第2話  自分勝手でお互い様

 人は見かけによらない。
 笑っていても腹の底では嘲笑しているかもしれないし、澄ました顔をしていても実は凄く怒っているかもしれない。
 結構、表面的に嘘は吐けるものだ。
 特に、無害そうに笑顔を振りまいている奴ほど怖いものはない。

「………………」
 性分で、ほいほいと人を信用することはない。他人不信な自分はいつも疑惑を持つ。
 だがしかし……、
「ねねゼルス!! この机キラッキラ☆だよ!スケートできるかもよー!♪」
「……そりゃよかったな」
「ていっ!とーぅ!おおおっ、滑った滑ったー!☆」
 自分たちが向いている壁にある大きな窓から差し込む光に照らされた、ピッカピカに磨かれた黒塗りの書斎机。キルアの言う通り、スケートリンクみたいにつるつるで、しかも書斎机のくせに何人座れるんだよってなくらい馬鹿デカイ。部屋の真ん中を縦断するこの大きさはむしろ食卓だ。知ったこっちゃないがもしかしたら会議に使うのかもしれない。
 やや高めの天井に下がるシャンデリアの真下、その上をキルアがついーっと片足で滑っていく。もちろん土足。土足で滑るくらいつるつるというのは、何かオイルでも塗っているのか。
 キルアは、最初は機嫌よさそうに滑っていたが、机の端に到達してバランスを崩す。
「わわぁッ!!?」
 臙脂色の絨毯の上に、どでんっと大の字に倒れて落ちた。顔面から。痛そう。
 しばらくその格好のまま、うう〜っと唸っていたが、がばっと顔を上げて、今度は背後の黒塗り机の端にゴチンッ!!☆と後頭部が当たった。凄い生々しい音にゼルスは思わず顔をしかめた。
 一瞬の空白の後、キルアは……キョトンと首を傾げた。
「はれれ?なんか凄い音したねー?何の音?」
「は!?」
 全然痛がる素振りもないのでゼルスは驚いて、よく見てみたら机の方にほんの少しヒビが入っていて。
「どんな石頭だよ!!」
 ていうか弁償とか冗談じゃない。俺は知らない。スルーした。
 石頭だから机とのごっちんは無傷のようだが、さっき倒れた時の顔面強打は痛かったらしく、キルアは頬を摩っている。
 それで、最初の疑惑に戻るが……確かに笑顔を振りまいている奴は怪しい。でもここまで馬鹿行動すると、何処まで本気なのかはかりかねる。これでもし策士だったらだいぶ身を張った演出である。
 とは言えそれで信用に足るわけじゃないので、ゼルスはとりあえず話を進めようと思った。

 突如、ゼルスの瞳が氷点下になり、冷気の如き冷たい声音で言う。
「……で。そんじゃ、依頼は解消っつーことでいーな?」
「ひぃ……いや、ちょ、ちょっと待て」
 ゼルスの視線の先は、机の向こう。大窓の下で、頭を抱えてしゃがみこんでいる丸くて黒い図体が1つ。
 少し乱れた黒髪のオールバックのその男は、冷ややかな怒気を宿すゼルスを青白い顔で見てガタガタ震えている。この男こそ、依頼主のウェイム・ランセラーだ。
 二人は依頼を受けようと、フェリアスの街中からこのランセラーの屋敷にやって来たところだった。しかしランセラーは、この自室に通されてきた二人を見た途端、

