第9話  理解の不理解

 世の中には、人の数だけ独自の思考や信条がある。それはわかる。
 その中で普遍的な共通認識が常識と呼ばれるもので、誰しもが少しは納得するものだ。
 それをブチ壊した者は、最初は異端だと見なされ、徐々に先駆者と尊敬されるようになるから不思議なものだ。
 ——しかし今。ゼルスは尊敬など毛ほどもしたくなかった。

「……おかしいだろ……」
 目の前にある何の変哲もない木製のドアを見て、ゼルスが呟く。その低い声は、不服そうな響きを持っていた。
 ひとまず、横にいたヘルメアの男をギッと睨む。事情不明の怒りの矛先を向けられた男は、「は、はい!?」と身を縮こまらせた。傍には首を傾げているキルアがいる。
 ゼルスは、怯んでいる男の前でびしっ!とドアを指差し、
「盗賊のアジトっていったら、洞窟か山ん中か森ん中にある小屋だろ!! 何で一軒家持ってんだよ盗賊が!しかも街中だし!」
「あぁ〜!! だから変な感じしたんだ!だよね〜!こんなトコにアジトあったら、R.A.Tに依頼来て退治されちゃうよね〜!」
「……なんか珍しくまともなこと言ってる……」
「えっへん!」
「威張るとこじゃねぇ!お前馬鹿にされてんだぞ!? 嘘臭ぇ……」
 疑いの眼差しでジロジロ一軒家を見るゼルス。周囲の木造の家と何ら変わりない佇まい。窓に目張りさえもない。この自然すぎる格好が、逆に皆の目を出し抜いてきたのかもしれない。
 とか思っていたら、キルアが難しそうな顔をしてひどいことを言ってきた。
「え〜ゼルス、いっつもそーゆーふうに疑ってるの〜?それって〜、オトモダチなくすんじゃない?」
「だああほっとけ!! 余計なお世話だっ!! そーゆー性格なんだっつーの!大体、ダチなんか二人くらいで十分なんだよ!」
「えっ、ゼルス、オトモダチいたの?! しかも二人!」
「……あああもうぶん殴りてぇええ……」
 あからさまに「うそ?」ってな顔をするキルア。思わず力のこもる右手を緩めようと頑張りつつ、最近のストレス源は絶対、この地からムッカつく性格してる鳥族だろうとゼルスは思った。
 元々他人不信なので、この程度の疑りはゼルスにとっては当然である。そんな彼がひとまず相手を信じる基準にしているのが常識と理屈というヤツなわけで、つまり常識破りと理屈に合わないことをされると逆に疑ってしまう。

 そんなわけで、世の中には理解しがたいものというものは、わんさかあるわけだが。
 盗賊は、洞窟やら山やら森やら、とにかく人目につきにくいところにアジトを構えることが多い。そんな中、の人の多い街中にアジトを構えていたヘルメアは、実は最先端の盗賊なのか。尊敬に値するのか。いや、したくない。断じて。



 ザインを除いて五人いたヘルメアのメンバーは、今この場にいない。他の連中は、のされたザインを運んでいて歩く速さが遅く、とてもじゃないが付き合っていられなかったので、先にこの男一人にアジトに案内してもらったところだ。それが同じ街の中だったから衝撃的だった。
「……まぁいーか。キルア、入るぞ」
 家の中の気配を探ってみたが、特に何も感じられない。さっきのレストランには、全員が出払っていたようだ。
 何か罠があったとしても大体は対応できるだろうと思って、ゼルスはドアノブに手をかけた。ぱたぱたとキルアが駆け足で彼の後ろに並ぶ。
「中、どーなってるのかな〜っ♪」
「盗賊んちだからな。金品ゴロゴロじゃねぇ?」
「ホント!? キレイなの1個くらいもらってもいーよね!」
「って、お前なぁ……盗賊の仲間入りじゃねーか」
 これから人付き合いを断っている謎の人物に会うというのに、緊張感のない会話をしながらドアを引く。
 ドアの向こうに広がった部屋の中は……金品ゴロゴロでもなく、埃まみれでもなく、脱ぎ散らかした服だらけでもなく、最低限の家具のみでガランとしていた。というか、異常に綺麗だった。棚の中の食器は整理されているわ、正面にある食卓の上には調味料しかのってないわ。掃除もされているらしく、埃も見当たらないし水道管もキラキラしている。
 余計に胡散臭そうな顔になったゼルスは、思わず一言。
「……掃除当番誰だよ」
「当番制はないですよ。掃除好きが勝手にやってるんです。俺ですけど」
「お前かー!!!」
 明らかに盗賊の家じゃない。それ以前に、ここはたくさんの男が住んでるむさい場所のはずだ。爽やかすぎる。
 背後で「あ、ボクもおそーじ好きだよ!楽しいよね♪」「そうそう!いやぁ、掃除こそ美の集大成っすよね!」とか意気投合している二人はさておき、ゼルスは左側の部屋の奥にドアを見つけた。
 向こう側から、妙な気配が漂ってくるそのドア。さっき玄関ごしには感じ取れなかった、微弱で特徴のある気配。
「……あそこ、か」
「うん、なんか不思議な感じするし〜。何て言うか〜……『何もない』?」
「はぁ?矛盾してるぞ」
「ボクもよくわかんないよー」
 とにかく、一応天才のキルアも興味深そうにドアを見つめているし間違いないだろう。
 ゼルスはベルトにくくりつけてある弓に触れ、気を引き締めた。お相手はケテルフィール侯爵家の元ボディガード。戦うつもりはないが、何かあった場合はやむを得ない。

