に集まり、結果強風になるのは必然ではあった。
 その地方の中でも大きな町がある。帝国中央から離れているせいか生活水準はあまり高くないが、異邦人を快くもてなす温厚な人々が住まう町だ。
 ライヴェール。
 リギストのイールスを発って数時間。二人は、カルファードの東側にあるその町に来ていた。

 通りには、荷車を引く人、農耕具を持って移動する人など、用事があって行き交っている人以外はいなかった。
 他の町では見かけた、道端で談笑するような人々はいない。通りは風が強いから、会話する時は石垣の内側に入るようだ。
 ゼルスは軒を連ねる民家に紛れて建つ飲食店を一瞥してから、道に寝そべっているキルアを見下ろした。彼女は、お腹空いたお腹空いた喚きながら、ゴロゴロ道の上で転がって砂だらけになっていた。
「さっさと起きろ、ガキンチョのストライキかよ……」
「無理ぃいい〜〜っ……はうぅぅ、ごろごろごろ」
「そーやって転がる気力あんなら立てるだろ!ったく……」
「ううううーーー…………あッ!?! なんかイイニオイ!!!」
 ゼルスの鼻腔には何も触れていないが、キルアはその超感覚で何かを嗅ぎ取ったらしい。がばっと両手をついて起き上がったキルアは、転がるように目の前の石垣の向こうの民家に突撃した。
 脇目も振らずダッシュしたキルアに、ゼルスは意外そうに目を瞬いた。
 どうやら、相当空腹だったらしい。いくつか飲食店があった場合、いつもはキルア基準の『おいしそうなところ』を選ぶのだが、今は一番近いところへ突っ走っていった。今はとにかく腹に何か入れたいのかもしれない。
 自分も腹が減ってきた頃だし、ちょうどいい。腰のポーチの中のサイフを確認してから、石垣の向こうに消えたキルアを追う。
 石垣の傍に立っていた看板の「レストラン」の文字を確認する。そのレストランと言えば、周囲の民家とほとんど変わらない建物だ。木造りの優しい雰囲気を持っているにもかかわらず、強風対策で開口部が閉め切ってあるせいか、何処となく素っ気ない。
 そのレストランのドアの前まで駆けていき、キルアがその勢いのまま、ドアを開こうとした直後。
 突如そのドアが勝手に勢いよく引かれ、これまた勢いよく誰かが中から飛び出してきた!
「ふえっ!?」
「んやっ?!」
 当然、いきなりのことで反応が追いつかず。

 ゴチンッッ!!!☆



(……うっわー……)
 ……両者の頭の高さがちょうどよかったらしく、真正面から頭と頭が衝突した。
 響いた鈍い音がやけに生々しく、その痛みを想像してゼルスは思わず顔をしかめた。

「…………〜〜〜〜あだぁぁあああっっ!!!?」

 が、悲鳴を上げたのは、店の中から出てきた誰かだけだった。その人物は、おでこを押さえて絶叫し、そこにうずくまる。
 一方、キルアはキョトンとした顔のまま、そこに突っ立っていた。……そういえばコイツは石頭だった。ということは相手は、通常の何十倍もの痛みを……おお、可哀想に。
「ごっ、ごめんね!! ダイジョブ!?」
 キルアは、何が起こったのかすぐに理解できずにポカンとしていたが、やっとハッとして相手に謝った。相手は、ウオオオと地の底から響いてくるようなうめき声を上げていた。
「あ、頭カチ割れるかと思ったで……あー今、一瞬、死んだわウチ……」
 具合悪そうに言い、相手はこてんっとその場に座り込んだ。相当なダメージを受けたらしい。
 ゆったり歩いてきていたゼルスは、改めて相手の容貌を見て、少し驚いたように目を開いた。
 同い年か、少し年下に見える少年だった。紫の瞳は、まだ頭が痛むのか半眼にされている。半袖と七分丈のズボンといった取り立てて目立った格好でもない。
 何に驚いたかというと、2つある。
 まず、銀髪というのがそもそも珍しい色合いではあるが、その中でも、日が当たると少し水色っぽく見えたり、やや紫がかって見えたりするのはさらに稀だろう。いや、彼以外いないのではないか。一度見たら忘れない色彩だ。
 そしてもう1つは、その背中に。
 やっと少し回復した様子の少年は、赤くなったおでこから手を離し、そこでようやく、ぶつかった相手を見たらしい。キルアを見て、キョトンと目を瞬いた。
「お?なんや、同族やないか」
「へ? ……あ、ホントだ!キミも鳥族っ?」
「おうや、見ての通りやで。そっちのあんさんは竜族かいな。いやぁ〜自分以外の飛族、初めて会ったで〜」
 キルアは言われるまで気付かなかった鈍感ぶりだが、彼は背にあるのは紛うことなく純白の鳥の羽だ。——鳥族。
 ひどい攻撃を受けた割にすでにケロっとした様子の少年は、立ち上がりながら笑った。淡い極彩色の銀髪が強風に煽られてばさっとはためく。
 すぐに打ち解けられそうな、人懐こい笑顔。

