第6話  レナのペンダント

「じーさんが発って、もう何日だっけ?」
 トマトをあえたスパゲティにフォークをぶっ刺して、それをクルクル回しながら、ゼルスがふと思い出したように聞いた。
 その正面に座るキルアが、同じスパゲティをぱくっと口に入れて、「んーー……」と難しい顔をする。
 その隣に座るレナに目をやると、さすが、彼女は慣れた手つきでフォークを回していた手を止め、短い沈黙の後。
「……6日……?」
「で、いーんだよな」
 何処かホッとしたような様子で、ゼルスは巻きつけたスパゲティを口に運ぶ。ちょっと自信がなかったから聞いてみた。
 ということは……、
「もう1週間経つな。じーさんも、そろそろ帰ってくる」
「へ?そーだっけ?あ、でも、ゴウカな夜ご飯6回見たから、そっかぁ……」
「メシ基準かよ……」
 最後、皿に残っていた数えられるくらいの本数の麺を食べてから、ゼルスは皿の横にあった紅茶の入ったティーカップを持った。飲み物は紅茶が好きだ。

「うん、そーいえば、キズも大分楽になってきたし★」
「傷……って……」
 スパゲティにがっついているキルアがピースをして言ってくる。
 ゼルスは一瞬、何のことだと思ってハッとした。そうだ、自分と組んだ最初の依頼で、彼女は脇腹に傷を負っていた。あまりにいつも通りだから忘れてしまっていた。
 二重の申し訳なさから目を横に泳がすと、キルアはニコニコ笑って言ってくる。だからその笑顔が怖いんだって。
「えっへん!すっかり忘れてたデショ?それだけボクがスゴイってコトだね♪」
「……悪い。もう……動くには支障ねぇのか」
「ダイジョブダイジョブ!ヤケドとかよりずっとマシだも〜ん」
 キルアが何処までそれを本気で言っているかはともかく、どっちにしたって今のは自分が悪い。今、自分は一人で行動しているわけじゃないのだ。コイツのことも考えなければ。

「……もう、来れないの……?」
 ふと、あと少し、皿にまだ麺が残っているレナが少し寂しそうに言った。
 この1週間で、大分レナは二人に慣れていた。しかし笑うことはなく、キルアが馬鹿やっても、笑うどころかキョトンとすることが大半だ。この乏しい表情を思いっきり崩せるのはもっと先だろう。
「……さぁ?別に、俺は大体暇だろーけど」
「ボクも、いつでもヒマだよっ♪」
「帰ってきたら、じーさんに聞いてみたら?」
「うん……」
 レナはこっくり頷くと、大人顔負けの優雅な手つきでスパゲティを口に運ぶ。この面は到底敵わない。
 その彼女の隣からガチャンっと音がして、ゼルスは今更だがでっかい青筋を浮かべた。食べ終わった皿を、音なんて気にしないでガチャガチャンと重ねるキルアは、随分と高い皿の山を作っている。
「っントによ……お前、毎回毎回どんだけおかわりしてんだ!バカスカ食いやがって、このブラックホール腹が!初日にある程度遠慮しろって言っただろ!つーか毎回言ってるしもう!!」
 後ろでメイドが見ているのにもかかわらず、ゼルスはそう叫んでから馬鹿らしくなって額を押さえた。
 初日は驚いた。まさかコイツがこんなに食べると思わなかったから。食う速度も速いし、おかわりの数も尋常じゃない。呆然と、次々に空になっていく皿を見ていることしかできなかった。

 フォークを置いて、キルアは不服そうに反論してくる。
「だっておじちゃん、たくさん食べていいって言ったしー!ボクだって遠慮してるよ!? ホラホラっ、昨日のお昼、16皿だったデショ?今日は15皿だよ!」
「変わんねぇだろーが!遠慮をケチってどーすんだよ!食いすぎだっつーの、ったく……」
 はぁ、と溜息を吐いて、ゼルスはえらく長い食卓から立った。さっき食後の紅茶を飲み終わったレナも一緒に立ち上がる。キルアは、「ごちそーさまっ☆」と15枚の皿に手を合わせてから立ち上がった。まぁおいしく食べられている分、食材たちは幸せなのかもしれない。
 すぐそこにトレイを持った二人のメイドがやってきて、皿などを片付けていくのを尻目に、三人は部屋から出る。
「今日は何しよっか〜?」
「あー、そーだな〜……」
 いつ見ても眩しい床を歩きながら、キルアがゼルスとレナに聞いた。
 1週間もこの屋敷にいると、だんだんすることがなくなってくる。ゼルスは頭の後ろで手を組んで、絵の描かれた天井を見上げながら歩く。
 この屋敷は、大広間や応接間、オスティノやレナの部屋に行く場合、かなりの確率で玄関前を通ることになる。とりあえず、一行はそこに向かって歩いていた。
「レナは何したい?」
「……何でも」
「あー……うん。じゃあ、庭にでも出るか」
 そうだった。レナに聞いてもいつもこうなのだ。だから、こちらが決めてあげないといけない。
 「お庭お庭〜♪」と、何に対しても楽しそうなキルアがスキップで少し先を行く。やがて玄関前に着き、シックな玄関の扉を開けて外に飛び出した。
 昨夜降った雨のせいで、庭は全体的に湿気ていた。雫をまとった草木や花が、太陽に照らされてキラキラと輝く。噴水の水も、若干増水して濁っていた。
「おおっ、水増えてる!何かいるかもよ、れーちゃんっ!」
 レナの手を引っ張って、キルアはとたとたと噴水に駆け寄った。雨が降ったくらいで急に住んでる奴はいねぇよ……と言いたかったが、レナも興味津々みたいなので言わないでおいた。
 キルアが興味を向けるものは、今までレナが意識したことがなかったものばかりのようで目新しいようだ。レナはまるで子犬のようにキルアについて歩いている。姉妹みたいで微笑ましい光景だ。
 ふっと笑って、ゼルスは、屈み込んで噴水を覗き込んでいる二人のところに近付く。