  『子供ではないか!! 飛族とはいえ……こ、こんな奴らに命を任せられるものか!帰れ!!』

 と口走って、ゼルスがピキっと来た直後、空気を読まずにキルアがスケートしだし、冒頭へ戻る。
 14歳の『子供』に気圧されているランセラーに、ゼルスは続ける。
「お呼びじゃねーらしいからな」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!! す、すまん非礼は詫びる。倍額出す。だから頼めないか!?」
 ダダっと駆け寄ってきて擦り寄って来そうな男をかわす。庶民に土下座せん勢いのランセラーは憐れに見えた。すっかり立場が逆である。
 基本的に、R.A.Tに出せる依頼は一度きりなのだ。同じ内容の依頼、そして引き受けてもらえなかった依頼は出すことはできない。ここで依頼を解消したら、ランセラーにはもう救いの余地がないのだ。
 自分たちがここで引き受けなければ、ランセラーは危険に晒され、報酬はもちろん出ず、これはただ無駄足になっただけになる。





(ンな非効率的かつ無駄な時間なんぞ許さねぇぇ……!!)
 という一心で、ゼルスは真夜中、ランセラーの寝室にいた。大きな柔らかそうなベッドでぐっすり眠りこけているランセラーを、ゼルスはずっしり重そうなクローゼットの陰で恨めしげに睨みつける。窓辺にベッドがあるので月明かりで平和そうに眠り込んでいる顔がはっきり見えて余計に苛立つ。
 子供だとか言われて軽んじられたのも非常に癪だが、ここまで来たのが無駄になって、しかも金が出ないとか馬鹿げてる。やるっきゃない。
 結局、ランセラーの思うように事が進んでいるのがまた腹立たしい。とりあえず依頼が終わって報酬をもらったら、アイツの顔を足蹴にしないと気が済まない。

 目を擦り、視線をランセラーから下に向けると、ベッドの下に伸びているキルアは完全に寝ていた。さすがお子様というか。ベッドの下に待機するというからなぜかと思ったら、どうやら最初から寝るつもりだったらしい。こいつやる気あるのか。
 しかしゼルスも、草木も眠る時間まではそうそう起きていないので少々眠い。あくびを噛み殺してもう何回か。そんな二人だが、その気配は希薄だ。ほどほどの熟練者なら普段から気配は消すものだ。



 夜のしっとりとした静けさはとても心地良い。それこそ夢の中に旅立ってしまいそうな勢いで。
 ランセラーの寝室は、書斎と言ってもよかった。壁を覆いつくす本棚には科学から宗教、国家についてなど幅広い分野の本がびっしりと詰め込まれているし、ほどほどに教養のある人間なのだとわかる。人は見かけに寄らない。
 昼間、ランセラーは言い訳がましく非礼を謝った。

  『ワシは魔法学の書物を持っているからと、嫌われておるのだ』

 本人曰く、ランセラー家は魔術師の血を引く家系らしい。それで、すでに廃れて一般には出回っていない魔法学の書物が屋敷にあるらしい。昔はもっとあったらしいが、今はたった2冊だとも。
 しかしそのせいで、貴族間や領民の間でも妖しい術を使う一族だと噂され嫌われているそうだ。本人はまったく魔法は使えず、否定しているのだが効果はない。そのくせ、魔導書はかなりの高値で売れるのでよく狙われるとも。

  『ワシはただ、過去の遺産をなくさぬように持っているだけなのに』

 ゼルスは魔法学なんてちっとも知らないので、その価値はいまいちわからない。とりあえず希少価値だということくらいか。
 失われ行く遺産を守る。恐らく彼は、リギスト王国でアノーセル湖を保護する民間団体や、近代化が近年目覚ましいカルファード帝国で緑を守ろうとする集団と変わりないのだろう。
 しかしその対象が、「魔法」という妖しげな未知なるものだというだけで嫌われる世界。
(……苦労する話だよな)
 その切ない気持ちは理解できる。自分だって似たようなものだ。竜族だというだけで珍妙な目を向けられる。中には嫌悪する者もいた。
 理解してしまえば、そんな衝突は起きないのに。