14

「ほんなら、うちもう行くわ」
「へっ?もう行っちゃうの??」
「おう、急いどるんや。そんや〜、また会えたらえーな!」
「うんっ、またねー!」
 別れの挨拶もそこそこに、少年は軽く地面を蹴り、風の強い空中へと旅立つ。手を振る少年に促されるまま、キルアも手を振り返すと、彼は北の方角に向けて飛翔し、防風林の陰に隠れて消えた。
「なんか最近、飛族よく見かけるね〜。嬉しいな〜♪」
「………………」
「ン?どしたの?ゼルス」
「……ん〜……」
 少年が消えた木々を見つめたまま動かないゼルスを見て、キルアは首を傾げている。そういえば、無意識だが少年がいる間は一言も発言しなかった。そのせいもあるのか。

 ゼルスは判断に迷うように、アゴに手を当て少しだけ唸ってから、ぴっと人差し指を立てた。
「抜き打ちテスト。ゼドが探してるのは?」
「へ?んーと……、………………あっ!?!」
「お、それだけでわかったか」
「む〜、ちゃんと覚えてるよ!!」
 テストなんぞ言ってから、やっぱりキルアにはわからないかもしれないと思った直後の反応だったので、ゼルスは思わず感心した。
 今の少年。——淡い極彩色の、『銀髪の鳥族』。
 ゼドが探している「銀髪の鳥族」という条件に完全に当てはまる。飛族は基本的に人里にはいないから、今の少年こそゼドが探している人物で間違いない。
 しかし……、
「うーん、悪いヒトには見えなかったけどなぁ〜」
「……確かに、外見はな」
 眉を寄せて腕を組むキルアの不可解そうな声に呼応して、ゼルスの脳裏にもさっきの笑顔が掠める。
 しかし、人は両面的な生き物だ。自分だってそうだし、キルアの腹黒だってそうだし、あの少年も人懐こい笑顔の裏は何を考えているか見透かせない。
 あの笑顔を信用する気など毛頭ないゼルスは、あの少年の顔を記憶することに忙しかった。
 見ると、キルアは、普段あまり使わない頭を精一杯、悩ませて、悩ませて、悩ませて………………結局、面倒臭くなったらしく放置に至ったようだ。
「まぁいーや!何か食べよ〜♪」
「……そーだな。アイツ、行っちまったし」
 本当にあの少年がゼドの探し人なのかと迷っているうちに少年は行ってしまったし、今回ばかりはゼルスもお手上げで、キルアの提案に乗った。ゼドに言われたのは、『見かけたら教えろ』ということだけで、『追え』とは言われていないし。

 ゼルスは民家レストランの前に立つキルアに歩み寄りながら、ガラっと戸を引く彼女の背に念を押して言った。
「ところでお前、ちゃんと金あるんだろーな?」
「ムッ、そーやってコドモ扱いするー!ちゃーんとあるもんねーだっ!待って、えーっとね……」
「……そーゆーとこがガキなんだっつの……」
 ムキになってハーフパンツのポケットに手を突っ込むキルアに、ゼルスは溜息とともに言葉を吐き出した。
 行動をともにするようになってから観察しているが、キルアは金銭感覚がかなり欠乏している。定期的に確認をとっておいた方が本人のためになりそうである。……何で俺がコイツの経理担当しなきゃならないんだ。
 ガサゴソとポケットの中身をあさっていた——そもそもあさる時点でおかしい——キルアの表情が、怪訝そうなそれに変わった。