「………………」
 ……ふと、足を止めた。
 振り返る。開けっ放しのシックな玄関の扉が見える。閉めてくればよかったな、なんて思う。
 しかしそのまま視線を正面に戻す。噴水を見つめる二人の背中がある。その向こうには、遠くに門が見える。
 先ほどの違和感を掻き消すように、風が静かに吹き過ぎていく。
(……気のせいか……?)
 今……誰かに見られていたような———



「っ!!」
 直後、気配が濃密なものに変化した。上からの殺気!
 だが、それが向けられているのは自分じゃない。ゼルスは地を蹴り上げ飛翔していた。
「レナッ!!」
 こちらを振り返ろうとしたレナを横に突き飛ばし、ばっと身を翻して、飛んだ瞬間に握っていた弓を掲げた。
 腕を痺れさせようとばかりの鈍い振動が、手首から肘を駆け抜けた。
「っにゃろ……!!」
 無理な体勢で受けたせいで少し痺れた腕の代わりに、ゼルスは軽く上がっていた左足を軸にして回し蹴りを放つ。
 蹴りは当たらなかったが、代わりに弓にのしかかっていた圧力が退き、その襲撃者はザッと庭の石畳の上に着地した。突き飛ばされたレナを助け起こしたキルアが、彼女を背に守るように立つ。

「へぇ、イイ反応してるじゃないか」
 屋敷の屋根の上……つまり、真上から襲来してきた相手は、同い年くらいの少女だった。1つに束ねられた暗赤色の髪が風になびく。朱色の棍棒を片手に、薄汚れたコートに身を包んだ彼女は見下したような笑みを浮かべ、二人を見て言う。
 ——いや、正確には、そのワインレッドの瞳は、二人の後ろを見ていた。
「最近、随分と飛族に縁があるねぇ。な?ゼド」
「「——っ!!?」」
 ゼルスとキルアがバっと後ろを振り返ると、噴水の真ん中に立つ女性天使像の向こう側に、白い羽が見えた。
 気配も物音もさせずに、そこに立っていたのは、青衣をまとった一人の青年。真っ先に目に入った大きな白い羽。銀髪と翠色の瞳。
「……ぁ」
「ぁあーーっっ!!!」
 ゼルスが驚こうとした寸前に、キルアが彼を指差して驚いてくれた。そのせいでゼルス自身は驚きが失せる。
 イールスを出たところで出会った、大きな翼を持った正体不明の鳥族の青年だった。
「この前の〜ッ!!」
「ん?知り合いか?」
「この間、ちょっと世話になったってとこだ」
「はは、そっか。面白くなりそうじゃないか、ゼド」
 鳥族の青年——ゼドが答える前に、ゼルスが少女の問いに答える。少女はくつくつと楽しそうに笑うが、ゼドは感情の読めない翠色の瞳で少女を、どちらかというと睨むような目つきで見た。
「シドゥ。話が違う」
「違わないよ?だってアンタは『気配の大本』を探りに来たんだろ?なら満足だよな?で、アタシの目的は『アレ』」
「………………」
 少女——シドゥはすべて知っていて、最初からこうするつもりだったのだと、ゼドはやっと気が付いた。

