第4話  ケテルフィール侯爵家

 大人三人分くらいの高さがありそうな白塗り壁。それはさながら、身分という境界線にも見えた。
 四方を囲む白壁の内側に佇む、赤レンガの美しい屋敷。ここからでもその瀟洒しょうしゃな造りが見て取れる。
 もちろん、その入り口となる大門だって手を抜いていない。直線と曲線が融合したデザインの黒柵の向こうには、丁寧に手入れされた噴水や鮮やかな庭園が見えた。

「ねーねー!依頼受けたよ〜〜、誰かいるー?」
 ……その門を、牢屋に閉じ込められた囚人よろしく、ガシャガシャ揺らす少女。
 大概の人間は苦笑して眺めるだけだろう。それが、もう少し力を加えれば棒が折れるとわからなければ。
 武術の心得がある者は焦って止めるだろう。普通ならば慌てて彼女を止めるところだが、もちろんそれがわかっているゼルスは、腕を組んで呆れ顔でそれを眺めているだけだった。
 それに、意識しているのかは不明だが、キルアは柵を揺らし、折れそうになる寸前で力を抜くという精緻な芸当をしているから問題ない。そんなことしなくても来るだろ、と思っているだけで、彼は常識人だが非常識人である。
「……あのなぁ」
「なに〜?」
「………………やっぱいい。時間の無駄になりそ」
「何それーッ!! 気ーにーなーる〜〜っ!!」
「馬鹿にされてることには突っ込まねぇのかよ……」
「あっ、今バカにしてたんだ!ゼルスのバカーッ!!」
「気付いてなかったのかよ!! つーかお前に馬鹿って言われたくねぇえええ!!!」
 切実なゼルスの叫びが、この屋敷以外見当たらないこの辺り一帯の平野に響き渡った。





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 時は少し戻る。

 ラクスの依頼は、一人の青年を探し出し、居場所をラクスに伝えることだ。
 しかしどう考えたって、大陸規模で人一人を探すのはもっっっんのすごく時間がかかる。それこそ年単位だろう。最悪見つけられないかもしれない。
 それで困り果てたゼルスが当てにしたのは、R.A.Tの世界規模の情報網だった。



 妙な鳥族に会った後、二人はルプエナの東端にある街ラーダに来ていた。
 R.A.Tはリギストにもあるが、情報はルプエナ内の方が豊富だし伝達も速い。だからリギストから一番近いラーダに戻ってきた。
 R.A.Tに聞けば、もしかしたら何かわかるかもしれないという一縷の望みをかけてみるという考えだ。
 ラーダのカウンターは、フェリアスと違って空の下ではなく、1つの店として商店街の中に並んでいた。木造の広い店内は、建てられてまだ数年しか経っていないのかまだ新しい。
 その美しい木目の床の上で、ゼルスはラクスからもらった似顔絵の紙を見て、珍しく諦めモードで溜息を吐いた。その隣には不思議そうなキルアが立っている。
「……詰んだ……」
「ねーゼルス、何で聞かなかったの〜?今のヒト、知ってるみたいだったよ?」
「よく聞いとけガキンチョ。世の中にはな、守秘義務ってのがあんだよ」
「しゅひぎむ?なんかの魔法?シュヒギム!!」
「……確かに封印魔法だな」
 えいやっと、それっぽくポーズを決めてみせるキルアの言葉にちょっと納得する。ある種の封印魔法ではある。そんなものあるかどうかは知らないが。
 何か知っている情報はないかと、カウンターの受付嬢に紙を見せて真っ向から聞いた。そしたら礼儀正しい営業スマイルでやんわり断られて、ふと守秘義務のことを思い出した。だからこその全国チェーンなのだから。
 フェリアスのオヤジはそこんとこが非常に緩く、ベチャクチャ喋る。何処だかの誰がヘマをやらかしたとか、大成功したとかどうでもいいことばかり。だから守秘義務の感覚が薄れていた。あのオヤジ、よく解雇されないなとふと思った。