「……ン?あれ?はれれ??」
 途端に困惑した表情で、キルアは両ポケットの内側の布を掴んで、ぐいっと外に引っ張り出す。傍から見るとマヌケな光景である。その動作だけを見て、ゼルスはすべてを……悟りたくなかったが、悟ってしまった。
 そして予想通り、キルアは泣きそうな顔でゼルスを見て。
「おサイフ、なぁい……」
「……つくづく、お前ってホント馬鹿だよな……」
「じゃあゼルスはどーなのっ!」
「お前と一緒にすんなよ……俺はちゃんとあるっての」
 意地になって返されたが、自分はキルアと違ってサイフを落としたりしない。面倒臭そうに、彼も腰につけているポーチをあさった。
「………………へ?」
「おっ?」
 考えもしなかった空虚な手応えに変な声が出た。キルアがなぜか嬉しそうな顔で見てくる。それを無視し、ガサゴソあさって……、
「……ンなぁ!? ねぇし!」
「ほーらね!ゼルスもおんなじだよ〜!」
「って突っ込むトコはそこじゃねぇっつの!二人同時にサイフだけなくなるなんか有り得るわけねぇだろ!」
「ココに有り得てるよ?」
「こんな時だけ小賢しく返答すんな!!」
 ついさっき、レストランに駆け寄る前までは確かにあった。この目で確認したから間違いない。
 ということは、その後に盗られたとしか考えられない。そして容疑者は一人しかいない。
「アイツ……真正面からお前の石頭食らったのに、サイフ盗る余裕あったのかよ……侮れねぇ……」
「うーん……でもホントに、悪いヒトには見えなかったんだけどなぁ〜」
「かなり高度な技術持ってんな。お前はともかく、俺はここに入れてんのに……」
 自分のポーチを軽く叩きながら、ゼルスが嘆息混じりに言う。ポーチの開口部は蓋で覆われボタン1つで留まっていて、左右に分断されている。ゼルスのサイフはこの分断された開口部よりは大きいので、いったんボタンを外さなければ取り出せないはずなのだが。
 釈然としない思いを持て余すゼルスの髪を、突風がばさりと煽る。
 なぜ、全然気付かなかったのだろう。ポーチに触られただけで気付いてもよさそうだ。
 それなのに、サイフはポーチの中から消えてしまった。まるで——手品のように。





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 彼は、上機嫌だった。

(やー、初めてやったけど、意外とチョロイもんやなぁ〜)
 弾む心を体現するように、軽快にステップを踏んで進む足。均しただけの土の道を行く後ろ姿には、背中に白い羽がくっついている。
 飛族の二人からサイフをスり、彼らの前からさっさと姿を消した鳥族の少年は、口元を緩ませた。パステルカラーに変化する彩色の銀髪が、決して優しくはない風に掻き乱される。
 少年は、遠くに飛び去ったように見せかけて、実は、同じライヴェール内にいた。防風林があちこちに生えている町だし、身を隠す場所はいくらでもある。
 風の強い町だから人通りは他の町より少ないが、道行く人がいないわけではない。通り過ぎる人々が、飛族である少年に物珍しげに視線を送るが、鳥族の彼——セウルは、浮かれていてまったく気付けていなかった。彼の周囲は、彼自身から溢れ出る、キラキラ輝くわくわくエネルギーにすっかり覆われていた。

 るんたったと進んでいた両足が、とある家の石垣の前で止まった。そこの石垣に立つ看板には、写実的な絵が貼ってあった。白黒写真を元に着色された絵だ。
 機械大国カルファードでは、写真の技術が少しずつ確立してきている。まだ影を焼き付ける程度で白黒でしか表現できないが、将来的には色さえも表現したいと技術者たちは考えているようだ。
 なんて言う深いことは知らず、少年は民宿のようなカフェの店頭でその写真に見入った。
 グラスの底に敷かれた小麦色のサクサクした生地の上に、冷たいだろう白いソフトクリームがのっている。そしてその天辺を飾る真っ赤なチェリーが、白と赤のコントラストを強調する。
 ドデカイパフェがキラキラ輝いている(※セウルビジョン)写真を見て、彼はにんまりと笑った。
(ま、コレ食ってからサイフ返せばえーやろ♪)
 セウルは、絶対そういう問題じゃないのだが、能天気にそう思った。
 窃盗ということはよくわかっていたが、自分は諸事情で通貨を持っていない。働いて稼ぐのが常套手段だが、あまり長期間、同じ場所には滞在したくなかった。
 というわけで、盗った方が一番手っ取り早かったのだ。盗られたことに気付けなかった方が悪い、うん。我ながら、初めてにしては素晴らしい手並み。

 さぁ、至福のひとときを。いざカフェへと踏み出しそうとしたら、不意にがしっと右肩を掴まれた。
 かと思えば、直後、その手のひらは物凄い力で少年の肩を鷲掴みにした。びっくりして右肩越しに相手を見ると、そこに満面の笑顔があった。
「ちょーーっといい〜??」
 黒髪の少女が、無邪気にニコニコしながら、ギリギリと強い力で肩を掴んでいた。
 何処かで見かけた顔だ。……と思ったら、彼女の後ろに白い羽が見えて。すぐに、さっき自分がサイフをスった一人だと理解した。
「腹減って機嫌悪いっぽいから抵抗しない方がいーぞ」
 その少女の後ろで茶髪の竜族の少年が、忠告なのか脅しなのかそう言ってきた。こちらもまた険悪なオーラを出しているから、多分脅しだろう。
 さっき自分がサイフを窃盗した相手二人を前に、セウルは悪びれる様子もなく、ただ目を瞬いた。