「よし、名もなき男、さんきゅー。もう下がっていいぞ」
「俺にはジャックって名前がちゃんとあるっすよ!!」
「あーはいはいジャック下がっていいぞ」
 ドアに近付きながらジャックというらしい男をテキトウにあしらうと、ジャックは不満そうな顔をして立ち去った。バタンと玄関のドアが閉まり、外の遠い喧騒も遮断され、部屋には静寂が残る。
 セルリアがいるだろう部屋の目の前にいるのに、キルアは声量を押さえずに言った。彼女も気付いているだろう、ドアの向こうの人物はすでに気配で自分たちを察知していると。
「どーゆーヒトなのかなぁ〜?」
「結構静かな奴みたいだけど?」
「うわぁ……じゃー、ゼルスがもう一人増える〜」
「あからさまに嫌そうに言うな……」
 ゼルスがはぁと溜息を吐いて、ドアを開き……二人同時に、目を丸くした。



「何……だ?」
「へ……??」
 ドアを開いた先には、普通なら部屋がある。しかし今、その自信がなかった。
 部屋の中は、真っ暗だった。むしろ真っ黒と書いた方がしっくり来るほどの暗さだ。一瞬、このドアが壁についたダミーで、そこの壁が真っ黒に塗り潰されているのかと思った。念のため、すっと手を伸ばしてみるが壁に当たるような感覚はない。

「……誰だ?」

 すると……まるで闇が鎮座しているようなその部屋の奥から、声がした。若い、男の声だ。
 二人は顔を見合わせてから、少し辺りに気をつけながら部屋の中に入った。バタンとドアを閉めると、部屋の中はさらに黒さを増した。
 人の気配は……確かに、する。だが、ある程度暗がりに慣れてきたゼルスの鷹目でもその姿が見つけられなかった。
 とりあえず正面を見て、ゼルスは聞いた。
「あんたがセルリアか?」
「……そうだ。男達を脅してきたか」
「何で真っ暗なのー?お日様入れよーよ〜」
「まだ僕の問いに答えていない。お前たちは何者だ?」
「うわっ!」
「ひゃ!」
 男の声がそう言った途端、真っ暗な世界が突如白く塗り潰された。闇に慣れようとしていたところだった目には痛すぎたその光に、二人が顔を背ける。
 少しして明順応が済んでから、暗闇だった部屋の中をもう一度見ると。ドアの正面に窓があり、それを覆っていたらしいシェードを上げている人影。
 青空のように蒼い髪に、何処となく警戒した紫の双眸。ラクスからもらった似顔絵そっくりの青年が、そこにいた。



 ……ごくりと、ゼルスは唾を呑んでいた。
 無意識のうちに、手が弓に伸びて身構えていた。静かな紫の瞳が、そんなゼルスを映している。

 何というか——無だ。その存在感は、まるで闇のような深いもので。さっきキルアが何気なく言った「何もない」というのが、よく理解できるほどに。
 窓を覆っていたカーテンだけで光が遮り切れるわけがない。この男の放つ妙な空気が、すべてを暗く見せていたようだ。
 セルリアの、腰に下げた剣の柄に触れる左手。その立ち姿だけで、予想以上の強者だとわかった。