 何とも言えないやりきれない思いを持て余し、ゼルスは少しクローゼットに身を委ねた。睡魔に誘われるまま少しだけ目を閉ざし——ふと、目を開いた。
 かすかな空気の揺れ。扉が軋む音。無に等しい足音が、ひたひたと複数。
(……確かに大人数で来るかもって言ってたけど……暗殺って基本一人だろ?これじゃ嫌がらせじゃねぇか……いや、だからか)
 少なくとも五人はいる。となると、暗殺だけが目的ではないようだ。うち三人は、すぐさま本棚に近付いて何かを探しているし。聞かずとも、探しているのは魔導書だろう。
 ランセラーを殺し、領地を譲渡してもらうついでに、魔導書を頂いて売り払って金にする——立派な強盗だ。
 忍び寄ってきた黒ずくめの一人が、ランセラーの枕元にやって来る。手に持ったナイフが月光を弾いて光り輝く。
 自分達に気付かず、護衛がいないと思い込んで拍子抜けしている彼らに、ゼルスは陰で、手に持っていた短弓に矢を番えて静かに引き伸ばす。

 瞬間、雷光が走った。

 紫色の紫電がうねり、ナイフを掲げた男を襲う。その口から出た咆哮のような悲鳴を聞いてランセラーが飛び起きた。
 彼らと同じく何が起きたのかと目を白黒させるゼルスの前で、ベッドの下からキルアが横にゴロゴロっと転がって出てきて、しゅたっ!と立ち上がり、びしっ!と黒ずくめを指差して。
「出たなぁ〜!! 悪いオトナたいさーんッ!!」
 仁王立ちで決めセリフらしきものを言うなり、その人差し指がすっと動かされる。その軌跡に、空気中から現れた虹色に変化する光の粒子達が集まり、空中に何かが刻まれていく。描かれているのは——文字のようだ。それも、現代語ではない。
 状況に置いていかれている黒ずくめ達に、書き終わったその文字列にキルアは手をかざして叫ぶ。
「『怒り狂う雷撃、ヴォルガス』!!」
 その一言で、それまでさまざまな色に変化していた虹光の文字が紫色に固定され、そして文字は掻き消える。代わりに、かざしたキルアの拳に紫色の雷撃がまとわりつき、黒ずくめ達が目を見開いた。
 明らかに危険な拳を握り締めて、たんっと床を蹴ってキルアは彼らの一人にそれを振りかぶる!
「そりゃーッ!!」
 気の萎える掛け声とともに、雷パンチが逃げ遅れた黒ずくめの腹に打ち込まれる。悲鳴を上げる黒ずくめの体を雷が這い、殴り飛ばされた方向にいた別の逃げようとしていた黒ずくめもその強力な電気マッサージを食らって一緒に感電した。
 その一連の流れを、ゼルスは陰で見つめていた。

 ——ゼルスは知る由もなかったが、魔法が栄えていた昔から、魔導書の1ページ目には必ずこうあった。
 ここに記すのは、魔法の構成理論のみ。魔法に必要となる筆記と名唱は口伝で教わるものとすると。
(魔法……だてに鳥族じゃない、ってことか)
 失われたはずの妖しい術が、ここにあると主張するように真夜中の闇を切り払い、常識を蹂躙している。
 ポカンとしているランセラー、困惑が走る黒ずくめ達。この中で冷静でいるのは、ゼルスとキルアだけだった。

 魔法と呼ばれるものには何種類かあるが、今彼女が使っているのは、最も知られているものだ。
 学問的な分類の正式名称は「筆記式精霊魔法」。一般的には、筆記魔法エンシェントと呼ばれる。古クルナ語という古い言語を筆記しての精霊干渉を行い、彼らを意思に従わせて動かす術である。