 ともかく、青年の情報は得られなかった。しかし言外で、重要な情報を手に入れることができた。
 あの受付嬢は、「お答えいたしかねます」と言った。それは言外に「知っている」という言葉を恐らく含んでいる。社員は大体知っているくらいの者なのかもしれない。
 R.A.T社員が、所属者に関する知識をどれくらい持っているかは疑問だが、少なくともフェリアスのオヤジは所属者トップ30〜50くらいの顔と名前と大体の経歴は覚えている。それがボーダーラインだと考えると、この青年は結構なツワモノなのかもしれない。
「けどま、答えられないってことは知ってるってことだろーな。つーことは、コイツは結構有名人なわけだ。村人Aとかだったらマジで投げ出そーかと思ってたんだけど」
「依頼ポイしちゃったら、ゼルス、オジサンに怒られちゃうよ〜?」
「逃げりゃいーだろ、めんどいし」
 キルアの言う通り、やることはしっかりやるタチのオヤジに怒鳴られそうではある。しかし一応自分が基準なので、そういうところだけは無責任なゼルス君であった。

「『ゆーめーじん』なら、誰かに聞いてみよー♪」
「って、おい!」
 ばっとゼルスの手から紙を奪い取り、キルアはたたっと近くにいた人物に駆け寄っていく。反応が遅れたゼルスは、ったく……と後を追う。
「ねぇねぇ、このヒト知ってる〜??」
「おわっ、何?コイツ?」
 歩いていた男性の服をガシッと掴んで引き止めながら、キルアは片手に持った紙を見せてそう聞く。……何というか、妙にキルアらしい強引なやり方である。
 追いついたゼルスが、しかし他人のフリができる距離を置いて男性の返答を待っていると、男性は「あぁ!」と思い出したように声を上げた。
「知ってる知ってる。コイツだろ?」
「ホントっ!? 何処にいるか知ってる?」
「確かケテルフィール侯爵家の護衛の一人だったと思うよ。R.A.Tに所属してるわけじゃないけど若くて強いって有名で、腕試しをしたい連中が行ったけど全員返り討ちに遭ったって話だ。大分前の話だから、今もいるかどうかはわからないけど……」
「うん、わかった!おにーさん、ありがと!」
 「おにーさん」だか「おじさん」だか際どい年齢の男性にお礼を言い、手を振って別れた後、キルアは得意げにゼルスを振り返り。
「どぉーだ☆ んで、けてるふぃーるこーしゃく家ってナニ??」
「わかってねーじゃねーか!?」
「だって知らないよ〜」
「いや常識だっつーの……!!」
 知らないじゃ済まされない。特にR.A.Tに所属する以上は。
 ケテルフィール侯爵家は、数十年前までは無名の貴族だったらしい。先見の目を持っていた前当主は、1つの事業を起こした。それこそが、まさにリクエセシス=アンダーティア——R.A.Tである。
 R.A.Tは瞬く間に世界に広がり、ケテルフィール家は物凄い年収を得て大貴族へと成長していった。今ではその名を知らない者はいない。……ここにいたが。
 ケテルフィール家の説明が終わると、キルアは「へぇ〜!じゃあスゴイヒトなんだ!」と言ったから、こりゃ絶対理解していないなとゼルスは思った。

「で、そこにこの探し人がいるってわけだ。ほら、フェリアスの外れにデカイ屋敷あるだろ。あそこに住んでる」
「あっ、アレかぁ!んじゃあ早く行こっ!」
「ってお前、何も考えてねぇな……相手は大貴族だぞ?行っても、執事とかに門前払いされるだけだろ」
「飛んでけばダイジョーブッ☆」
「要するに不法侵入かよ!捕まるだろーが!」
「バレなきゃダイジョーブっ♪」
「……お前、意外と……いや、やっぱり黒いな……まぁそーなんだけど。屋敷は多分、防犯システム完備、ボディガードわんさかだぞ?大貴族だし」
 なんて、ちょっと問題のある会話をする二人。起業した前当主は武術を心得ている人物で、腕も確かだったらしいが、後継者の現当主はその気がなく温厚な人らしい。それが唯一の救い……だろうか。
 この似顔絵のモデルの主は、ケテルフィール家という名の砦にいる……と思われる。訪問しても通してくれないだろうし、近付いても防犯システムに引っ掛かるだろうし、一体どうすれば彼とコンタクトがとれるのか。