     ◆

 あの後、生活の糧が詰まっていると言っても過言ではないサイフを盗られたゼルスとキルアは、血眼で白い羽を探した。
 いや、正しくは、探そうとして高く飛び立とうとしたら、防風林越しに一本向こうの通りが見えて、そこにたまたま見つけたのだ。
 キルアに肩を掴まれた少年は、ズボンのポケットに手を突っ込んで不思議そうな顔をしている。この無自覚な態度が余計にイラっとする。そのポケットが膨らんでいるから、恐らくそこにサイフがある。
 かと思うと、鳥族の少年セウルは、楽しそうに笑った。
「ははは♪ 人違いやで?」
 自覚しているのかしていないのか、すっごく苦しい嘘を満面の笑みで言い、セウルは無造作に右手を振った。
 右半身を半分こちらに向けながら、手を上げて挨拶するような、何気ない動作。
 それだけで。あんなに彼の肩をがっしり掴んでいたキルアの手が、いつの間にか空気を掴んでいた。
「へっ……!?」
「鬼さんコチラやでっ!」
 キルアがびっくりして目を見開く。そうして呆然としている間に、セウルは完全に彼女の方に体を向けてから、楽しげに弾む声で言い捨て、地を蹴って垂直に飛び上がった。風の強い空に白い羽が踊る。
 やっと獲物を逃がしたと理解したキルアは、キッと上空の羽を見上げた。
「待てぇええ〜〜っ!!! ボクのおサイフーーッ!!」
「あ、おいキルア!そーやって相手の言葉にのると……って…………あー、行っちまった……」
 セウルを追いかけて自身も空に舞い上がったキルアの背中に、ゼルスがとっさに声をかけたが、すでに彼女には何も聞こえていないようだ。
 あっという間に遠ざかっていく白の双翼をだるそうに見上げて、ゼルスは面倒臭そうに嘆息した。それから、遅れて彼も地面から浮き上がった。





 一方、強い風の吹き渡る空中では。
「ボクのおサイフ〜〜!!」
「とれるモンならとってみぃ〜!」
 キルアが、笑いながら逃げ回るおサイフ(※セウル)を追いかけていた。
 キルアは、ゼルスにこそ敵わないが、彼についてこられるだけの俊敏さ、素早さは持っている。だがしかし、彼女とセウルとの距離は一向に縮まらない。
 ということは……この少年、キルアと同じくらいの速度を出しているというわけで。=それなりの実力を持っているというわけで。
 考えてみればすぐに理解できそうだが、やっぱりというかまるで気付かないキルアは、ただ「あーもーッ!!」と苛立った声を上げた。空腹で単純思考の短気になっている。
 キルアは、追いかけるのをやめた。その代わり、ぴっと自分の前に人差し指を出し、大気中から魔力を集めた指先を高速で動かしていく。
 狙うは、離れていく白い羽。
「んも〜〜怒ったッ!! 行くよっ!『天空龍の渦……」
「お!オマエ、魔法使うんか!風巻魔法はスッキリするでぇ♪」
 肩を怒らせたキルアが文字を書き始めたのを肩越しに見て、やや距離を置いたセウルは進むのをやめ、唐突にくるんっと彼女の方を向いた。
「ほんならうちもっ……『風の神の加護……」
 少年は笑顔のまま、左手を手前に差し出す。かと思えば、指揮棒を振るように人差し指を踊らせた。その先端に収束した魔力が、瞬く間に虹色の軌跡を描いていく。書かれたのは、キルアが書くのと同じ言語。
 まるで鏡同士のように手を動かす鳥族二人。

 二人が最後の文字を書き終わったのは同時だった。
 だが、発動はキルアの方が若干早い。
「セフィーナ』ッ!!」
 叫ぶと同時に、ばっと天へと手のひらをかざした。彼女の前に浮かぶ文字が、黄緑色に変化して消え失せる。キルアの意に応え、不可視の——キルアにはぼんやり見えているが——風の精霊達が、セウルを中心に渦を巻き始める。
 しかし、風の縄をまとってなお、彼は慌てることなく、ただニヤリと口元に笑みを浮かべた。ムッカついて頭の中を熱が這っているはずなのに、それに気付いたキルアは内心で首を傾げた。
 そしてセウルは、そのまま魔術を展開させる。
「レイス』っ!!」
 名唱の頭を聞いた時からわかっていたが、キルアの発動した風巻魔法と同じ属性の、疾風魔法だった。
 緑色に切り替わった光の文字が消え、今にも竜巻に呑み込まれそうなセウルの周囲に幾重にも風の刃が生まれる。その刃はキルアに向かわせるわけでもなく、四方八方あらぬ方向に解き放たれた。
 セウルを縛ろうとしていた風巻魔法の帯に、疾風魔法が食らいつく。轟々と流れる激流に、器に掬った水をかけるような、些細な抵抗。
 かと思われたそれは、予想外の事態を引き起こした。

 パァンッ!!!