「ま、魔法……なのか!?」
「そんな馬鹿な!すでに失われた術だろう!?」
「魔法じゃないならあれは何なんだ?!」
 ざわつく暗殺者たち。彼らが困惑するもの当然だと思いながら、ゼルスはすっと立ち上がった。また陰から現れた新手に、黒ずくめ達がハッとする。
「お前、センス悪くねぇ?水流魔法とかもっとデカイ術で一掃しろよ」
「へ?? ゼルス、魔法知ってるのっ?! なーんだつまんなーい、ビックリさせよーと思って雷撃魔法にしたのに〜〜」
「見たことあんだよ」
 む〜っと頬を膨らませるキルアをあしらい、ゼルスは弓を構えた。
 魔法学は、精霊学から派生した学問だ。魔法はその上に成り立っている。しかし学問自体がすでに廃れており、男達のように大概の人々は、魔法はすでに失われた太古の術と認識している。
 魔法が使えるかどうかは、先天性の才能の有無によって決まる。そんな中、鳥族は魔術師の血が濃く、魔法を使える者が稀にいるそうだ。キルアもその血統らしい。



「魔法だろうがガキには違いない。やれ!」
「舐められたもんだな……!」
 自分達の常識がひっくり返るほどの事象に遭遇したのに、それを無理やり呑み込んで動く様子はやはりプロか。ナイフを手に切りかかってくる男の攻撃をかわしながら、ゼルスは弓の弦を引く。
「じゃあじゃあー、リクエストにお答えしましょーっ♪」
 男の足を射抜いて機動力を断つゼルスの横で、キルアは指揮者のように指を滑らせ、手をかざす。黒ずくめが阻止しようと切りかかってくるが、その手を横に蹴り払ってから、
「『溢るる大河、サイル』ッ!!」
 並んだ虹光の文字は、今度は青い光となって消え、途端その空隙から激しい水流が噴出してきた。自分に襲い掛かってきた男と、このどさくさに紛れてランセラーに小刀を振り上げていた黒ずくめとを力強く押し流し、壁に叩きつける。
 情けなくベッドの上で震えているランセラーの回りを確かめて、キルアは「よっし」と1つ頷いてから。
「はいっ、逃げて〜♪」
「あ、後は頼んだぞっ!!」
 そう言った途端、ランセラーはその巨体で出せたのかと思うほどの素早さで、開けっ放しの扉から外へと駆け出していった。
「おお〜っ、ビックリ!逃げ足速いね〜♪」
「いーから残り潰せよ……」
 ダガーを振り下ろしてきた黒ずくめの連撃をかわし、隙を突いて不意にしゃがみこみ、相手の足元を払って転ばせたゼルスが面倒臭そうに言う。キルアは「おっけー♪」と軽く応じて、辺りを見渡した。