「あ、いたいた。そこの飛族のお二人さん」
 ゼルスがアゴに手をかけて考え込んでいると、ふと声をかけられた。二人が振り向くと、声をかけてきたのは先ほどキルアが声をかけた男性だった。
「さっき思い出したんだけど、俺が並んだ時、ケテルフィール家の依頼があったんだよ」
「へっ?ホント!?」
「ケテルフィール家の依頼?どーせ、もうとられてるだろ」
 男性の耳寄りな情報を聞いて顔を輝かせたキルアとは裏腹に、ゼルスは驚きもせずそう言った。ケテルフィール家の依頼となれば報酬も高額だろうし、皆集って受けること間違いなし。
 大して期待せずにそう返すゼルスに、男性はふっと勝ち誇ったような笑みを浮かべた。ゼルスは不快そうに眉間にシワを寄せた。何で親しくもない奴にこんな笑みを向けられるのか。
「それはどうだかな?報酬は弾むかもしれないが、相手は大貴族だ。まぁチェックしてみたらどうだい?」
「むむ?」
「どーゆーことだよ?」
「あっはっは、その意気なら問題ないか。それじゃあ頑張れ」
 男が言っていることが理解できない。首を傾げるキルアと、眉間のシワがさっきより深いゼルスに向かって男性は愉快そうに笑い、二人の前から去っていった。
「うーん、どんな依頼かなぁ〜?パーティの依頼だったらいーなぁ♪ ホラホラゼルスっ、早く並ばなきゃっ!」
「……お前、目的忘れんなよ?」
 すっかりパーティの依頼だと思っているキルアに、ゼルスは仕方なさそうに釘を刺しておいた。

 ラーダ支部は規模こそともかく、フェリアス本部に比べればまだ人が少ないので、並んでから数分ですぐに順番が回ってきた。さっきの受付嬢……ではなく、男性に交代していた。
 キルアがぴょんとカウンター前に身を乗り出し、相手が飛族だと目を見開いている受付の男性に尋ねた。
「えっとね、ケテルフィール家の依頼があるって聞いたんだけど〜」
「あ、あぁ……確かにあるよ。けどなぁ、みんなさすがにやりたがらないんだ。……にしても、飛族の二人組か。あのゼルス・ウォインドに会う日が来るとはねぇ、びっくりだよ」
「……そりゃどーも」
 カウンターの後ろの棚をあさりながら言う男性に、テキトウに答えるゼルス。もう慣れたものだ。
 男性は、ファイルから引っ張り出した依頼書を差し出した。先に取ろうとしたキルアより早く、ゼルスはそれを手にとって目を通してみた。

依頼主 : オスティノ・ケテルフィール
職業 : 貴族
内容 : 私には12歳になる孫娘がいるのですが、私はこの1週間、仕事で国内のさまざまなところへ行くことになりました。
 無理をさせたくないので、孫は家に置いていくつもりです。その間、孫の遊び相手、話し相手になってほしいのです。
 人付き合いが苦手であまり喋らない子ですが、どうかよろしくお願いします。
 詳しいことは、私の屋敷にてご説明します。
追記 : 恐らくお一人では大変だと思うので、2、3人でも構いません。

「期日がもう明後日で、こっちも困ってるんだよ。そうなったら多分別の方面から雇うんだと思うけど……みんな恐縮して受けたがらないんだよ。相手は大貴族、それもR.A.T社長だからなあ」
「……それ、どーゆー意味で?」
「『今日しゅく』??」
 さっきの男も似たようなことを言っていた。解せない二人が本当に不思議そうに問うと、男性は豆鉄砲を食った鳩のように目を瞬いた。
 その次に発せられた一言に、ゼルスは途端に頭が冷えていくのを感じた。

「……飛族って、礼儀作法とかないのかい?」

 ——これだから何も知らない人間は。



「そんな堅苦しいモン持ってるのはお高く留まってる人間様だけじゃねーの?」
 先ほどの男の言葉で気が立っていたのか、ただの質問だったのに、つい皮肉が口を突いた。
 言ってしまってから額を押さえる。落ち着け。感情的になるなんて子供じゃないか。
 何度、こんなやり取りがあったことか。飛族ってだけで偏見、差別する人間はたくさんいる。良い意味でも悪い意味でも。
「……悪い。作法らしい作法はねぇよ」
「あ……いや、僕こそ済まなかったよ。依頼の話に戻るけど、相手はR.A.T社長で、大貴族だろう?だから、お孫さんの相手とは言え、社長の前で恥を掻いて、最悪解雇されるかもしれないってみんな敬遠するんだ。社長は温厚な人だし、そんなことはないって言ってるんだけどねぇ」
「あぁ……なるほど」
 ゼルスに不快感を与えてしまったと気付いたらしい男性は、簡単に謝って説明してくれた。