 鼓膜をつんざいた破裂音。
 細かな魔力の光の残滓とともに。風船が割れるように、一瞬の暴風をまとって風の帯が弾けた。





「ひゃぁあっ!?」
「……は?」
 反動で吹き荒れた突風。とっさに腕で顔を防いでから、術者のキルアも、彼女の後ろに追いついたゼルスも、思わぬ展開に目を見開いていた。
 ただ一人、この事態を引き起こしたセウルだけが楽しそうに笑う。
「やっぱ知らんのな!同属性で同程度の魔法がぶつかり合うと、精霊同士がぶつかって、びっくりして散るっちゅーこと」
「へ!? そ、そんなの知らないよぉ〜!」
「初耳だ……」
 有り得ないというふうに、ブンブン首を振るキルア。ゼルスも初めて聞いた話だが、目の前で起きては認めるしかない。そもそも魔術師のキルアが知らないのはおかしい。こいつ本当に二流じゃないのか。
 ——つまり。
 キルアが従えた風の精霊達と、セウルが従えた同じ風属性の精霊達がぶつかりあった。相手が同属性だったからお互いに戸惑って、どちらも統制を乱してしまい、そして魔法を構成しきれず、四方八方に散った……わけだ。魔法は、精霊達の統制がなっていなければ成立しない。
「ひゃひゃひゃっ、そらそーやろな!属性の相剋はハッキリしとるし、わざわざ同属性使おーと思わへんやろ。けど使いどころによっちゃ、コッチの方が楽だったりするんやで!」
 キルアの驚き具合が気に入ったのか、すいっと空中を滑って近付いてきて、嬉しそうに解説してくる銀髪の鳥族。屈託ない笑顔が嘘臭くて、でも本心からのようで、不思議な矛盾を内包している少年だ。

「ふーんオマエ、結構な使い手やなぁ。ほんなら今度はコッチから行こか?」
 ポカンとしているキルアを見て、セウルは陽気な口調で言うと、さささっと文字を書いて、にやっと笑った。
「お返しや☆ 『天空龍の渦、セフィーナ』!」
 先ほどキルアによって起こされた風巻魔法が、今度は少年の手によって引き起こされる。キルアを拘束するように、風がとぐろを巻き始める。
 頭が少し冷えた様子のキルアも慌てて筆記し、応戦する。
「『風の神の加護、レイス』!!」
 先刻のセウルの対応をまねて、同属性の魔法を発動させる。さっきと立場が逆だ。
 指令を受けた風の精霊が不可視の鋭い刃を形成する。キルアの回りから放たれたそれらは、彼女を捕らえようとしている竜巻に爪を立てる。

 風の刃を受けた竜巻が、不安定にぐらりと揺れる。
 ——揺れただけだった。
 天空龍の渦は、やや勢いを削がれたくらいで、先刻のように弾けることなく風を唸らせている。
「えぇええええなんでーーー!!?!」
「ひゃっひゃっひゃー♪ ほれほれ〜風に呑まれてしまうで〜!」
「うそつきー!!! こーなったらぁ〜!『爆砕猛火、エストール』!!」
 ヤケになって、さっきの数倍の速度で筆記したキルアが発動させたのは、火炎魔法の上級派生、爆砕魔法だった。
 四大属性には、相克関係がある。水は雷に弱く火に強い、雷は風に弱く水に強いなどだ。基本的に、精霊を使役する者や魔術師は、この相克関係を念頭に据えて使用する術を選ぶ。だが、相手の技量が相克さえ超越するようであったなら、この限りではない。
 そして今、風は火に弱い。猛狂う風の煽りを受け、さらに燃え上がる紅蓮の業火が大気を灼くのだ。

 術者が指定した場所に熱を凝縮させ、小規模の爆発を起こす爆砕魔法。爆発の規模は、術者の能力と意思を掛け合わせて弾き出される。
 キルアの手前に生まれた紅の光球は、人の頭ほどの大きさから一気に、全方向に熱線を放出してキルア自身をも呑み込むほどに膨張する。魔法は、術者の意思が反映されたものである以上、術者を傷つけることはない。
 小規模の太陽のような白い熱球が、周囲の風巻魔法を喰い荒らす。表面を叩く風さえ自分の味方にして、さらに火を噴く。地上から見たら、二つ目の太陽が現れたかと思われるくらいの熱量だった。