「飛族が何の用だ?なぜここにいる?」
 セルリアは、警戒心も露な刃のように鋭い声で言った。ちょっとでも妙なことをしたら切り捨てると、言外に殺気とともに含んで。
 長い経験上、殺気を感じたら反射的に臨戦態勢になるようになっている。だからゼルスは一度だけ、ゆっくり深呼吸して体を落ち着かせた。そう、今は戦いに来たわけじゃないのだ。人間関係を断っているセルリアが、訪ねてくる者を警戒するのは当然だ。
 身の警戒を解き、相手に無抵抗の意を示す。それからなるべく、この静かな空気には不釣合いな、いつもの声音で言った。
「……ンな警戒しなくても、こっちから仕掛ける気なんかサラサラねぇよ。引きこもってるとこ悪いけど、話をしに来た。あんたが話の通じる相手だと助かるんだけど?」
「今後のために忠告しておこう。無自覚の毒舌は敵を多く作るぞ」
「……性分なんだ、ほっとけ。人付き合い断ってるとこ悪いけど、話がしたい……で、いーかよ」
 憎まれ口は呼吸をすることくらい自然にしているから、直しようがないのだ。ゼルスが少し言い直すと、セルリアは意外だったのか、ふっと笑んだ。
「いいだろう、座れ。僕と部屋を一緒にする度胸があるのならな」
「ありありだから座るぞ」
「ええ〜〜っ、ボクはないよぉ〜!」
「なら立ってれば?」
「うん、そうする〜」
「って、あのなぁ……」
「……なくてもいいから座れ」
 冗談混じりで言ってみたゼルスの言葉を鵜呑みしたキルアに、警戒していたセルリアさえも呆れて、肩の力を抜きながらそう言った。キルアのおかげで空気が和んだのを見て、コイツ何気に使える……とキルアの上手い使い道を発見したり。

 全員が思い思いの体勢で床に座ったところで、背筋を伸ばしてあぐらで座るセルリアに、正座のキルアがはーいっと手を上げた。
「ボク、キルア!コッチのむっつり君がゼルスだよ!」
「だーれがむっつりだッ、このガキが!!」
「ガキって何〜〜ッ!?」
「……いいから進めろ……」
 本題に入る前から早速脱線し始める二人に、セルリアは溜息を吐くしかなかった。
 しかしこれで、こちらのペースに引き込めた。ちょっとラッキーと思ったゼルスは、世間話をするような軽い口調で言った。

「お前、レナって知ってるよな?」



 ——直後。
 セルリアのまとう空気がガラリと変わった。さっきよりも敏感に、こちらが微動した瞬間、切りかかってきそうな。
 それを感じ取ったキルアが、ぎょっとするのがわかった。ゼルスも、気負けしないように奥歯を噛む。直前の空気が嘘だったかのような険悪な空気になってしまって、少ししくったな……と後悔する。
 こんな空気では、ケテルフィール侯爵家に戻ってくれなんて言えない。まぁ彼には聞きたいことが他にもあったし、その中のひとつを別の話題として振った。
「レナが持ってるペンダント、あるだろ。あれについて、何かパクられるような心当たりない?」
「……奪われたのか」
「あぁ。で、理由探して三千里ってとこだ」
 できるだけ刺激しないような悠長な口調でゼルスが問うと、セルリアは低く、何かを押し殺したような声で一言言った。
 なぜ、シドゥが奇襲をかけてまであのペンダントを欲したのか。その理由は皆目見当がつかない。自分達が取り返すものについてくらい知っておいた方が無難だ。
 隣では、キルアが驚いたように目を大きく開いて、ゼルスとセルリアを見比べていた。恐らく、違う話題を振ったゼルスを訝しがっているのだろう。しかし、どうやらこの空気が怖くて何も喋れないらしい。

 セルリアは、その紫の瞳を憂えるように伏せ、沈思してから口を開いた。
「……あれは元々、僕の主人のものだ」
「主人……って、ノスティノのじーさんじゃなく?」
「あぁ」
「つまり、お前は二人の主人がいたわけか」
「そういうことだ」
 セルリアは喋ることで少し落ち着いてきたのか、いくらか雰囲気が和らいだ。一緒に話を聞いていたムードメーカーのキルアが、難しい顔をして首を傾げてやってくれた。
「うー……?ノスティノのおじちゃんが二人ってこと?」
「………………」
「馬鹿は無視しとけ」
「そうしよう」
「ええぇえーッ!!? ちゃんと説明してよぉ〜!!」
 思わず黙り込んだセルリアに、ゼルスが慣れたような涼しい声でアドバイス。ゼルスの隣で、キルアが殺人的な音量で、悲鳴……のように聞こえる大声を上げた。
 どうやらキルアには、張り詰めた糸を緩ませる作用があるらしい。恐らく自分とセルリアだけだったら、始終さっきのような空気だっただろう。意外とキルアの存在は大きかった。

「主人は、あのペンダントをなくした。僕はそれを探しに出て……ケテルフィール侯爵家の領地内にあると、突き止めた」
「ふーん……主人がケテルフィールの領地に入った理由と、場所がわかる理由が謎だけど」
「それは……まぁ、いいだろう。領地内に勝手に入って回収してもよかったが、万一、防犯システムに引っかかったりしたら面倒になる。厄介事は避けたかった。……それで僕は、ケテルフィール侯爵家のボディガードになることを思いついた」
 その家の所属になれば、その家の土地を胸を張って歩ける。広い領内を、ゆっくり見て探せる。そう考えて、セルリアはケテルフィール侯爵家の屋敷の門を叩いた。
 しかし……ボディガードの中で最年少であった彼が回されたのは、ノスティノの孫娘の傍だった。その少女との出会いが、すべてを狂わせた。