 確かに12歳の子供の相手なんて、大人はやりたくないかもしれない。しかも相手は、知らぬ者はいない大貴族の孫娘。無礼な言動は許されない。
 さらに、孫娘はあまり喋らないと来ている。いつも忙しい大人は暇に感じるだろうし、どうすればいいかわからないだろう。
 が、ゼルスは違った。大貴族相手と聞いて敬遠される理由がわからなかったくらいには、昔っからドカンと肝が据わっているので動じない。言動を咎められたらその場で直せばいい話だ。作法?そんなモン俺の常識にはない。
 そして肝心のお相手はあまり喋らない性格らしいが、それも別に平気だ。というかむしろ、ゼルスはその方が静かで好ましい。馬鹿とうるさい奴は嫌いだ。
「むー、よくわかんないけど女のコと遊べばいーんだよねっ?オトモダチになろー♪ パーティしないのかなっ!?」
 とか礼儀作法うんぬんをまず理解していないキルアも気にしなさそうだし、あまり喋らない子とも普通に話せそうだから大丈夫だろう。

 ゼルスは、依頼書から目を離し、カウンター横に置いてあったペンに手を伸ばした。ペンを手に取ったゼルスに、カウンターの男性は感激した目で言ってくる。
「受けてくれるのかい!? ありがとう!! よかったー、期日も近付いてたし、社長の依頼だし、受けてくれる人を探してたんだ!支部長に怒られなくて済むよ!」
「本音出やがったな……」





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 そういえばおかしい。
 馬鹿とうるさいのは嫌いだ。だからさっさとこの馬鹿鳥族と別れたかったのに、どうしてまた一緒に依頼をしてるんだろう。
 ラクスの依頼を、どうしてコイツと受ける気になったんだっけ。
 ガシャガシャ揺れる黒い柵を見ながら、ゼルスがぼんやり思っていると。

≪申し訳ございませんが、危険ですので門よりお離れ下さい≫
「へ??」
「離れろだってよ」
 何処からともかくかかった声に、キョトンと目を瞬くキルアの首根っこをゼルスが引っ掴んで引いた。すると、キルアがあれだけ揺らしていた黒い柵が、手も触れていないのに屋敷側にゆっくりと開く。
 キルアはキョロキョロ辺りを見渡して、門の両脇の地面に埋め込まれている丸いものを見つけて駆け寄った。
 半円型で、ガラスの内側がほんのり緑色に光っている。よく見れば平たい面に細かく字が書かれている。装飾的に細工されたオーナメントのように見えるが、これは……
「おお、やっぱりーっ!魔導具だ!」
「わかるのか?」
「んとね、さっきの声、なんか精霊さんが忙しかったしー、響きもおかしーなーって思って〜」
「………………」
 全然、説明になっていない。多分感覚的すぎて、彼女も説明できないのだろうが。魔法に関しては天才らしい。
 魔導具は、あらかじめ書いてある指示を精霊に飛ばし、動かす魔術的な道具のことを言う……らしい。ゼルスは知識としてしか知らないので、本物は初めて見た。
 指示で精霊を従える、という魔法と似た原理で動くが、厳密には魔法学ではなく精霊学の分野らしい。ややこしい。