「ふんふん、相克で対消滅な。それがえーとこやな」
 火花を散らしながらしぼんで行った太陽を見ながら、セウルは頷きながら言っていた。悪びれる様子もなく、器用にも空中でイスに座っているかのようなポーズをとって、からからと笑う。
 一方、大変な目に遭ったキルアは肩を怒らせ、先ほどの不可解な事象について情報源である彼にすかさず喰らいついた。
「ねぇねぇ!! どーしてボクがやったら精霊さん散らなかったの!? なんでキミがやった時はできたのッ!?!」
「ひゃははっ、さっきちゃんと言ったでぇ?」
「へ?」
「しかしオマエ、爆砕魔法も知っとるんか。粗が目立つからまだ覚えたてやろ。ちゅーことは、めっずらしいな〜、派生魔法教えられるよーな魔術師が他におったんか。そらアイサツせんとな!何処で会ったんや?」
「え?えと、リギストのイールスで、エルフの女の子に教えてもらったよ!」
「ほほーう、あの伝承大好き国家やな。ほんならウチはリギストに行こかな〜♪」
 無防備に答えてしまったキルアに片手を上げて挨拶するなり、セウルはくるっと方向転換して彼女に背を向け、飛び立……とうとした。
 凍てつくような怒気を秘めた青の双眸が、彼を凍らせていた。
「動くな盗っ人。キルア、お前もあっさりペースに巻き込まれてんじゃねぇよ」
 二人が魔法でドンパチやっている間にセウルの背後に回り込んでいたゼルスが、弓に矢を構えて立ちはだかっていた。機嫌が悪いらしく、何処となく眉の角度が急だ。
 ゼルスに言われたキルアが、キリッと表情を引き締めて、いつでも放てるように魔法の筆記に入る。

 正面には、類稀なる弓のエキスパート。
 背後には、一流の天才魔術師(自称)。

「……はははは〜……♪」
 今度こそ、セウルは渇いた笑いをして、ゆっくり両手を上げた。——無抵抗の意。
 二人のランチを邪魔し、二人を引っ掻き回したサイフ泥棒は、ようやく御用となった。





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 まるで誰も踏み入ったことがない雪山のように、まっさらな白い頂に輝くチェリー。
 その輝きに見惚れていると、視界の外から入り込んできた白い手がそれをひょいと摘み上げる。つられるまま視線を動かしていくと、赤く熟した実は暗い空洞の中にぱくっと消えた。
「ああぁ〜〜っ……!! ウチの木の実……」
 なぜかイスにぐるぐると縄で縛りつけられているセウルが、輝きを失って名残惜しそうな声を出す。その声に織り交ぜられている深い落胆を感じ取り、さくらんぼを食べた犯人が困った顔をした。
「うーん……ね、食べさせちゃダメ?」
 キルアが食しているのは、セウルが狙っていたあのパフェだった。それを、これ見よがしに本人の前で食べている。キルアが食べたかったのもあるが、大半がわざとだ。
 丸いテーブルに座るキルアの左側にはゼルスが座っており、キルアの正面にセウルがいる。ちなみにキルアの右手側、つまりゼルスの正面にはグラスの盛られたパフェが3つほど並んでいる。全部キルア用だ。
 左側にいるセウルを一瞥し、ゼルスは紅茶のカップを片手に「ダメ」と即答した。
「餌付けしたら付きまとわれるぞ」
「それも困るけど〜……なんかカワイソウだよぉ〜」
「なら残したら?」
「む……うーん」
 ぱくぱくとパフェを食べていくキルアにゼルスが呆れた声で言うと、キルアは悩み込んでしまった。どうやらおいしすぎて、あげたくないらしい。態度は正直で、瞬く間にパフェが減っていく。言葉とは裏腹に、残す気はサラサラないようだ。

 少年が行こうとしていたカフェだ。屋根が低い外見の通り天井はやや低いが、その代わり室内には壁や戸がほとんどないので開放感がある。強い風も、周囲を取り巻く石垣にぶつかった時に威力を弱められ、店内に入ってくる頃には頬を撫でるくらいの優しい風になっていた。
 温かな家庭的な雰囲気の店内には、それに見合うような、穏やかに談笑する客達がいた。中にはこちらを珍しそうに見てくる客もいたが、それはもう慣れたものだ。
 当初、キルアが目指した食堂とは違うが、ゼルスとキルアはそこで悠々と彼の前で昼食をとり、その食後に現在ゼルスは紅茶、キルアはパフェを食べている。

 砂糖を入れて一口飲み、それからその淡い褐色の水面をもう一度見て、そこに映る自分を見てから、ゼルスは顔を上げた。
「……で。お前は、このパフェが食いたくて、サイフをスったと」
「おっ、やっとウチの話になったなぁ〜。はは♪ いやぁ、相手間違ったわ。気付かれてしもーた。スマンスマン」
「そーゆー問題じゃねぇだろ……おい、お前……セウルっつったっけ。お前、何か前科でもあんのか?」
「前科?ふむう、そーやなぁ。オマエらからサイフスったことやな」
「…………へぇ」
「うっわ冷た!ウチはそんな悪人面に見えるんか〜?さっきのオマエらの方がよっぽどやで?いたいけな少年イジメるなんてヒドイで〜」
「誰がいたいけな少年だって……?」
 宝石の煌きのように色彩を変える銀髪を揺らして、セウルは笑いながらさり気なく喧嘩を売ってくる。確かに、一人の少年を高圧的に見据える同世代二人という構図はイジメ以外の何でもない。同種族だし余計に。
 ゼルスは紅茶を飲んで嘆息した。なぜセウルがゼドに追われているのかを暗に探ろうとしたのだが、掴みどころのない性格の奴に婉曲な問いを投げても拾うわけがない。キルアならコイツに主導権を握られて、話を逸らされたことにも気付かないだろう。