 何を話しているのかゼルスとキルアにはわからなかったが、レナを狙っているのは確かだ。警戒する二人に、シドゥは答えのように棍棒を構えた。
「そーゆーわけで、どいてもらおーか?飛族お二人さん」
「どーゆーわけだか知ったこっちゃねーな……断る」
「嫌だねーだッ!! れーちゃんに何の用っ!」
「あらら……だってよ、ゼド。やるしかないみたいだけど?」
「………………」
 わざとらしくこちらに話を振るシドゥの思惑通りに進んでいるのが癪だが、取引をのんだ以上、彼女に協力しなければならない。
 ゼドが仕方なさそうに戦闘態勢に入ったのを見て、ゼルスは、ゼドの方を向いているキルアに、背中合わせのまま言う。
「ゼドとかゆー方、特に気を付けろよ」
「ゼルスもねっ」
「それから、魔法で間違って殺すなよ?事情聴取したいとこだな」
「へ?」
「……てめー殴るぞ……」
「ウソだってばぁ。わかってるよーだっ」
 魔法は、力加減を間違えばすぐにでも人を殺すほどの威力になる。あらかじめキルアに釘を刺し、ゼルスは不安そうな顔をしているレナを振り向いた。
「ってことでレナ、乱暴になるけど我慢してくれ」
「……大丈夫、なの……?」
「ん……まぁ、お前は最優先に守るから。キルア、わかってるだろーな?」
「らじゃー!」
 キルアが敬礼してそう言うのを聞いてから、ゼルスは状況を整理した。

 こちらは、レナを守りながらというハンデつき。
 さらにキルアとは、まだ一戦しか一緒に戦ったことがないので、恐らくまだ息が合っていないだろう。
 そしてそしてゼドは、前に会った時に自分達とは次元が違うことがわかっている。
 ……ちょっと考えても最悪すぎる状況だ。内心で深い溜息を吐いた。
(……勝てんのか?これ……)
 勝ち目のない戦いはあまり気が乗らないが、やるしかないとゼルスは仕方なく腹をくくった。



 ゼルスとシドゥの間には微妙な距離があった。一瞬で攻撃を仕掛けることも、瞬間的に防ぐこともできる距離。
 ゼルスは前者を選んだ。ベルトにぶら下っている矢筒から矢を1本、引き抜き、一瞬で弓につがえて放つ。鋭く放たれた矢はシドゥの腕を狙って風を切る。
 シドゥはそれを流れるような動作で紙一重にかわすと、こちらに向けてダッシュをかけてきた。
「さっさと終わらせるよっ!!」
「チッ……!」
 自分は弓専門だ。つまり遠距離が得意なわけで、相手の間合いに取り込まれるとやりづらい。構えた棍棒を振り上げたシドゥに、ゼルスが舌打ちして防御態勢をとった時。
「『風の神の加護、レイス』ッ!!」
「!?」
 ゼルスの横からキルアの声がして、シドゥの周囲の空気が真空の刃と化した。予想外の攻撃に動揺しながらも、シドゥはとっさに踵でブレーキをかけて止まり、大きく後退する。なびいた暗赤色の髪の毛先を見えない刃が切り裂いた。
「さんきゅー、ナイス」
「っひゃう!?」
 ゼルスが小さく言った直後、横から悲鳴らしく聞こえないキルアの悲鳴。何だ!?と一瞥して、驚愕した。
 キルアは、何処から出したのかわからないが、あのゼドの大剣を真剣白羽取りしていた。結構力んでいるところを見ると、限界が近いらしい。

 そこでゼルスは今更ながら、協力しなければならないということを再確認した。ということは、少しの気持ちのズレが大きな損害を招く。
 今もキルアが援護してくれた時に、すかさず自分がテキトウにフォローすれば、こんな状況にはならなかったはずだ。自らの安全を投げ打ってまで援護したキルアもキルアだが。
「ったく、仕方ねぇなっ!」
 2本矢を抜き、ゼドの肩辺りをテキトウに狙って連続撃ちをする。ゼドはすぐさま大剣をキルアの手の間から引き抜き、翼を使って下がりながら飛んでくる矢を剣で叩き伏せた。
「いただき!」
「させるかよっ!」
 ゼルスがゼドの相手をしている間に、シドゥがこちらに向かってくるのは気配でわかっていた。大きく横薙ぎされてくるシドゥの棍棒に対し、ゼルスはレナと一緒にしゃがみんで。
「しゃがめっ!」
「うひゃあ!?」
 シドゥに対して注意が薄かったキルアの足を、ゼルスが鮮やかな足払いで掬い、強制的に転ばせた瞬間。蜂の羽音にも似た低音が三人の頭上を掠めた。
 倒れながら、キルアは筆記していた魔法を天に手のひらを向けて詠唱した。
「『溢るる大河、サイル』っ!!」
 その手のひらから噴水顔負けの水量と勢いで水が噴き出した!三人を取り囲むバリアのように展開した水流魔法に阻まれて、近付いてきていたシドゥが進む足を渋らせたのが見えた。
 少しの間なら時間が稼ぎになるかもしれない……と思った刹那。
 真横から向けられる、刃物のように鋭い視線と駆け上がる本能的な嫌な予感。