「魔導具なんてもう無ぇと思ってたぞ?職人限られてるんだろ?」
「そちらは風ノ伝カゼノツタエと申します。ケテルフィール侯爵家に伝わる魔導具でございます」
 しゃがみ込んでいるキルアの後ろから覗き込んでいたゼルスが、質問を屋敷に投げかけるように言うと、声が返ってきた。
 黒いスーツを完璧に着込んだ壮年の男性が、柔和な笑顔で笑む。
「ようこそおいでいただきました。わたくしはこの家の執事を務めております、ファーネルと申します。以後お見知りおきを。依頼を受けて下さった方々だとお聞きいたしましたが」
「あぁ。これが依頼書」
 飛族の二人を見ても動じることのない執事。年もさることながら、大貴族の執事という地位上、いろいろなものを見てきたのだろう。
 ゼルスが依頼書を彼に向けて差し出すと、執事は「失礼いたします」と白い手袋で受け取ってチェックした。1つ頷くと、依頼書をゼルスに返し、
「オスティノ様がお待ちです。どうぞ、こちらへ」
 執事は、二人を誘うように屋敷を片手を指し示し、先頭を切って歩き出した。ゼルスとキルアは彼の後に続いて歩く。速すぎもせず、遅すぎもしない、適度な速度だ。
 長い道を進んでいき、飛沫の舞う噴水の真ん中に屹立きつりつする女性天使の像や、色鮮やかに咲き誇る大きな花壇のある中庭の横を通り。シックなつくりの扉を開いて屋敷の中に入ると、まず高い天井にぶらさがる巨大なシャンデリアが目に入った。
「うっひゃ〜っ、きっれーい♪ もしかしてアレも魔導具だったりしてー☆」
「ご期待に添えず申し訳ございませんが、あちらは一般的なシャンデリアでございます」
「一般的と来たか……」
 あの馬鹿デカさ、どう見たって一般的ではないだろうと突っ込みを入れる。本当に魔導具だと言われても納得しそうである。

「ねね、さっきの魔導具って、何をするのっ?風の属性をすっごく感じたけど!」
「ええ、その通りでございます。風ノ伝は、周囲の音を伝えるものです。どうぞ、応接間はこちらです」
 広い玄関から伸びる廊下は、左右と正面に3つあった。そのうち、執事は左の廊下へ入る。
 まるで鏡のような床の上を歩くと、玄関脇にも門先と同じ緑の球体があった。キルアが立ち止まって、興味深そうに、疑問そうにそれを観察する。オーナメントらしいものを四方八方から眺めたり覗き込んだりしている様は、傍から見ると不審者である。
 その首根っこを掴んで引っ剥がし、ゼルスは執事を追って先を歩き始める。
「置いていかれるから後だ」
「むー!気になるんだもーん!なんかアレ、回りの音を伝え合うみたい?きっと他の場所にもあるよー!」
「ふーん」
 テキトウにあしらいながら、ゼルスは、玄関傍の一室の前で立ち止まっていた執事に追いついた。
 執事が「こちらでございます」と、扉を2度ノックする。高い木材からできているのか、心地良い音が鳴った。
「依頼を受けて下さったR.A.Tの方々をお連れいたしました」
「ああ、どうぞ、お入りなさい」
 初老くらいの丁寧な男性の声が、室内から許可を下した。執事は一言断り、上品なつくりの扉を開いた。
 執事の黒い背中が横に退いた部屋の向こうに、綺麗に磨かれたガラスの低いテーブルと、その周りにあるソファー。
 その窓際に、紺の上品な服をまとった男性が立っていた。彼が依頼主のオスティノ・ケテルフィールだろう。孫娘の存在からして年の行った老人かと思っていたが、想像以上に若々しい容貌だ。
 暗めの蒼の髪の彼は二人を見て、にっこり微笑んだ。
「飛族のお二人だと聞いていましたが……この年で飛族が見られるなんて光栄です。さあ、どうぞこちらにお座り下さい」
「……そーだな。全体的に引きこもりだからな、飛族って」
 飛族だということに触れ、しかしサラっと流して話を進める。不思議と好感が持てたゼルスは、そう答えた。
 その質の高い服からも、その言動からも、嫌味な印象をまったく受けない。真の貴族とは、こういう人物のことを言うのだろう。
 窓側の長いソファーに二人を案内してから、オスティノは向かいの一人がけのソファーに腰を下ろした。そこに、見計らったかのように、ゼルスの前にいい香りを放つ紅茶が入った白いティーカップが置かれた。
 何処からともなく現れたメイド服の女性が、ソーサーにティースプーンを静かに置く。次に彼女は、カップの載ったお盆を片手にキルアの横へと移動する。
 自分とキルアの間に置かれた角砂糖入りのポットから、好みの量を自分の紅茶に入れて、ティーカップを持って少し飲んでみた。味わったことのない上品な味が口の中を満たす。
「うぉ、何だこれ。うめぇ」
「お口に合ったようで何よりです」
 ゼルスが思わずそう言うと、オスティノはホッとしたように笑って言った。彼の後ろには、先ほど自分達を案内してくれた執事が立っている。