 直球で聞くということは、相手に手札を晒すようなものだ。まさかゼドに頼まれたなどと言えない。
 追いかけられているところを見かけた、というのも無理があるだろう。追っ手のゼドがあの通り、視認できないはずなのだから。
 そのゼドから、目の前の少年が今まで逃げ切れているという事実が不可思議でならない。見たところ、身体能力などは自分達と大差ないのに、だ。
 不可解なことは気になるものだ。ゼルスは何か聞き出せないかとしばし考え込んだが、すぐに諦めた。そもそも、自分達が関わるべき領域ではない。
 自分達がすべきことは、別にある。

「……おいセウル。お前、カルファードの伝承知ってるか?」
 そう思って、自分達がカルファードに来た理由を思い出したゼルスは、あてになるのかわからないが、まずは目の前の少年に聞いてみた。
 何気ない口調で聞いた途端、これまで笑顔の絶えなかったセウルが、キョトンと目を丸くした。やがて、突然噴き出して、大層おかしそうに大声で笑い出した。周囲の目がこちらに向くのがわかった。
「ひゃはははっ!! なんやオマエら、伝承なんか調べとるんか?物好きやなぁ〜!」
「ちょっといろいろあってな……」
「ほぉー?知っとるには知っとるけど、やっぱこーゆーのは、自分で調べた方がえーで?」
「……ムカつくほど正論だ……」
「ははっ♪ お楽しみは後やな!」
 そうだ。百聞は一見にしかず。人の話を聞くより、文献を頼りにした方が正確だ。
 このライヴェールで、そういうものを取り扱っていそうな場所……見た限り、民家や飲食店ばかりだったが、街の片隅に図書館とかあるんだろうか。
 とか思っていたら、思考を見透かしたようにセウルが口を挟んできた。
「あ、先言っとくと、ココ、リギストに近いやろ?せやから、ココはカルファードの伝承より、リギストのモンが主やで。やっぱ正規の情報がほしいなら、中央に行かな〜」
「……つーことは、帝都に行くしかないと?」
「そゆこと♪」
 縄で縛られつつも笑顔で言うセウルとは反対に、ゼルスは自分の顔がげっそりしているのがわかった。
 ここライヴェールから、カルファード帝都レイゼークまで……長い。長い。たかが伝承1つのために、そんな長い道のりを行けと?
「ぷはぁ〜っ、パフェおいしかった!ン?ゼルス、どーかしたの??」
「……幸せだなーお前……」
「うぉあっ!ぱ、パフェ消えたぁぁ……」
 パフェを食べることに忙しくて話を聞いていなかった様子のキルアは、完食し幸せそうな笑みで首を傾げる。やはりと言うか、4つあったグラスは食べ残しなく綺麗にすべて空になっていた。
 ゼルスはそうとしか言えなかった。セウルが嘆く声も耳に入っていない。うん、何も知らないってすばらしい。

「仕方ねぇ、レイゼークに行くか……はぁ……旅行だと思えばいーか……」
「ふえ?レイゼークに行くのっ?やった〜☆ レイゼークのお菓子っておいしーんだよ!ルプエナはご飯おいしくて、リギストはジュースがおいしーの♪」
「ホントにそーゆーことしか頭にねぇんだな、お前……」
 鉛のように重い呆れた息を吐き出したが、しかしこの空飛ぶグルメマップが実際に役に立っているから腹立たしい。向かった先々で食事をする際、キルアが真っ先にどこどこのご飯がおいしいだの紅茶がおいしいだの言ってきて、うるさいから仕方なく行ってみると本当においしかったりするから腹立たしい。
 ただしその情報も、各国の首都と周辺くらいしか網羅していないらしく、こういう小さな町は範疇外だ。恐らくこれから、脳内のグルメマップに書き加えられていくのだろう。

 自分のカップも空になったところだった。満足げな顔で席を立つキルアに続き、ゼルスもカップを置いて立ち上がる。セウルは……縄で縛りつけてあるから立てない。
 片手でポーチの中をかき混ぜてセウルから奪い返したサイフを探しつつ、そろそろ縄を解いてやろうかと、囚われの少年を一瞥した。
 何処かおかしそうに笑う暗紫色の光と、目が合った。