「小賢しいガキどもが……!!」
 標的を逃がされ手間が増えたのが癪に触ったのか、黒ずくめの一人が低い声で言った。初撃、キルアの電気マッサージの巻き添えを食った奴だ。まだ動けたらしく、彼はゆらりと起き上がる。
「調子に乗るな!!」
「ふえっ!?」
 闇に煌く短刀を構えると、黒ずくめはまっすぐキルアに向かって走ってきた。相手を見くびっていたのか意外と速いその速度に、キルアは動揺して、黒ずくめが目の前に来るまで何もできなかった。
「くっ……!」
 振られた逆手に持った短刀を、キルアは紙一重で回避することに成功した。
 が、しかし。
「甘いっ!」
「うあっ!?」
 唐突に、右の脇腹に熱が走った。
 一瞬何事かと思って、すぐに熱は痛みに変わる。黒ずくめが二刀持っていたことに気付けなかったキルアは、自分の迂闊さを呪った。
 傷とは長い付き合いだが、それでも痛みに慣れることはない。歯を食いしばって痛みを我慢しながら、赤く染まる服の脇を押さえてそこから離脱して。
「う……!」
 動いた拍子に傷が引き攣れ、足をもつれさせて転んだ。すぐに仰向けになると、白銀の光が暗闇を裂いて迫ってくる。
 それを力一杯蹴り上げると、ちょうどタイミングが合ったらしく、短刀は遠くへ蹴り飛ばされた。続けざま、黒ずくめは残った左手の短刀を使ってきて、キルアはとっさに靴底でそれを受け止めた。
(や、やばやばやばい〜〜っ!!)
 なんとも奇妙な構図での押し合い。心の中でそう叫びながら、これでは立ち上がれないと判断したキルアは、床についた指先で文字を書く。
「しっ、『深紅の火炎、アスリア』!!」
 とっさに書いた魔法は、一番手軽な火炎魔法。床に貼りついている光の文字が赤い光に切り替わり、消えると同時に黒ずくめの短刀を握る手が突然炎に包まれた。
 黒ずくめが悲鳴を上げて怯んだ瞬間、キルアはばっと飛び起きて。
「お返しだよぉっ!!」
「ぐほっ!?」
 これまでの恨みつらみをすべてブチ込んで、思いっきり黒ずくめを顔面から殴り飛ばした。男は少し離れたところに吹っ飛び、また、額を殴られたのでそのまま気絶する。
 相手がしっかり気絶しているかどうかを確認してから、キルアはやっと肩で息をし始めた。
「はぁ、はぁ……ちょ、ちょと、やばかった……」
 拳を振り抜いたままの格好でそう言うと、ぺたんと座り込んだ。すでに他の黒ずくめは、キルアが苦戦している間にすべて片付けられたらしく、皆、床の上に伸びていた。
 夜明けとともに部屋の窓から朝日が差し込み、倒れている黒ずくめ達の真ん中に立つ、苦戦した様子など何一つない様子のゼルスを照らす。

 ゼルスは、キルアの赤くなった脇を無感動な目で一瞥し、目を逸らした。





  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 オヤジは最高にムカついていた。
「っざけてんのかお前!!!」
 ガタンと立ち上がり、カウンター越しにオヤジはゼルスの胸倉を荒々しく掴み上げた。唾が飛びそうな勢いで叫んだオヤジの怒号は空中広場に響き渡り、そこにいた人々が何事かと視線を集める。
「何だこのザマは!! 俺は協力しろって言っただろうが!!!」
「おっ、オジサン落ち着いてよ〜、ゼルスは悪くないよ〜っ」
 仕事そっちのけの怒り心頭で周りが完全に見えていないオヤジを、横から小柄なキルアが慌てて宥めるが効果はない。周囲の人々も、はらはらとした視線を送ってきている。皆がよく知るフェリアスのオヤジがここまで怒るなんて、よっぽどのことなのだ。

 翌日、この本部に、二人は報告のために戻ってきた。ちなみに報酬もR.A.Tが管理している。
 オヤジに報告し終え、半々の金をもらった後、キルアの動きが少し鈍っていることを鋭く見抜いていたオヤジが問い詰めてきた。逃がしてくれなさそうな様子だったので、彼女は昨夜、自分がドジってケガしてしまったことを明かした。するとオヤジは、なぜか真っ先にゼルスの胸倉を掴み上げ、こうなっている。
「ゼルス、何で助太刀しなかったっ!? 頭が切れる上に強いてめぇなら出来ただろうが!! 何でだ!? 答えろ!!」
 一方、オヤジの激昂を一身に受けているゼルスは無表情だった。目もオヤジの顔を向いていない。その状態でオヤジにガクンと強く揺さ振られ、ゼルスは初めてオヤジの顔を見た。仕方なさそうに静かに口を開く。
「俺は個人戦闘しか心得てねーんだ。他人の面倒なんてできる余裕なんてあるかよ」
「だからなんだ、あぁ!!? 俺は協力しろっつったんだ、そんなの理由になるか!!」
 間近でオヤジに叫ばれても、ゼルスは顔色1つ変えなかった。キルアの方が怖がって真っ青になっている。まったくの無反応の彼に、オヤジはさらに怒りがこみ上げてくる。
 しばしの間を置いて、落ち着いてきたのか、オヤジは荒い呼吸を肩で整えながら舌打ちした。突き飛ばすようにゼルスから手を離すと、イスに再び座り、白髪が混じり始めた緑の頭を腹立たしげにガリガリ掻く。
「話にならねえな……俺の見込み違いだったってわけか……いつまで立ってる!! さっさと消えろ!!」
 久しぶりに怒鳴ったせいか、頭に血が上るとくらくらするようだ。額を押さえて呟いていたかと思えば、顔を上げてまた怒鳴る。そして頭を抱える。いつもは談笑で穏やかな広場は、この時ばかりは一触即発の静寂に満ちていた。