 ……と、そこで、隣から、どぽどぽという、水に何かがたくさん入る音がして、ゼルスは横を見て言葉を失った。
 どぽどぽんと音を立てていたのは、ティーカップに入った紅茶。その紅茶の水面を揺らしていたのは、キルアの手がポンポンと突っ込む角砂糖。しかも、溢れ返った角砂糖ですでに紅茶の水面が見えない。それをスプーンで混ぜようとするのだが……角砂糖が邪魔で、スプーンをティーカップの中に差し込めない。
「うー、混ぜれないぃ〜」
「……し、信じらんねぇ……どんだけ甘党なんだよ!しかも紅茶、もう飽和化してて砂糖溶け残ってるし!」
「ええーっ!? ほんわかしてると、お砂糖溶けないの〜!?」
「飽和化だっつーの!! とにかくもう終わり!!」
 懲りずに角砂糖のポットに再び手を伸ばしたキルアの手を叩いて払いのけ、ゼルスがポットのフタを強制的に閉めると、キルアは悲鳴にも似た声を上げた。
「えぇっ、そんなぁー!あと18個入れなきゃ、いつもの味にならないよぉ〜!」
「知るか!他人の家なんだから我慢しろ我慢!」
「ゼルスのバカぁ〜〜っ!! どーしてイジワルするのー!? ボク悪いコトした〜!?」
「そー思うんなら、ストレス溜まるその性格なんとかしろ!! ……ああもう疲れてきた……」
 はぁと溜息を吐き、ゼルスは自分の紅茶で、叱咤で渇いた喉を潤した。もちろん片手はポットの上だ。
 二人のやり取りに唖然としていたオスティノと執事、そしてメイドは、一拍おいてからくすくす笑い出した。
「ははは、面白い方々ですね。砂糖は好きなだけどうぞ」
「いや、こっちは楽しくも何ともないんだけど」
「ホラゼルスッ、いーって!やったー!オジサン、ありがと〜!」
「マジかよ……あーはいはい……」
 家の主から許可が下りたのなら仕方ない。ゼルスがポットを塞いでいた手を離すと、すかさずキルアがポットのフタを開け、再びぼとぼとと角砂糖をさらに入れる。もはや紅茶はドロドロだ。大貴族を前に、まったく遠慮がない二人である。
 それを呆れた横目で見てから、ゼルスはオスティノに視線を戻した。

「で……話逸れたけど。依頼って、あんたの孫娘の相手だよな?」
「ええ、そうです。依頼書でお読みになったと思いますが、私はこの1週間、仕事で家を留守にします。その間、孫のレナの話し相手になっていただきたいのです」
「あー、その前に聞きたいんだけど。何で孫は連れていかないんだ?無理させたくないって書いてたけど、そんな重労働でもねーだろ?」
 ただ単に、いると邪魔になるだけからかもしれないが。紅茶を飲みながら聞いていたゼルスは、ふと思い出したようにそう聞いた。
 するとオスティノは悲しげに表情を歪め、自分の前にもある紅茶を見つめた。何処となく重い空気になったのを感じたゼルスに、静かに口を開く。
「実は……依頼書には書かなかったのですが……レナは、可哀想な子なのです。小さい頃に目の前で両親を一気に失って、それ以来、心を閉ざしてしまって……」

 ——応接室に、何とも言いがたい空気がわだかまった。
 両親がいない少女。ここ数十年で減ってきたが、それでも戦争や盗賊がはびこるこの世界では大して珍しくもない。
 しかし、どんなにたくさんいようと、悲しみはみんな同じだ。同じような境遇の人々が一体いくらいるだろうか。
 例えば——無意識の内に押し黙った、この二人とか。