 ペンダントのためにここにやってきたセルリアにとって、他のことなんてどうでもよかった。そんな彼を、レナは心から友達だと思って—— 一見冷たそうな彼に、笑いかけた。
 それからだ。自分の覚悟というものが、揺らぎ始めたのは。
 ペンダントを探すことを、日に日に忘れていった。それは、剣を捧げた主人を忘れるも同じこと。
 そんな不安を抱きながらも、レナといる時に感じる、心が満たされるような感覚は不快じゃなかった。

 しかし——ついに、その日は来てしまった。

「レナ様と庭を歩いている時……僕は、ついに見つけてしまった。あのペンダントを」
「………………」
「屋敷からずっと離れたところ、まだノスティノ様が手もつけていないような未開の場所だった。誰も寄りつかないような、何もない平原。……そこに、半分、土に埋もれるようにして、あった」
 先に、レナがそれを拾い上げた。というより、セルリアは愕然として動けなかった。
 探していたペンダントが見つかった以上、自分は主人のもとへ、それを届けなければならなかった。——1年間過ごしたこの屋敷を、後にしなければならなかった。

 どうしたらいいのか、わからなかった。
 ついに見つけた主人のペンダント。レナと過ごした楽しい日々。
 片方だけを選ぶなんてできなくて——

「———僕は……どちらも捨てた」

 主人の元へ帰ることも、レナの隣にいることも、拒否した。
 早い話が逃げたのだ。自分が、二人に見えなくなる場所まで。

「それで今……盗賊の頭っていう楽な位置にいるわけ、か」
「アイツらが襲ってきたのを返り討ちにしたら、勝手に担がれただけだ。今は、これほどちょうどいい場所はないと思っているが。……質問には答えた。用事が済んだなら帰れ」
 ゼルスが納得したように言った言葉に、セルリアは少し訂正を入れ、素っ気無い口調で二人を追い出すように言う。もはや語ることは何もないと言わんばかりの拒絶。
 そんなに話し上手じゃないゼルスは、それ以上話を続けられずに黙り込んだ。自分達は、セルリアをレナの元に帰るように説得しに来たのに。
 どうすればいい——



「……ねェ」
 すると。考え込んだゼルスに代わり、キルアが口を開いた。
 まっすぐな透明な瞳が、問う。
「どーして、れーちゃんのところに帰ってあげないの??」
「……?」
「キルア?」
 二人がキルアを振り向く。キルアは真剣な顔で、セルリアを黒い瞳で見つめていた。
 その理由は……さっき聞いたはず——
「れーちゃん、キミがいなくなって笑わなくなったんだって。ボクらが会ったれーちゃんは、とっても静かで無口な子だったよ」
「何……?」
「キミだって、ホントは帰りたいんデショ?ご主人サマより、れーちゃんの方が大事になっちゃったんデショ?だったら……何で、帰ってあげないのッ!!?」
 正座していた状態から前に乗り出し、だんっ!と両手を板張りの床に叩きつけ、いつも笑顔が絶えない顔を怒らせたキルアは続ける。
「そのご主人サマのトコなんか辞めちゃえばよかったじゃんっ!! どーして辞めないのっ?どーして何もしようとしないの!? れーちゃんは、ずっとキミを待ってるのにっ!!」

「お前に何がわかるっ!!!」



 凄まじい衝撃音とともに床が揺れた。
 驚く二人の目の前で、彼のきつく握られた拳に板張りの床が穿たれていた。
 何の前触れもない、キルアの声よりもさらに大きなセルリアの怒号。それは怒っていたキルアはもちろんのこと、初めて見る怒ったキルアに呆然としていたゼルスをも我に返らせた。今までずっと静謐だったセルリアの紫の瞳には、ひどい怒りが渦巻いていた。
 その格好のまま、セルリアは少し落ち着くような間を空けた後。先ほどより、若干冷静さが戻ってきたその目をキルアに向けた。
「……あの人、、、僕達、、が、どれくらい絶対的な関係なのか。お前らにわかるものか!!」

 金に雇われたような、薄っぺらい関係なんかじゃない。
 王に忠誠を誓った騎士とも、また違う。
 好き好んで繋がれたわけじゃない。
 かと言って、嫌々ながら繋がれているわけでもない。
 もっと、もっと根源。
 存在から繋がっている、絶対的な存在。

 そんなもの、彼ら、、に理解できるはずがない。



 声を失っていた二人がはっとした時、いつの間にか、セルリアの姿は目の前から消えていた。
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