「オマエら、魔王ってどう思う?」
「……いきなりかよ?」
「伝承調べとるっちゅーから、ついでに質問や。何個見たか知らへんけど、何処の伝承も魔王は悪者扱いや。何でやと思う?」
「へ?だって…………あれ?」
 縛られてイスについたままのセウルを見て、キルアは何を今更とテンポ良く返答しかけ、ふと首をひねった。
 ——キルアも気付いたようだ。『魔王は、悪者ではない』ことに。
 両手が後ろに回っている状態のセウルは、そのまま背もたれに寄りかかり、束縛されているとは思えないほどくつろいだ態度で語る。
「魔王は、ルプエナやと人、リギストやと神に追われとる。けど、どっちも魔王自身が何かしたワケやない。っちゅーことは、魔王は、少なくともみんなが思とる悪の大王みたいな奴やない」
「いつか征服してやるーふはははは!!ってヒトだったんじゃないの〜?」
「ひゃははっ、何やねんそれ!さてなぁ、どーやろね。まず、『魔王』っちゅー呼び方が間違ってるんやろ。モロ悪役って感じで先入観ミスりそーやないか?正しくは『闇の支配者』や。あ、コレはカルファードの伝承な」
「………………」
「何もしてへん奴追い回して、人も神も、どっちが『魔王』だか」

 ……なるほど。
 セウルの言葉は一理ある。思い返せば、伝承には、魔王が魔王たる所以がないのだ。すっかり「魔王」という呼称に慣れていたから、気付けなかった側面だった。
 その呼称を難なく受け入れてしまったのは、恐らくドゥルーグが司る「闇」というものに関係があるのだろう。
 太陽の光降り注ぐ大地の上で生きてきたもの達は、太陽がいない夜闇が怖いのだ。その黒に閉ざされてしまったものが見えぬことが、光に照らされて伸びた黒い影が、未知なるものが怖いのだ。
 理解が及ばぬ「闇」を、人間は本能的に拒絶する。己の心の内に同じ種類のものを抱いていたとしても、その眷属(けんぞく)とは夢にも思わずに。いや、眷属だと気付いているからこその同族嫌悪か。
 だからこそ、伝承上でも「闇」は除け者にされる。
 ——それはともかく。

「……セウル。お前それ、自分で考えた結果?」
「ん、せやけど?」
 理論は筋が通っていて納得させられるものだったが、それと同時に覚えていた不可解な、疑問とも言えぬ疑問がついて回る。
 神学者なら伝承について考察するかもしれない。だが彼は、どう見ても神学者には見えない。
 世では、一般的に神が崇められている。皆が神の立場を尊重する。皆が神を擁護し、魔王の立場に立って考えることをしない。
 世の中には、魔王の視点が欠けている。
「なんか……まるで」
「『魔王の立場みたいな感じや』?」
「……っ」
 もやもやと頭の中で像を結ばなかった思いに、その言葉がはっきりと形を与えた。
 目の前の少年から発せられた一言。思考を読まれたような不快な感覚に、ぞっとした。
 ——彼は、笑っていた。伏せ目の笑顔。……嘲笑?

「……せやろなぁ。きっと同じよーなモンにしかわからへんのやろ。光ある世界が当然やと思とるよーなヤツらには、絶対に見えへん部分なんや。同じよーに、闇側のヤツらには光側の気持ちはわからへん。境界ははっきりしとる。絶対に、交わることはあらへんのや」

 鼓膜を這うような、陰鬱な声。
 さっきまでの飄々とした雰囲気は、もはや微塵も残っていなかった。
 彼から放たれる、息苦しいほどの存在感。
 深淵の闇を覗き込み、逆に、そこに鎮座する闇に見据えられたようなこの感覚は——畏怖だ。

14










「ま、しゃーないコトやけどな!世の中には、こーんなヘンなこと言うヤツもおるんやで〜」

 破顔一笑。
 セウルが満面の笑みでそう言った途端、空気から質量が消え失せた。無意識に緊張していた体から負荷が消え、今までの反動で脱力する。体が前に傾ぎそうになるのをテーブルを押さえて止め、ゼルスは努めて平静に言った。
「さ……さんきゅ。面白い意見だった……」
「イイってコトや♪ キルアも、どやった?」
 同じく固まっていたキルアに、セウルが明るく話しかける。まだ硬直したままの彼女は、びくっと肩を震わせてから、泣きそうな顔で小さく頷いた。それが精一杯のようだった。
 二人のその様子に気付いているのかいないのか。セウルは悠長に『伸びをして』、無邪気な笑顔のまま立ち上がった。
「ほな、ウチもう行くわ。久々に楽しかったで!」
 おもむろに直立したセウルの体から、ぱらっと何かが落ちた。釣られて目線を向けると、少年の足元に輪を作ったのは、彼を縛りつけていたはずの縄だった。
「そんやーな〜!」
 絶句する二人を置いて、セウルはくるんっと背を向けて店を飛び出し、後ろ向きに飛びながら手を振る余裕さえ見せて空へ羽ばたいていった。
 気が緩んでいるところに重圧を当てられたと思ったら、いきなり軽くなったりしてすぐに体が対応できず、力が入らなくて、二人が追ってこられないだろうということも、恐らく計算済みで。
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