 何も言えずにいる二人より先に、その空気を破るようにオスティノは再び口を開いた。
「ですが、2年前に、セルリアという者がやって来たのです。護衛の仕事をしたいと。その者が来てからのレナは、見違えるほど明るい少女になったのです」
「せるりあ……?誰〜?」
「年は聞いたことはありませんが……貴方がたより、少し年上くらいでしょうか。それくらいの年の頃の男子です」
「まさかコイツ?」
 もしかしてと思って、ゼルスはポーチから、ラクスにもらった似顔絵をオスティノに見えるようにテーブルに置いた。すると彼がハッと息を呑んだので、ゼルスはビンゴと内心で呟いた。
「今、コイツを探してほしいって、もう1つ平行して依頼受けてるんだけど、コイツ、ここにいたのか?」
「へ?? ゼルスっ……」
「いーから黙ってろ」
 「この似顔絵の主が、ここにいると知ってもぐりこんできた」というのは、とりあえず伏せておく。初めて知ったような口ぶりのゼルスにキルアが首を傾げて声を上げるが、ゼルスはそう言ってその先の言葉を封じた。
「セルリア……つったっけ?髪が蒼で、目が紫とかって」
「ええ、その通りです。彼を探しているのですか?」
「うん、そーなのっ!」
「ですが、彼は今、ここにはいませんよ」
「へ?」
「………………………………は?」
 はて。聞き間違いだろうか。ゼルスとキルアが唖然とした顔でオスティノを見返すと、彼は残念そうに顔を歪めた。
「セルリアは、半年前、何も言わずに突然姿を消してしまったのです」
「ええーッ!!? なんでなんで〜!?」
「わかりません……レナも、彼が来る以前のような無口な子に逆戻りしてしまって……」
「何処行ったかとか心当たりは?」
「……残念ですが……」
「うそぉ〜……」
「マジかよ……」
 申し訳なさそうなオスティノの前に、二人は無遠慮にも、物凄く落胆した様子で同時に溜息を吐いた。
 ケテルフィール家にいると聞いてやってきたのに、何処かへ消えたなんて。これでまた、振り出しの「大陸規模から探す」に戻ったことになる。最悪だ。
 オスティノも行く先を知らないというし、完全に詰んだことになる。何処を探せばいいのか見当もつかない。

 ショックが大きすぎて、しばらく立ち直れなかった。少し冷めてきた紅茶を飲み、ゼルスは似顔絵をしまった。ガックリ感を引きずったまま言う。
「とりあえず……依頼はちゃんとやるから。いつ出かける?」
「明日の朝の予定です。今日はもう遅いことですし、これで終わりましょう」
 言われてみれば、大窓の外は日が傾き始めていた。キルアは慌てて、残っていた紅茶を一気飲みにかかる。すでに飲み終わっていたゼルスはそれを横目に、ソファーから立ち上がった。
「じゃあ、明日の朝……」
「あ、もしよろしければ、今晩、拙宅にお泊まりになってはいかがでしょうか?わたくしが留守中、貴方がたはこの屋敷でお過ごすしになりますし、今晩からでも構いません」
「は?マジ?」
「えーっ、ホントぉ〜!? だってー、ゼルス!! やったね☆」
「どーせメシ目当てだろ……じーさん、いーのかよ?」
「ええ、もちろんです。使用人は連れて行きませんから、わたくしの留守中の食事も心配無用です」
 思いもかけない申し出にゼルスは驚いた。報酬以上の金を出されるなんて思ってもいなかった。大貴族は思考が根本から違うかもしれない。
 宿泊代ゼロと見たその申し出。こちらを気遣ってかと思ったが、それだけが理由というわけでもなさそうだ。
「連れて行くのは、護衛の男達なのですが……彼らは普段、屋敷の警備に当たっていた者たちで……」
 言いにくそうに語尾を濁したオスティノの言わんとしていることを察し、ゼルスは納得した。むしろ無償ではなく、何かしらの対価があった方が安心する。他人不信な以上。
「わかった。レナの相手しつつ、盗賊が入らねーように見張っとけってことだな?」
「ええ……お察しの通りです。お願いできますか?」
「うん、ダイジョブぅ〜〜♪ まっかせといてー!」
 溶け切らなかったドロドロの砂糖が、底にどっぷり溜まっているティーカップをソーサーの上に置き、キルアが無駄に張り切った様子で答えた。やはり貴族の食事ができるというのが嬉しいようだ。確かに、いつも食べているようなものとは随分違った物が出るに違いない。
 ……それにしても、このティーカップを処理するメイドが哀れだ。
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