「キルア伏せろっ!!!」
「ふええっ!?」
 ゼルスは下ろしていた手に握られた弓を強く握り直し、何かわからないまま頭を抱えたキルアの前に飛び出して弓を掲げた。
 激しい滝の壁に銀閃が走ったのがかろうじて見え、直後、隕石直撃のような衝撃が全身を揺さぶった。
「っあが……!!」
 肩が外れなかったのが奇跡だ。弓に振り下ろされてきた恐ろしい重圧は、単なる肉弾戦ではなかったのかもしれない。その一撃はキルアの水流魔法さえ打ち消し、水はすべて飛沫と化し消える。
 シドゥの一撃目とは比べ物にならないほどの強烈な振動に、腕が肘まで瞬時に痺れる。握力が一瞬緩み、取り落としそうになりながら、ゼルスは意識して握る力を強くした。

 ゼルスの弓は、木材の中で最高級の強度を誇るセロルという木からできている。多少の攻撃では傷1つつかないほど強固なものだが……今の攻撃は、さすがに少しくぼんだかもしれない。
 ならば、力を込めて剣を振り下ろしてきたのかといえば、そうでもない。目の前で無言で弓と刃を交えるゼドの表情は、無表情だからよくわからないが余裕たっぷりそのものだ。
 ——手加減されている?



「っ……だぁあ!! キルアっ!!」
「おっけーい!」
 ゼルスは、少しずつ痺れが取れてきた腕で頑張ってゼドの刃を押し返し、すぐさま弓と矢を構えて背後のキルアに叫ぶ。
 キルアから元気の良い返事が返ってきて、すぐ。
「『風の神の加護、レイス』っ!!」
 疾風魔法が詠唱されると同時に、ゼルスの弓から矢が飛び出す。ゼドに向けて放たれた矢と魔法は、彼を一気に退けた。ゼドは地面を蹴って後ろに跳び、空を飛んで攻撃を回避し、大分離れたところの屋敷の塀の上に下り立った。
 やったと、二人が喜びに浸ることができたのは、ほんの一瞬だった。
「はいはーい、注目〜」
「「……!?」」
 悠長なシドゥの声が上から降ってきた。嫌な予感に引かれるように顔を上げると、女性天使像の上に、小さなレナを片腕に抱いて立つシドゥがいた。
「レナ!」
「れーちゃんっ……!」
 ゼドを退けさせるだけで頭がいっぱいだった。ちょっとした油断を突かれ、さらわれたのか。
 レナはシドゥの腕から逃れようと手足をばたばたと動かしているが、効果は薄い。シドゥはそんなレナのアゴを捕まえ、眼下の二人に顔を向けさせる。不安そうな表情を見て二人は歯を噛む。

 わざとそう仕向けたのだが、まだ勘違いをしている二人に、シドゥはくつくつ笑って教えてあげた。
「別に、この子を殺そうってわけじゃないんだよ?」
「へ……?」
「アタシはコレがほしいだけ」
 そう言って、シドゥはレナのアゴから胸元に手を動かした。目を押し開いたレナの前で、赤い石のペンダントを掴んで引きちぎり、ゼルスとキルアにこれ見よがしに振る。
「か、返してっ……!!」
「おっとと、危ない危ないっと」
 ばっとレナが手を伸ばした瞬間にシドゥの体が傾いた。が、シドゥは難なく宙返りして天使像の上から下り、縋ってきそうなレナを掻いくぐって距離を置く。
 シドゥは二人を見て、にっこりと笑った。楽しそうな、それでいて何処か邪悪なものを感じる笑顔。
「そんじゃ、さよならお二人さん。楽しかったよ?」
「おい、待てよ!!」
「れーちゃんのペンダント返せぇ〜〜っ!!」
 言い切るなり駆け出したシドゥを追って、ゼルスとキルアが動き出す。飛族の彼らから見れば人間の足なんて亀のようなものだ。今からシドゥが逃げても追いつくことなんて造作もない。
 しかし、
「『天からの断罪、ギア』」
 地面を蹴って飛び立とうとした寸前、シドゥを追って頭上を飛翔していった影が低くそう言うのが聞こえた。
 肌の上を静電気が走った刹那、腹底に響く轟音とともに目の前が真っ白になった。
「うわっ!?」
「ひゃあっ?!」
 眼前に落ちた巨大な雷。とっさに目を瞑ったが完全に予期せぬ出来事だったから、威嚇の落雷にモロに視界を焼かれる。
「くそっ、やりやがったな!」
 チカチカする目でゼルスが、シドゥとゼドの去っていった方向を見るが、すでに二人の姿は陰もなくなっていた。
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