 やがて——皆の注目を集めているゼルスは、くるりと身を返した。
 一種の逃げだった。
 居心地が悪い。人の注目の中は、吐き気がする。
 嫌なことを思い出す。





「ねーってば!ゼルスっ!!」
 広場から出て、フェリアスの街中に差し掛かった頃。後ろからかけられていた声にやっと気が付いた。
 思わず足を止めたら、声の主はたたっと走ってゼルスの前に踊り出た。言うまでもなくキルアだった。

 ——彼女を見た途端、一瞬、鼓動が耳で大きく響いた。
 どうしてかと悲しむか、お前は最低だと怒るか、予測はできる。それらに対応する式は持てば問題ない。
 その一方で、人は、式がなければ対応できない。つまり、人は予測し得ないことに弱い。
 予想外の未来が来ると、どうしていいかわからない。

 だって、脇腹に包帯を巻いている鳥族の少女は——笑っているのだ。



「あのね、ボクも、一人でしか戦ったコトないんだっ。だからゼルスが困っても、きっとボクは助けなかったよ。それに、ボク竜族キライだから。初めて会った時、攻撃したのもそれなんだけど〜」
「………………」
「きっと、見殺しにしてたかもしれないよ?だから、ボクもキミもおんなじっ」
 笑顔で、サラっと言い放つ少女。笑顔を振りまいている奴は油断ならないと思っていたが、本当にその通りになって言葉が出ない。
 しかしキルアは、その笑みを少し和らげた。……少し寂しげに。
「たくさんの人が見てると、怖いよね。嫌なコト思い出すよね」
「っ……」
「ボクもね、ちょっと嫌なコト思い出してたんだっ。そしたらゼルスが逃げてくれたから、慌ててついてきたのだー☆」
 何も言っていないのに、自分の表情と態度だけで読み取ったらしい。思わず身を硬直させるゼルスに、キルアはえっへへーと少し恥ずかしそうに頭を掻いて笑う。
「だから、えーっとね、ゼルスのせいでもないし、ボクがキライなのは竜族で、ゼルスのコトはキライじゃないし、ボクら似てるかなーって思ったんだ!今度はちゃーんとやるから、またどっかで会おーね♪ じゃーね!」
 片足を軸にくるーりと1回転しながらそう言うと、とうっと地面を蹴り上げ、キルアは手を振りながら空に飛び立った。辺りにいた人々が物珍しげに見上げる。彼女の姿が見えなくなるまで、ゼルスは呆然と空を仰いでいた。
 雲一つない、綺麗に透明に澄んだ青い空だった。





 馬鹿は嫌いだ。
 うるさいのは嫌いだ。
 鳥族は……今回で嫌いになった。

 それらすべて兼ね備えた最凶の少女は、まったく自分と正反対だ。
 でも、同じように見殺しにしようとしていたり、同じように視線を恐れたり。
 正反対だけど——自分達は、間違いなく『同じ』だった。
 キルアはもしかして、すでに感じ取っていたのかもしれない。



 ……ふっと、呆れた笑いが口元に浮かんだ。
(変な奴)
 一体、何処からがおふさげで、何処までがマジメなのか判別がつきにくい、あの鳥族。もしかしてすべてマジメなのかもしれない。
 今度会ったら、なんとなく協力できるような気がする。
 ——いや、今度は必ず。
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